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2006年9月30日 (土)

日本のポリオレフィン業界の変遷-2

(ポスト産構法後期)

能力の急増に対し、需要の方はバブル崩壊で逆に減少した。アジアの需要は増えつつあったが、欧米が好況の際には輸出を減らすためアジアの市況は高騰するが、逆に欧米が不況になると各社一斉にアジア向けに輸出を行うため、市況は急落した。

この結果、各社の業績は悪化したが、再びカルテルで逃げる道は既に封鎖されており、生き残りの策の検討を開始した。

事業撤退

ポリプロに新しく進出した東ソーは95年11月に営業権をチッソに譲渡(2002年にチッソが四日市ポリプロを吸収合併)

旭化成も94年10月、水島品の営業権を昭和電工に譲渡 (運営のため日本ポリプロを設立するが1999年3月停止)、泉北ポリマー全株を95年3月、三井東圧に譲渡して撤退した。

日本鉱業も新規参入を狙い、輸入販売を始めたが94年3月に撤退した。

宇部興産は新設した千葉の気相法LLDPEプラントを休止した。
(1994年11月に三井石油化学のメタロセン触媒技術による気相法LLDPEの商業規模での試験生産で合意)

三井、三菱の事業統合検討

1992年4月、新聞に三井東圧化学と三井石油化学が合併を目指し両社社長が詰めの協議に入っていると報じた。これは両社の社内の反対が強く「当分の間は交渉を凍結する」と発表された。
しかし、特に三井東圧の業績がその後も回復せず、結局、1997年10月、三井化学が誕生することとなる。

三菱グループの場合も、特に設備の拡大を図った三菱油化の業績が悪化したこともあり、「永遠の話題」と言われ実現が難しいとされた1994年10月に三菱グループの大合同が実現した。

 

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(事業統合時代)

 

Ldsaihen

Hdsaihen 

 

Ppsaihen_4

三菱の事業統合

三菱化成と三菱油化は1994年10月に対等の立場で合併し、三菱化学となった。
当初は「赤字幅が著しいポリオレフィン事業の統合を模索した」がそれだけでは不十分となり、大統合に踏み切った。

一時は共販会社制度維持のために、ダイヤポリマーを存続させようとの考えもあったようだが、三菱化成と三菱油化だけの共販で、製造も営業も一体化するのに共販会社を残すのは意味が無く、三菱化学誕生を機に発展的解消した。

 

三井の事業統合

三井石油化学と三井東圧化学は199710に統合し、三井化学となった。
(後記の通り、両社の属する共同生産会社、事業統合会社の整理が行われた)

ポリオレフィン事業統合

①日本ポリオレフィン とサンアロマー

1995年2月、エースポリマーに属する昭和電工と三井日石ポリマーに属する日本石油化学がポリオレフィン事業を統合することを発表した。
昭和電工と日本石油化学の事業統合は1994
8月頃から交渉を始めたといわれている。
昭和電工は旭化成との間でPSとPPの交換による提携を行ったが、それだけでは構造的な赤字を解消できないと判断、自助努力に限界を感じていた日本石油化学との統合を交渉した。
昭和電工は大分市に、日本石油化宇は川崎市に立地し、地理的に東西の相互補完関係にあるため、交錯輸送の排除等による物流費用の低減が図られるというのが一つの理由となっている。

新会社の概要
①社名  : 日本ポリオレフィン(JPO)
②資本金   100億円
出資比率 昭和電工 65%:日本石油化学 35%
③設立年月日   1995/7/1
④営業譲渡日   1996/10/1
⑤工場   大分、川崎
    HDPE  331千トン/年 
LDPE  214 
LLDPE 110       
PP     346 (水島の日本ポリプロを含む)   
計    1,001   

公正取引委員会はHDPEについては新会社のシェアが24.3%かつ第一位となるが、競争業者の存在と輸入圧力から問題なしとした。
しかし、PPについては日本石油化学が三井石油化学、三井東圧と浮島ポリプロで、また三井東圧と泉北ポリマーで、それぞれ共同生産しているのを問題とした。
このため、日本石油化学は三井東圧との間で浮島ポリプロ、泉北ポリマーのそれぞれの持分を交換し、三井東圧との関係を切った。
(日石化学持分は浮島 65、泉北 0 )

同社は96年7月にMontell International と折半出資のJV Montell-JPOを設立して自動車向け分野でのPP及びコンパウンド等の販売を行った。

①社名  : Montell-JPO
②設立   1996/7/1
③営業開始   同上
④資本金   8億円
JPO 50%、Montell International 50%
⑤事業内容    
(1) 次世代先進樹脂材料の輸入販売、
それらのコンパウンド製品の生産・販売
(2) 自動車分野向けPP(およびそのコンパウンド製品)
 JPOから商権の譲渡を受けPP樹脂販売
 JPOとモンテル技術のコンパウンド製品の生産・販売

1999年5月にはMontell-JPOを改組し、Montell 50%、昭和電工・日本石油化学50%出資のモンテルエスディーケーサンライズと改称して、日本ポリオレフィンからPP事業の譲渡を受けた。

日本ポリオレフィンはこれによりポリエチレン専業となった。
PP分離に先立ち、日本ポリオレフィンでは99年1月に不採算の大分のLLDPEプラントを昭和電工100%出資の大分エルエルに移管(のち設備休止)、3月には昭和電工が旭化成から譲渡を受けた水島のPP設備(旭化成とのJV 日本ポリプロとして運営)を停止している。 

①社 名  : モンテルエスディーケーサンライズ株式会社(略称MSS)  
②資本金   63億円
③出資比率  
エスディーケイ・サンライズ投資*  : 41.67%
日本ポリオレフィン    8.33%
(日本側計)    (50%)
モンテル   33.33%
台湾ポリプロピレン   16.67%
(モンテル側計)    (50%)
④事業内容   ポリプロピレン、キャタロイ・プロセス製品およびHMS製品の生産、販売ならびに研究開発
⑤年産能力  
ポリプロピレン    大分工場 3系列計  : 243千t
    浮島ポリプロ    65千t
    合  計   308千t

*SDKサンライズは昭和電工65%、日本石油化学35%

なお、モンテル社は200010月、バセル社として新たに発足、これに伴い、MSSは20011月、サンアロマー(SunAllomer Ltd.)に社名を変更した。

②グランドポリマー

1995年7月、三井石油化学(三井日石ポリマー)と宇部興産(ユニオンポリマー)が50/50の出資でグランドポリマーを設立、両社のPP事業を統合して10月から営業を開始した。その後、三井化学の誕生により、97年7月に三井東圧のPP事業を統合した。

宇部興産は三井主導の大阪石油化学のメンバーであり、共販会社設立検討の当初は三井グループに参加すると見られていた。三井石油化学と宇部興産は94年11月に、休止していた宇部興産千葉工場のLLDPEプラントを三井石化のメタロセン触媒技術による気相法LLDPEの商業規模での試験生産に使用し、三井石化は製品の一部を引き取ることで合意している。
この信頼関係をベースに三井石油化学の触媒およびフィルム,宇部興産のコンパウンドおよび自動車分野での強みがそれぞれ補完関係にあったことで実現した。

①社名  : グランドポリマー
②設立   1995/7/1
③営業開始   1995/10/1
④資本金  
設立時   50億円   三井石油化学 50%、宇部興産 50%    
1997/7   75億円   三井石油化学 33.33%、宇部興産 33.33%、三井東圧 33.33%    
1997/10   75億円   三井化学 66.67%、宇部興産 33.33%    
⑤能力  
千葉・市原工場(旧三井石化)2系列  : 223 千トン  
大阪・堺工場(旧宇部興産)2系列   133    
宇部ポリプロ*(90千トンのうち)   073    
浮島ポリプロ(105千トンのうち)   030    
         
大阪・高石工場(旧三井東圧)3系列   242    
合計   701    

*宇部興産は住友化学、トクヤマとPP製造の合弁会社、千葉ポリプロ(住化・千葉内)と宇部ポリプロ(宇部降参・宇部内)を設立しているが、宇部のグランドポリマー設立に伴い、宇部と住化はそれぞれの両JVへの持分を交換し、千葉ポリプロを住化/トクヤマの、宇部ポリプロを宇部/トクヤマのJVとした。

* 当初は設備は親会社資産で貸与形式。1999/4に両親会社から設備譲渡を受け、さらに2000/3には開発部門を千葉県の袖ケ浦の開発研究所に統合

③日本ポリケム 

1996年5月、三菱化学と東燃化学(エースポリマー)はポリオレフィン事業を統合し、同年9月から日本ポリケムとして事業を行うことを発表した。

エクソンモービルの子会社であった東燃化学は、当時のユニオンカーバイドとの50/50JVの日本ユニカーを持っており、電線被覆グレードを除くポリエチレン事業についても日本ポリケムに包含する方向で交渉したが、実現に至らなかった。

①会社名  : 日本ポリケム
② 設立   1996/5/24
③事業開始   1996/9/1
④資本金   事業開始時  20億円
1998/11   200億円
⑤出資比率   事業開始時 三菱化学 50%、東燃化学 50%
1998/11     三菱化学 65%、東燃化学 35%
⑥事業内容   両社のPE樹脂、PP樹脂等の合成樹脂およびこれらを主原料とするコンパウンドの製造および販売
(新会社が販売する合成樹脂の製造は、当面両親会社において実施する。)

 

④京葉ポリエチレン 

1997年8月、丸善石油化学の丸善ポリマー(旧称日産丸善ポリエチレン)とチッソ石油化学(いずれもユニオンポリマー)が京葉ポリエチレンを設立し、同年10月から両社の高密度ポリエチレンの販売を統合した。製造は引き続き各社が行うもの。

①社名  : 京葉ポリエチレン
②設立   1997/8/7
③営業開始   1997/10
④資本金   4億8,000万円
⑤株主   丸善ポリマー、チッソ石油化学(折半出資)
⑥事業目的   高密度ポリエチレンの販売(国内および輸出)

丸善ポリマー
 1981/3 「日産丸善ポリエチレン」設立(日産化学 51%、丸善石化 49%)
         日産化学、日産ポリエチレンのHDPE事業継承
 1989  丸善石化 70%に。
 1990  
丸善石化 100%
 1991  
社名変更 「丸善ポリマー」

⑤日本エボリュー

事業統合ではないが、1996年11月に三井石油化学と住友化学が共同でメタロセン触媒による気相法LLDPE生産の合弁会社・日本エボリュー設立の発表を行った。

住友化学は千葉ポリエチレンでL-LDPEを生産しているが、メタロセン触媒によるL-LDPEは、低温での熱融着性、強度等に優れ、新規用途が見込まれるほか、樹脂加工段階での生産性が大幅に改善されることから、国内外での需要拡大が期待されており、三井石化の計画に参加した。

①会社名  : 日本エボリュー
②設立   1996/11/20
③資本金   4 億円
④出資比率   三井石化 75%、住友化学 25%
⑤事業目的   メタロセン触媒によるLLDPE の製造
⑥製造設備  
立地  : 三井石化千葉工場内       
生産能力   20万トン/年
採用技術   三井石化が開発した製造技術
宇部興産・千葉でテスト生産
営業運転開始   1998年春
⑦製品の引取   出資比率

なお、2006年春に能力増強が決定(10月に24万トンにアップ)。増産される年4万トンはプライムポリマーが全て引き取り、引取り比率はプライムポリマー19万トン、住友化学5万トンとなる。

 

ポリオレフィン共販会社の解散

1994年10月の三菱化学誕生を前に9月にダイヤポリマーが発展的解消した。

1995年の日本ポリオレフィン、グランドポリマーの設立はエースポリマー、三井日石ポリマー、ユニオンポリマーに属する各社が他の共販メンバーと事業を統合するもので、結果的には3共販がすべて連携することとなるため、エースは95年6月、残りは9月に解散した。

 

(続く)

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2006年9月29日 (金)

日本のポリオレフィン業界の変遷-1

日本のPE、PPは技術導入でスタートした。

2006/4/18 「日本の石化の過当競争の始まり PE技術導入競争
2006/4/19 「
ポリプロピレン技術導入競争」 参照 

 

各社の事業スタートは以下の通り。(単位:千トン)

      会社名 工場 技術  1958  1959  1960  1961  1962  1963  1964  1965
LDPE 住友化学 大江 ICI   11   11   14   26   50   50   80   80
三菱油化 四日市 BASF   -   10   10   34   50   50   50   80
日東ユニカー 川崎 UCC   -   -   -   -   27   27   39.5   46
三井ポリケミカル 大竹 デュポン   -   -   -   -   24.5   24.5   49   49
旭ダウ 川崎 ダウ   -   -   -   -   -   -   10   25
宇部興産 千葉 ダート   -   -   -   -   -   -   -   20
能力合計       11   21   24   60  151.5  151.5  228.5  300
HDPE 三井石油化学 岩国 チーグラー   12   12   12   14.4   21.6   24   48   48
昭和油化 川崎 フィリップス   -   10   10   10   10   22   36   36
古河化学 川崎 スタンダードオイル   -   -   9.1   9.1   9.1   8.7   18.7   20
能力合計       12   22  31.1  33.5   40.7   64.7  102.7  112
PP 三井化学 大竹 モンテ   -   -   -   -   10   10   10   20
住友化学 大江 モンテ   -   -   -   -   -   10   10   20.5
三菱油化 四日市 モンテ   -   -   -   -   -   10   10   20
チッソ石油化学 五井 アビサン   -   -   -   -   -   13   13   13
能力合計       -   -   -   -   10   43   43 73.5

古河化学:
 古河電工がポリエチレン企業化を図り、フィリップスと技術導入交渉したが、昭和電工に奪われ、
 Standard Oil Company of Indianaの中圧PE技術を導入。
 1956
10月 古河化学設立
  (古河電工
36%、横浜護謨 16%、旭電化 10%、古河鉱業・富士電機・富士通信機・日本ゼオン各7% その他)
 その後、日石化学に事業譲渡して撤退。
 

(産構法時代)

1979年1月には第2次石油危機が発生し、3万円/kl程度であったナフサ価格は一気に6万円/klまで上昇、需要が激減し、不況が深刻化した。

1982年12月石油化学産業体制委員会は、「石油化学工業の産業体制整備のあり方について」を通産大臣に具申した。
内容は、
 ①過剰設備の処理、
 ②投資調整の実施、
 ③生産・販売の合理化のための集約化、
 ④コスト低減対策の実施、
 ⑤海外プロジェクトヘの対応の5項目を骨子とするものであった。

これらの構造不況対策を実施するため、政府は1983年5月24日「特定産業構造改善臨時措置法(産構法)」を施行した。

 産構法の概要は次のとおりであった。
  ①法対象となる業種を特定産業として指定する。
  ②特定産業ごとに構造改善基本計画を策定する。
  ③同基本計画に基づいて、設備の処理を事業者の自主的努力によって行う。

 設備処理は設備廃棄を原則としたが、業界の要請を入れ、設備休止も許容された。

ポリオレフィンの設備処理

1983/6に告示されたポリオレフィン製造業の構造改善基本計画では、過剰設備として83/8現在のポリオレフィン年産能力の22%に当たる902,000t分を処理することになった。
 高圧法ポリエチレン(LDPE)は年産能力の37%に当たる637,000tの設備処理
 中低圧法ポリエチレン(HDPE)は同25%に当たる265,000tの設備処理
 ポリプロピレンは設備の過剰度がそれほど大きくなかったので、設備処理の対象とはならなかった。
 設備の新設、増設および改造は、目標期日までの間は行わないとした。

 各社別処理は下記。

ポリオレフィン共販会社

業界では産構法施行前から新しい体制の検討を始めている。

1982年1229日の報道では、石油化学業界が再編成の焦点となっているポリエチレンなど主力誘導品の生産・販売のグループ化について関係企業18社を3グループに集約することで基本的に合意したとしている。
それによると、
 ①三菱化成・三菱油化・旭化成工業・昭和電工・東燃石油化学・出光石油化学・日本ユニカー (7社)

三菱系2社は同一資本系列。昭和電工は三菱油化と製品融通関係にあり、東燃石化に対して中低圧ポリエチレン工場を売却したいきさつがある。日本ユニカーはその子会社。旭化成は昭電、出光とトップ同士が親密な関係にある。さらに旭化成と三菱化成は岡山県水島地区にエチレンの共同生産会社をもっている。

 ②三井石油化学・三井ポリケミカル・三井東圧工業・日本石油化学・宇部興産 

三井系3社に、三井石油化学とエチレン共同生産会社を持つ日本石油化学が加わる。さらに三井東圧系のエチレン生産会社に出資していて三井グループと関係が深い宇部興産も参加する。

 ③住友化学工業・東洋曹達・新大協和石油化学・日産丸善ポリエチレン・チッソ・徳山曹達

住友化学と、東洋曹達、新大協和石油化学、日産丸善ポリエチレン、チッソの興銀系4社の連合にポリプロピレンを手がける徳山曹達が参加するというもの。

3つのグループのシェアはポリエチレン2品目では、三菱系が約48%、三井系が約30%、住友・興銀系が22%。
ポリプロピレンは三菱系が約38%、三井系が約30%、住友・興銀系が32%となる。

19831月には、宇部興産が三井グループではなく、高圧ポリエチレンを生産している千葉の丸善石油化学コンビナートの運営を重視し、住友化学と興銀系化学会社を核とする第三グループ入りを表明した。

19833月、公正取引委員会は汎用樹脂の共同販売会社設立を目ざしている三菱化成、三菱油化、昭和電工、旭化成、東燃石油化学、出光石油化学、日本ユニカーの石油化学7社の常務クラスの役員を呼び、「7社の共販会社案はシェアが大きすぎるので、再検討したうえ、再提出願いたい」と正式に伝えた。
当時の報道によれば、通産省は4グループ化を主張しており、業界案をバックアップしなかった。
 
これを受けて、7社は2つのグループに分割することを正式に確認した。
三菱油化、三菱化成工業2社と、
昭電、旭化成工業、東燃石油化学、日本ユニカー、出光石油化学の5社で
それぞれ共販会社設立を目指すことになった。

しかし、石化共販4グループ案に対して公取委が難色を示した。
住友・興銀系のシェアは3品目合計で約33%だが、「品目によってはシェアが高過ぎるものもあるはず」とし、また、シェアの高い上位3グループの合計シェアが約80%になることにも公取委は難色を示した。

これに対して業界では特殊品を共販の対象製品から除外することとした。
これによって最大のシェアを握る住友・興銀グループは30%を切り27%台まで低下、上位3グループの合計シェアも70%を下回り67%に落ち着く。

1983524日、「特定産業構造改善臨時措置法(産構法)」が施行された。
これを受けて各グループが正式に申請、承認を受けて7月1日から営業開始した。なお、ユニオンポリマーは新大協和石油化学が出資せず
社となった。


ポリオレフィン共販会社と各社の設備処理

共販会社 出資会社 出資比率
   
(%)
             能力(千トン)
   LDPE    HDPE      PP
 83/8  85/8 増減  83/8  85/8 増減  83/8  85/8 増減
ユニオンポリマー
83/6/17設立
83/7/1営業開始
住友化学工業   18   286   164  -122   -   -  -   144   144    0
宇部興産   18     147    99   -48   -   -  -   105   105    0
東洋曹達   18   167   103   -64    72    52   -20   -   -  -
チッソ   18   -   -    45    35   -10   156   156    0
徳山曹達   14   -   -   -   -  -    95    95    0
日産丸善ポリエチレン   14   -   -    75    54   -21   -   -  -
  100   600   366  -234   192   141   -51   500   500    0
ダイヤポリマー
83/6/17設立
83/7/1営業開始
三菱油化   50   260   185   -75    36    0   -36   190   190    0
三菱化成工業   50   118    58   -60    75    69    -6    35    35    0
  100   378   243  -135   111    69   -42   225   225    0
エースポリマー
83/6/23設立
83/7/1営業開始
昭和電工   20   123    70   -53   122   113    -9    92    92    0
旭化成工業   20   147    96   -51   129    82   -47    0    12   +12
出光石油化学   20     0    38  +38    82    64   -18    80    80    0
東燃石油化学   20  -  -  -    45    37    -8    76    76    0
日本ユニカー   20   185   138   -47  -  -  -  -  -  -
  100   455   342  -113   378   296   -82   248   260   +12
三井日石ポリマー
83/7/1設立
83/7/1営業開始
三井石油化学   25    45    45    0   226   168   -58   121   121    0
三井東圧化学   25  -  -  -  -  -  -   158   198   +40
日本石油化学   25    95    71   -24   100    75   -25     0    28   +28
三井ポリケミカル   25   175   127   -48  -  -  -  -  -  -
  100   315   243   -72   326   243   -83   279   347   +68
合計      1,748  1,194 -554  1,007   749   -258  1,252  1,332   +80

1.産構法に基づく設備処理前(1983/8)と設備処理後(1985/8)の設備能力を対比
2.LDPE欄には、L-LDPEおよびEVAの生産能力を含む
3.HDPE欄では、四日市ポりマー(新大協和石化系)分は東洋曹達分に含めた
4.PPは設備処理の対象外であり、1984/4に操業を開始した
泉北ポリマー分(年産能力80千t)以外は設備能力に変更なし。
  1985/8の生産能力欄では泉北ポリマー分をその出資各社の引取枠に分け、それらを出資各社分に含めた
  (引取枠:三井東圧化学40千t、日本石油化学28千t、旭化成工業12千t)

 

産構法により過剰設備が廃棄され、共販制度により値下げ競争が回避できた中で、1986年第2四半期にナフサ価格が急落した。第1四半期に31,300円/klであったナフサは一気に16,900円/klに下がった。これとともに景気は回復し、石化製品の需要も急増した。

通産省は業界の経営状況が安定し今後環境の激変がない限り構造不況に陥ることはないとの判断から、1987年9月16日にエチレンについて産構法の特定産業指定を取り消し、同時にポリオレフィンと塩ビ樹脂製造業の指示カルテルも取り消した。

 

(ポスト産構法前期)

石化業界では通産省の指導もあり、産構法終了後も産構法精神を維持することとした。
このため、2つの方策が取られた。

①「デクレア方式」(事前報告制度)

今後は設備カルテルは認められなくなったが、新増設の乱立をおさえるため、新増設に当たっては事前に通産省に報告し公表する制度がつくられた。

 具体的には
  ・3万トン/年以上の新増設は着工の6ヵ月前、
  ・3万トン/年以上の設備を改造する場合は着工の3ヵ月前、
  ・休止設備を再開する場合は稼働開始の3ヵ月前
 に通産省に報告して公表することとなった。

②共販制度の維持

公取委は産構法の終了をもって共販会社も解散すべきだと強く主張した。米国の市場開放要請の中に共販制度も参入障害とする指摘があったことも、これを後押しした。

しかし業界では共販制度が価格競争を防ぐ重要な手段として継続を主張、最終的に公取委は、他の共販メンバーとの提携をしないこと、生産・流通・販売の合理化の進展状況を毎年報告することを求めた。

ーーーー

景気の回復により需要が急増し、供給不測に陥り、業界では早くも増産に乗り出した。

まず、産構法で休止した設備の再稼動を行った。通産省は1987年9月16日にエチレンについて産構法の特定産業指定を取り消したが、88年に入り、各社が相次いで休止設備の再稼動に乗り出した。

LDPEでも休止設備の再稼動が行われた。

  旭化成:水島製造所の年産7,300トンの設備を再稼動
  東ソー:四日市工場の年産23,500トンの設備を再稼動
  宇部興産:千葉工場の同24,000トンを再開
  日本ユニカー:川崎工場で同8千トン規模で設備を再稼動
  昭和電工:大分工場で同1万8千トンの設備を再稼動

次いで新規増設の検討が相次いだ。

誘導品では公取委が他の共販メンバーとの提携を認めないため、主に共販単位で新設が行われた。

  会社名 設置場所 能力 出資者 グループ
PE
(LLDPE)
千葉ポリエチレン 住化・千葉  80,000 住友化学/東ソー ユニオンポリマー
宇部興産 宇部・千葉  50,000  
PP 千葉ポリプロ 住化・千葉  60,000 住友化学/宇部興産/トクヤマ/共販会社 ユニオンポリマー
宇部ポリプロ 宇部・宇部  80,000 宇部興産/住友化学/トクヤマ/共販会社
四日市ポリプロ 東ソー・四日市  40,000 東ソー/チッソ/共販会社
浮島ポリプロ 日石・浮島  80,000 日本石油化学/三井東圧/三井石油化学/共販会社 三井日石ポリマー
ディー・ピー・ピー 油化・鹿島  80,000 三菱油化/三菱化成 ダイヤポリマー
化成・水島  50,000
旭化成
後、日本ポリプロ
旭化成・水島  64,000   エースポリマー

各計画の概要は以下の通り。(*は、その後)

千葉ポリエチレン 

設立 1990/2 
出資 住友化学75%/東ソー25%
立地 住友化学 千葉工場内
能力 LLDPE 80千トン
技術 住化新開発の気相法
引取比率 住友化学75%/東ソー25%

 LLDPE化の進む中で、LLDPEを持っていなかった住友化学が、東ソーと組んで、自社技術での製造を行うもの。
 当初は輪番構想で、2期として東ソー・四日市で建設することとしていたが、後、東ソーが権利放棄
        
 
* 200412末にJV解消し、住化100%とした
   工場は能力10万トンにアップし、住化の次世代型ポリエチレン(EPPE)用に使用している。

宇部興産

立地 宇部興産 千葉工場内
能力 LLDPE 50千トン
技術 BPの気相法

 住友化学は下記のPPと同様、ユニオンポリマーでの共同生産を考えたが、宇部興産から単独で新設した。
 1989年スタート。

 *その後、販売不振で停止。
  1994年11月、三井石油化学と提携、三井のメタロセン触媒による気相法LLDPEの商業規模での試験生産に使用
  (異なる共販メンバーだが、公取委は単なるライセンスとして問題視せず)

千葉ポリプロ

設立 1988/7 
出資 住友化学 47.5%/宇部興産 31.7%/徳山曹達 15.8%/ユニオンポリマー 5.0%
立地 住友化学 千葉工場内
能力 PP 60千トン
技術 住化新開発の気相法(直前にシンガポールのTPCで工場建設)
引取比率 住友化学 30千トン/宇部興産 20千トン/徳山曹達 10千トン

 産構法が期限切れとなる1988/6/末を期限に、ユニオンポリマーのメンバー会社である住友化学、宇部興産、徳山曹達などが協議を重ねた結果、3社が共同して住友化学の気相法により新鋭プラントを建設することで合意した。
 
 なお、ユニオンポリマー内で新しくPPに進出したいとする東ソーに対しJVへの参加を勧めたが、同社は自社での製造に拘り、参加を断った。同じユニオングループのチッソは単独でのPP増設を計画した。

 共販体制下での行動であることから、共販会社のユニオンポリマーも資本参加した。

宇部ポリプロ

設立 1990/12
出資 宇部興産 47.5%/住友化学 29.69%/徳山曹達 17.81%/ユニオンポリマー 5.0%
立地 宇部興産 宇部工場内
能力 PP 80千トン
引取比率 宇部興産 40千トン/住友化学 25千トン/徳山曹達 15千トン

 千葉ポリプロの第二期として輪番で宇部興産が建設。

  *1995/9  ユニオンポリマー解散
   1995/10 宇部興産が三井石油化学とグランドポリマー設立
           宇部興産の千葉ポリプロ持株と住化の宇部ポリプロ持株を交換
   1999/4  宇部興産が宇部ポリプロ持株をグランドポリマーに譲渡
   2002/4  三井化学がグランドポリマーを吸収合併 
          (宇部ポリプロ 三井化学 81.25%/トクヤマ 18.75%
   2003/4  トクヤマが宇部ポリプロ持株を三井化学に譲渡(三井化学100%に)
   2001/6  トクヤマが千葉ポリプロ持株を住友化学に譲渡(住友化学100%に)

四日市ポリプロ

設立 1988/7
出資 東ソー 47.5%/チッソ 47.5%/ユニオンポリマー 5.0%
立地 東ソー四日市工場内
能力 PP 40千トン
技術 チッソの気相法
引取比率 東ソー 20千トン/チッソ 20千トン

 ユニオンポリマーのメンバーでPP新規進出を希望する東ソーは四日市での工場建設を主張して千葉ポリプロへの参加を拒否、単独でのPP増設を計画していたチッソと提携、当初チッソ品で販売を行い、両社折半出資の生産会社を設立した。   

 * 1995/9  ユニオンポリマー解散
   1995/10 東ソー PP営業権をチッソに譲渡
            出資比率  チッソ80%、東ソー20%
           引取比率  チッソ 100%
   1999/7   チッソ100%
   2003/9   チッソが吸収合併

浮島ポリプロ

設立 1988/4
出資 日本石油化学 30%、三井東圧 30%、三井石油化学 30%、三井日石ポリマー 10%
立地 日本石油化学 川崎工場内
能力 PP 80千トン
引取比率 日本石油化学三井東圧三井石油化学 各1/3

 日本石油化学は三井東圧とのPPのJV・泉北ポリマーに参加し、PPを販売しているが、自社での生産を希望 した。

  * 1995/9  三井日石ポリマー解散(同社持分解消)
    1995/10
 日本石油化学、ポリオレフィン事業を昭電とのJV日本ポリオレフィンに統合
    1995/10 三井石油化学、PP事業を宇部興産とのJVグランドポリマーに統合
    1996/3  三井東圧が資本撤退(泉北ポリマーと交換)→日石化学 66.7%、三井石化 33.3%
    1997/7  三井石化、三井東圧が合併、三井化学誕生→日石化学 66.7%、三井化学 33.3%
    1999/4  日石化学 100%
           三井化学のそれまでの引取枠(33.3%)見合いの製造受託 (2002/3 解消) 

 

  参考 泉北ポリマー

設立 1977/4
出資 当初 三井東圧化学50%/本石油化学50% (日石化学のPP進出)
1981/3 三井東圧化学50%/日本石油化学35%/旭化成15% (旭化成のPP進出)
立地 三井東圧化学・大阪工場内
能力 PP 80千トン
引取比率 三井東圧 50千トン/日石化学 28千トン/旭化成 12千トン
備考 1984/4 営業運転開始 産構法でこの分だけ増加が認められた。

  * 1995/3 旭化成PP撤退で全株を三井東圧に譲渡
    1996/3 三井東圧100%、吸収合併 (浮島ポリプロと交換)

 

ディー・ピー・ピー 

  1989/11 三菱油化と三菱化成はPPプラントを東西に1ヵ所ずつ建設すると発表した。

出資 三菱油化 50%/三菱化成 50%
立地 三菱油化 鹿島工場 三菱化成 水島工場内
能力 PP 80千トン PP 5万トン
技術 三菱油化の気相法 三菱化成の気相法

  両社の既存プラント(水島工場41千トン、鹿島・四日市251千トン)のうち、3万トン分を鹿島新プラント稼動開始に合わせて休止
   
   
* その後、三菱化学が吸収 

旭化成(後、日本ポリプロ)

立地 旭化成 水島工場
能力 PP 64千トン
技術 BASF法気相法

 旭化成は泉北ポリマーに参加し、製品を引き取って販売していたが、自社での生産を希望、1990年に水島製造所にポリプロピレン製造プラントを新設した。

   *1994/10 旭化成はPP事業からの撤退を決め、昭和電工に譲渡した。泉北ポリマーからも資本撤収。
        (昭和電工はPS事業からの撤退を決め、旭化成に営業権を譲渡している)

    1994/8 昭和電工と旭化成は工場の運営のため日本ポリプロを設立
         昭和電工 66.7% 旭化成33.3%
         旭化成は製造受託者としての出資で製品引取権はなし。

     昭和電工の日本ポリオレフィン設立で株主は日本ポリオレフィンとなる。

    1999/3 プラント停止、その後解散

 以上の各計画のうち、
 *東ソーはPPに新規進出
 *日石化学は泉北ポリマーに参加しているが、自社プラント内に初めてプラント建設
 *旭化成も泉北ポリマーに参加しているが、自社プラント内に初めてプラント建設

 *このほか、日本鉱業も新規参入を狙い、輸入販売を始めた。

 

各社の増設の結果、ポリオレフィンの各社の能力は1993年8月時点で以下の通りとなり、産構法以前の能力をはるかに上回るものとなった。

  産構法設備処理 1993/8 
  前   後
LDPE  1,741  1,194  2,257
HDPE  1,052   749  1,279
PP  1,252  1,332  2,568

 

LDPE能力     単位:千トン

    産構法設備処理 1993/8  うち新設
  前   後
住友化学 大江    96     0     0  
千葉   190   164   205  
JV   ー   ー    60 千葉ポリエチレン
(計)   (286)   (164)   (265)  
東ソー 南陽    81    41   181  
四日市    86    62
JV   ー   ー    20 千葉ポリエチレン
(計)   (167)   (103)   (201)  
宇部興産 千葉   147    99   197 BP法LL 50
三菱油化 鹿島    60   115   325 HD併産 36
四日市   200    50
(計)   (260)   (165)   (325)  
三菱化成 水島   118    78   148  
鹿島   ー   ー    13 HD併産 13
(計)   (118)   (78)   (161)  

三井石化

(三井デュポン)

千葉   ー   ー    82  
岩国   ー    45    45 (HD枠振り替え)
千葉   100   100   112  
大竹    75    27    58  
(計)   (175)   (172)   (297)  
日石化学 川崎    95    71   158  
日本ユニカー 川崎   185   138   290  
旭化成 川崎    33    0    0  
水島   114    96   141  
(計)  (147)   (96)   (141)  
昭和電工 大分   123    70   166  
出光石化 千葉    38    38    56  
合計    1,741  1,194  2,257  

 

HDPE能力    単位:千トン

    産構法設備処理 1993/8 うち新設       
  前   後
チッソ 五井    45    35    63  
東ソー 四日市    72    52   115  
丸善ポリマー 千葉    75    54    91  
三菱油化 鹿島   ー   ー    36 LLDPE併産
四日市    36   ー   ー  
(計)   (36)    (0)   (36)  
三菱化成 水島    75    69    94  
鹿島   ー   ー    13 LLDPE併産
(計)   (75)   (69)   (107)  
三井石化 千葉   172   164   204  
大竹    99    4
(計)   (271)   (168)   (204)  
日石化学 川崎   100    75   135  
旭化成 水島   129    82   126  
日本ユニカー 川崎   ー   ー    10  
昭和電工 大分   122   113   197  
出光石化 千葉    82    64   110  
東燃化学 川崎    45    37    85  
合計    1,052   749  1,279  


PP能力    単位:千トン

    産構法設備処理 1993/8  うち新設
   前   後
住友化学 大江     6     6     0  
千葉   138   138   200  
JV   ー   ー    61 千葉PP 36、宇部PP 25
(計)   (144)   (144)   (261)  
宇部興産   105   105   133  
JV   ー   ー    64 千葉PP 24、宇部PP 40
(計)   (105)   (105)   (197)  
徳山曹達 徳山    95    95   132  
JV   ー   ー    27 千葉PP 12、宇部PP 15
(計)   (95)   (95)   (159)  
チッソ 五井   156   156   237  
JV   ー   ー    28 四日市PP 28
(計)   (156)   (156)   (265)  
東ソー JV   ー   ー    28 四日市PP 28
三菱油化 鹿島   100   100   194  
四日市    90    90    79  
JV   ー   ー    80 DPP鹿島 80
(計)  (190)  (190)  (353)  
三菱化成 水島    35    35    42  
JV   ー   ー    50 DPP水島 50
(計)   (35)   (35)   (92)  
三井石化 千葉   121   121   175  
JV   ー   ー    30 浮島PP
(計)   (121)   (121)   (205)  
三井東圧 大阪    61    61   136  
大竹    97    97    0  
JV   ー    40    44 泉北ポリマー
JV   ー      30 浮島PP
(計)  (158)  (198)  (210)  
日石化学 JV   ー    28    30 泉北ポリマー
JV   ー   ー    35 浮島PP
(計)   (0)   (28)   (65)  
旭化成 JV   ー    12    13 泉北ポリマー
水島   ー   ー    64  
(計)   ( 0)   (12)   (77)  
昭和電工 大分    92    92   216  
出光石化 千葉    80    80   240  
東燃化学 川崎    76    76   200  
合計    1,252  1,332  2,568  

産構法ではPPは設備廃棄なし、泉北ポリマー80千トン増設

(続く)

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2006年9月28日 (木)

カリフォルニア州、温暖化問題で自動車メーカーを訴訟

カリフォルニア州政府は20日、自動車からの温暖化ガスで数十億ドルの損害が出ているとして、自動車メーカーを訴えた。
訴えられたのは、GM、フォード、トヨタ、ダイムラー・クライスラーのクライスラー部門、ホンダ、日産の6社。

カリフォルニア州は連邦EPAが1970年にClean Air Act に基づき設立されたのに先立ち、1967年にAir Resources Board を設置し、翌年に自動車の公害規制を行っており、そのことから固有の公害規制を行う権利を与えられている。
同州は
2004年に自動車の二酸化炭素排出を規制したが、これに対して自動車メーカーは二酸化炭素を汚染物質と誤って定義しているとして訴訟している。

州議会は8月31日には温室効果ガスの排出を規制する地球温暖化法を通した。シュワルツネガー知事は月末にもこれを承認すると見られている。
(付記 9月27日に法案に署名)
この法律では州の地球温暖化ガスの排出を2020年までに1990年のレベルに下げることを求めており、法規制により2012年以降排出を抑えることとしている。このためカリフォルニア大気資源委員会に規則と報告システム、排出レベル監視体制の作成を求めている。

自動車メーカーは法手続きでこれらの規則の廃棄に動いており、今回の訴訟は自動車メーカーにこれら規則を受け入れさせるための圧力と見られている。

訴訟では自動車の排気ガスが、州民の健康を損ない、環境を破壊し、州政府に対応のために数百万ドルの支出を強いているとしている。州司法長官は、地球温暖化対策のために納税者が負担するカネを自動車メーカーに負担させるためのものとしている。

州司法長官は本年退任することとなっており、11月の選挙で州の出納局長に立候補する。今回の訴訟を選挙のためと見る向きもある。

自動車メーカー側は、業界は既によりクリーンで、より燃料効率のよい車を作っていると主張、この訴訟を迷惑訴訟(a ''nuisance'' suit)と呼び、対応を検討するとしている。

既報の通り、「マサチュセッツ州 vs 連邦EPA」裁判と呼ばれる裁判で、12の州や環境団体がEPAに対して Clean Air Act に基づき二酸化炭素等の排出規制をするべきだと訴えており、米国最高裁は、二酸化炭素に関する温室効果ガス規制問題を最も重要な環境問題の一つであるとし、これについて審議することを決めた。10月に始まる2006-07年度で審議、来年6月頃に判決が出ると見られる。
2006/7/8 「
温暖化問題で米国最高裁が審議」参照 

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2006年9月27日 (水)

信越化学、300mmウエハー生産能力の大幅増強を決定

信越化学は28日、全世界で需要が急伸している300mmシリコンウエハーを供給する世界最大のメーカーとして、生産能力の大幅増強を発表した。2007年秋を目処にグループの生産能力を月産100万枚まで増強する計画で、急増する全世界の顧客の需要に即応する体制を築き、300mmシリコンウエハーのトップメーカーとしての責務を果たすとしている。

信越グループは、ICの基板になるシリコンウェハーの世界のリーディングカンパニーとして大口径化、ハイフラットネスの最先端を走り、次世代の300mmウェハーやSOIウェハーの製品化にもいち早く成功した。日本、アジア、アメリカ、ヨーロッパにシリコンウェハー生産拠点を持ち、その総生産量は世界最大。

地域 会社名
日本 信越半導体
北米 S.E.H.アメリカ
アジア 台湾 台湾信越半導体
マレーシア S.E.H.マレーシア
S.E.H. (Shah Alam)
英国 S.E.H.ヨーロッパ

同社は当初、2006年秋までに月産50万枚にするとしていたが、需要の伸びに対応して前倒しを行い、現在能力を月産70万枚に引き上げている。
今回1,200億円を投じて2007年秋に月産100万枚体制にするもの。これを含めた300mm事業への総投資額は4,000億円になる。Siliconwaferprocess

増設は災害リスクを勘案して、信越半導体㈱白河工場、SEHアメリカ、グループ会社の三益半導体工業(高崎市)に加え、新たに長野電子工業(長野県千曲市)で投資を行い、拠点を通じ需要家への安定供給を図る。

シリコンウエハーは高純度のシリコンの種結晶を円柱状に成長させたインゴットを薄くスライスして製造するが、原料の単結晶(インゴット)も、既存の白河工場とSEHアメリカの増強に加え、信越半導体武生工場(福井県越前市)でも生産する。

シリコンウェハーの2005年の世界シェアは添付の通りで、信越が32%、SUMCOが222%だが、SUMCOはコマツ電子の買収で合意しており、信越とSUMCOは拮抗することとなる。信越は今回の増設でSUMCOを突き放す。Siliconwafershare

SUMCOは住友金属工業のシチックス事業本部(旧住友シチックス、当初は大阪チタニウム)と三菱マテリアルシリコン(旧チッソ電子化学+日本電子金属)が2002年に事業統合したもので、当初の社名は三菱住友シリコン。2005年8月に現社名に改称した。

両社は事業統合に先立ち、1999年に共同出資会社のシリコン・ユナイテッド・マニュファクチュアリング(SUMCO)を設立し,300mmウエハーの技術開発及び試作品用生産設備の管理・運営を共同で行った。現在の社名はこれを踏襲したもの。

シリコンウェハーの製造では米国に SUMCO Phoenix、SUMCO Southwest、フランスにSUMCO France、インドネシアに SUMCO Indonesia をもっている。

 

同社は2006年6月に、小松製作所の子会社(61.9%保有)のコマツ電子金属の株式総数の51%取得を目指すTOB実施を決めた。小松製作所は全所有株式でTOBに応募することを決めている。

コマツ電子金属は1960年の設立で、シリコンウェーハの製造・販売を業とし、長崎、宮崎、台湾に製造拠点を持っている。
台湾子会社は台湾小松電子材料で、コマツ電子金属が 51%、台湾プラスチックグループ が49%を出資し、麦寮の台塑工業園区に230億円を投じて月産10万枚の300mmシリコンウェハー工場を建設中。

SUMCOとコマツ電子金属はいずれもシリコンウェーハ専業メーカーで、大口径の300mmから小口径特殊品、高精度品までの幅広い事業分野をカバーしており、買収により、「相互に類似的、補完的な要素技術を持つ2社が、今後統合された事業戦略を共有化していくことにより、新しいSUMCOグループとして顧客の満足度を向上させていくことを目指す」としている。

Siltronic AGはWacker Chemie の子会社でMunich に本拠を置くシリコンウェーハ事業会社。ヨーロッパ、USA、東南アジア、日本の4大市場に工場を保有する。
工場はドイツのブルグハウゼンとフライベルグの2地区、米国ポートランド(オレゴン州)、シンガポール、光(山口県)、マレーシアにある。
光工場はワッカー・エヌエスシーイーの工場で、2000年に新日鐵100%子会社の旧ニッテツ電子にWacker が55%出資した。
2003年にWacker が顧客ニーズへの迅速な対応力を強化するために100%子会社とした。山口県光市とマレーシアのケタ州クリムに工場をもっている。

同社は昨年、ドイツの2工場で300mmウェーハの増設を決めた。136百万ユーロを投じ、ブルグハウゼン工場の能力を月産75千枚から135千枚に、フライベルグ工場能力を15万枚から20万枚に増やす。

また同社は本年7月、韓国の三星電子とのJV、Siltronic Samsung Wafer Pte. Ltd.をシンガポールに設立し、300mmウェーハを製造すると発表した。同社の工場に隣接し、10億米ドルを投じて建設、2008年央に完成、2010年には月産30万枚の製造を予定している。

現在、Wacker が Siltronic を米国の投資会社 Francisco Partners に売却する交渉を行っているとの噂が流れている。.

MEMC
1959年にMonsanto Chemical が米国でシリコン製造のためMonsanto Electronic Materials Company を設立した。
欧州では
1961年にDynamit Nobel Silicon がイタリアにシリコン工場を建設している。

1989年にドイツのVEBAの子会社 Huls がMonsanto から同社を買収、別途1987年に買収したDynamit Nobel Silicon と合併させ、MEMC Electronic Materials, Inc とした。MEMCのブランドが有名なため、この名前を残した。

1995年にNew York で上場、その後もHuls は72%の株を持っていたが、Huls の親会社 VEBA VIAG と統合して E. On になり、E. On は同社の売却を決め、2001年にTexas Pacific Groupに全持株を売却した。Texas Pacific はその後、大部分を売却し、25%を保有している。

MEMCは1991年に韓国で三星電子、Pohang Iron & Steel POSCO)とのJVのPosco Huls を設立した。 2000年に MEMC POSCO の持株を買収して80%の株主となり、社名をMEMC Korea Company.と改称した。

また、1994年には台湾で China Steel その他とのJV、Taisil Electronic Materials, Inc.を設立した。2005年には台湾初の300mm ウェーハをスタートさせた。(現在MEMC 100%)

1995年にはTexas Instruments とのJV、MEMC Southwest, Inc.を設立し、Texas Instruments の既存プラントを活用している。(現在MEMC 100%)

製造立地:
 St. Peters   St. Peters, MO  世界本部
 Southwest   Sherman, TX  1997年稼動、当初Texas Instruments とのJV
 Pasadena   Pasadena, TX
 MEMC Japan   宇都宮 (MEMC100%)
 Taisil   台湾・新竹、当初China Steel その他とのJV
 マレーシア   Kuala Lumpur
 MEMC Korea   Chonan City (80% MEMC, 20% Samsung Electronics 
 イタリア   Novara, Italy
    Merano (Bolzano) Italy

 

 

参考 信越化学 連結営業損益

電子材料部門は、半導体シリコン、電子産業用希土類磁石、フォトレジスト製品・電子産業用有機材料を含む。
2006年3月期決算で、電子材料の売上高3,614億円のうち、半導体シリコンは3,057億円
営業損益653億円のうち、半導体シリコンは529億円を占める。

Shinetusegeigyo_1  

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2006年9月26日 (火)

中国、輸出増価税リベート変更

中国財務部、国家発展改革委員会、税関総局、税務総局は、9月14日共同で、特定製品の輸出増価税リベートを変更すると発表した。9月15日から適用される。

輸出増価税リベートとは輸出製品の購入の際の増価税、輸出製品の製造のための原料やサービスの購入時の増価税を払い戻すもの。
中国では財、サービスの販売時、輸入時には原則17%の増価税(付加価値税)がかかる。製品販売者は製品の販売にかかわる増価税とその購入又は製造にかかわる原料サービスの購入の代価に含まれる増価税との差額を納付する。
(日本の消費税の仕組みと同じ)

製品の輸出に関しては増価税は免除される。その製品の購入又は製造にかかわる原料サービスの購入の代価に含まれる増価税に関しては、(日本では全額控除されるが)、中国では政策的にその全部又は一部がリベートとして払い戻される。
リベート率11%とは購入代価に含まれる17%(一般品)の増価税のうち11%相当分を払い戻すことになる。残りは輸出業者の負担となる。

今回、特定製品についてはリベートをゼロとしたり、リベート率を引き下げたり、引き上げたりしている。
リベート率を下げると輸出業者の負担が増え、輸出価格引き上げにより輸出競争力が弱まる。逆にリベート率の引き上げは輸出促進に役立つ。リベート率引き下げは国や地方政府の支出を減らす効果を生む。
リベート率引き下げに含まれる繊維や家具は米国などで中国からの輸出増大が大問題となっている。

通達では今回の変更は本年度に政府が行うマクロ経済の調整の一つであり、産業構造を改善し、貿易の伸びを促進し、貿易収支の均衡を推し進めるためのものとしている。

今回の変更点は以下の通り。

(1)リベート制度の廃止(=強い輸出抑制)

 ・関税番号 25XX(但し塩、セメント等は除く)
   例:石炭、天然ガス、オレフィン、シリコン、stone material, ferrous metal, scrap
     *塩は13%のまま、セメントは13%から11%に引き下げ

 ・25種類の農薬と医薬中間物、革製品、鉛電池、酸化水銀電池、その他

(2)リベート率引き下げ(=輸出抑制)

  改正前 改正後
鉄鋼(関税番号 142X) 11% 8%
陶器、特定の革製品 13% 8%
セメント、硝子 13% 11%
特定の鉄金属 13% 5%、8%、11%
繊維、家具、プラスチック、ライター、特定の木製品 13% 11%
手押車と部品 17% 13%

(3)リベート率引き上げ(=輸出促進)

 ・IT関連製品、バイオ医薬品、国家産業政策により輸出促進を図るハイテク製品
   13%から17%に引き上げ

 ・農業加工製品
   5%から11%または13%に引き上げ

それぞれの具体的な関税番号別明細(中国語)は http://www.mofcom.gov.cn/accessory/200609/1158299499802.xls

 

参考 中国の増価税(VAT=Value Added Tax) 制度

中国の増価税は1984年に24品目で開始され、1994年1月から暫定増価税規則により全面的に実施された。税収は75%が中央政府、25%が地方政府の収入となる。2002年の税収は8,141億人民元(約12兆円)で、国家の全税収の47.61%に達する。

納税者   製品の販売、加工、修理、組み立てサービス、輸入を行う企業及び個人
     
税率  
種類 Rate
製品の輸出(特定品を除く)                              0
農業、林業、畜産、水産製品
野菜、穀物
水道水、光熱、温水、ガス、LPG、天然ガス、家庭用石炭・木炭
本、新聞、雑誌(郵送の新聞雑誌は除く)
飼料、化学肥料、農薬、農業用機械、農業用フィルム
特定の金属、非金属製品、石炭
13%
原油、岩塩
上記以外の全製品

課税のサービス
17%
     
納税額   販売に伴うVAT額 マイナス 同じ期間の購入に伴うVAT
(引き去り不足は次期に繰り越し)
     
輸入品
VAT
  (通関額+関税) x 税率
  他の税金がかかる場合はそれを加える。
     
輸出品の
VATリベート
  製品により、3%5%8%13%17%の還付を受ける。
 (今回、
11%0%が追加された)

 

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2006年9月25日 (月)

ナフサ価格 急落 (2006/9)

ナフサや原油の価格が急落している。Naphthaoilprice
ナフサ価格(東京オープン スポット)は本年7月14日に691ドル/tの最高値から、8月は平均637ドルに下がり、9月上旬は600ドル近辺であったが、中旬には550ドル近辺に下がり、20日は532ドル、21日は527ドルと急落した。22日は528ドルで1日からの平均は562ドル。

ドバイ原油(東京市場)も8月8日の72.30ドル/バレルの最高値から、9月21日には56.30ドルに下がった。

ニューヨーク原油(WTI)価格も過去最高(一時)は7月13日の78.40ドル/バレルであったが、9月21日は一時、59.80ドルと60ドルを割り、3月21日(59.60ドル)以来約半年ぶりの安値を付けた。

そもそも、現在の原油高には3つの理由がある。

第一は需要面で、米国景気の好調のほか、特に中国の需要増が影響する。

第二は供給面で、OPECは10月以降も現行生産枠(日量2,800万バレル)を据え置くが、余剰生産能力が200万バレル程度しかない。
そういう状況のなかで、イラン問題や産油国での紛争、アラスカのプルドー湾油田の操業停止など、供給面の不安がある。
原油生産量が頭打ちになるという「ピークオイル説」も根強い。「安く手に入る従来型油田に限れば、10~20年もせずにピークが来る」と言われている。

最後は投機によるもので、実はこれが最も大きな問題である。

OPECは2005年7月から生産枠を実際の生産に合わせて2,800万バレルとしたが、それ以降は「供給は十分」として生産枠の引き下げを主張してきた。しかし、価格が上昇を続けるため、生産枠を維持した。
価格上昇の主な理由は投機資金の流入で、米国の年金資金等が大量に入り込んでいる。

 

ここにきて、状況に変化が見え始めた。Ushousingstartmonthly

9月20日に米エネルギー省が発表した週間在庫統計で、ガソリンやヒーティングオイルの在庫が前週から増加したことなどを受け、需給緩和観測が出てきた。
昨年まで上昇を続けてきた米国の住宅建設は、金利上昇を背景に1月から減少に転じ、8月の着工件数が2003年4月以来の低水準となったように、米経済の減速が明らかになった。

供給面ではOPEC議長が、加盟各国が現在は日量200万バレル前後の余剰能力を400万バレル程度に設備増強に努める方針であることを明らかにした。
ニューヨークで開催中の国連総会を機に、核開発を巡るイランとの対話が進んでいると見られていることも、売り材料となった。
欧米石油メジャーやブラジルなどはバイオ燃料開発に動いている。

原油に投じられていた投資マネーが天然ガス価格の急落でヘッジファンドが破綻したことや米国景気の減速を材料に、リスクの高い原油先物から安全な米国債に逃避する動きが加速し始めた。

米ヘッジファンドのアマランス・アドバイザーズ(Amaranth Advisors)が50億ドルの損失を計上して事実上解体を余儀なくされ、マザーロック(MotherRock) も解散に追い込まれた。
天然ガスは原油などに比べ流動性に乏しいが、両社は借入金を増やして購入額を膨らませていた。
NYMEXの天然ガス先物は昨年12月に百万BTU(英熱量単位)当たり15ドルと最高値を付けたが、最近になって下げ足を加速、先週は一時4ドル台に下がった。この結果、先物投資で大量の買い持ちのある両社は相場急落の局面で大きな損失を出した。

この報道を受け、原油を含む商品先物全般で売り優勢になった。

これまでの原油高を支えていた投機マネーが原油から逃げ出せば、原油価格やナフサ価格は更に下がる可能性がある。

 

石油化学業界にとって、この急落は好ましいものではない。

グラフの東京オープンスペックのナフサ価格は2ヵ月後入着品の価格である。7月、8月の高値のナフサは9月、10月に入ってくる。これらの価格上昇分はまだ転嫁できていないが、交渉時のナフサ先物価格が大きく下がっておれば、この分の転嫁についての需要家の説得は困難である。需要家は逆に価格引下げを強く要求するだろう。

因みに、ナフサ100$/トンの下落は Kl 当たりで8,000円程度の値下がりとなり、PE、PPで16円/kg、塩ビで8円/kgに相当する。

同様の理由で中国を中心としたアジア市況も下がるのは必至であり、輸出価格の低下につながると同時に、国内需要家の値上げ拒否、値下げ要請の理由にもなる。輸入圧力が強まることも国内の需要家に有利に働く。

中国バブル発生以前には原料価格アップ分の転嫁は難しかった。中国バブルの中での原油バブルがアジア市況を引き上げ、これが国内価格引き上げに役立った。中国バブルがはじけようとする中での原油バブルの破裂は、中国バブルに対応した各国の能力増のなかで、以前よりも、石化メーカーにより不利に働くであろう。

付記

 2006/7/17  「原油、ナフサ価格 急上昇
 2006/7/29  2Qの国産ナフサ基準価格 49,800円/klに」 (「国産ナフサ基準価格」の説明)
 2006/11/1  速報 3Q国産ナフサ価格 54,100円/kl に
 2007/1/31  速報 2006/4Q 国産ナフサ価格 決定」 
 2007/3/17  「OPEC総会、生産量維持を決定 
 2007/4/18  「ナフサ価格、高騰続く」 

なお、http://kaznak.web.infoseek.co.jp/new.htm で原則として毎日、グラフを更新しています。

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2006年9月23日 (土)

エチレン業界の変遷-2

ポスト産構法時代

産構法により過剰設備が廃棄され、共販制度により値下げ競争が回避できた中で、1986年第2四半期にナフサ価格が急落した。第1四半期に31,300円/klであったナフサは一気に16,900円/klに下がった。これとともに景気は回復し、石化製品の需要も急増した。

通産省は業界の経営状況が安定し今後環境の激変がない限り構造不況に陥ることはないとの判断から、昭和62年9月16日にエチレンについて産構法の特定産業指定を取り消し、同時にポリオレフィンと塩ビ樹脂製造業の指示カルテルも取り消した。

産構法後期に各社の業績は回復したが、ナフサ価格下落による需要の増大に負うところが大きい。産構法で抜本的な構造改革をしたのではなく、小規模多数メーカーの存在という状況には変わりがなく、一時的なカルテルによる時間稼ぎという意味が強い。このため、需要が再度減少した場合は再度、昔の繰り返しとなることが懸念された。しかし、産構法が終了した後、再度カルテルに戻ることは認められない。このため、今後とも産構法の精神を維持しようとして、2つの対応が取られた。

一つは「デクレア方式」で、もう一つはポリオレフィン及び塩ビの共販制度の維持である。

デクレア方式は事前報告制度で、産構法終了により今後は設備カルテルは認められなくなったが、新増設の乱立をおさえるため、新増設に当たっては事前に通産省に報告し公表する制度がつくられた。
具体的には
 ・3万トン/年以上の新増設は着工の6ヵ月前、
 ・3万トン/年以上の設備を改造する場合は着工の3ヵ月前、
 ・休止設備を再開する場合は稼働開始の3ヵ月前
に通産省に報告して公表することとなった。

景気の回復により供給不測に陥り、業界では早くも増産に乗り出した。

まず、産構法で休止した設備の再稼動を行った。通産省は1987年9月16日にエチレンについて産構法の特定産業指定を取り消したが、88年に入り、各社が相次いで休止設備の再稼動に乗り出した。

  出光石油化学:3月中に49,120トンを再開、6-7月に合わせて 50,960トンの設備の稼動
  三菱油化:2月に25,500トン、3月に22,900トンの設備を再稼動
  丸善石油化学:3月中に 22,000トンを再稼動
  新大協和石油化学:4月に24,200トンを稼動し、7月にはさらに29,940トンの再開
  大阪石油化学:5、7月に合わせて6万トンの再稼動
  山陽エチレン:7月に20,700トンを再稼動   
  昭和電工:年産22万トン設備のうち12万5千トン分を8月から再開

 この結果、産構法の指定解除後、再開する設備の合計能力は年間45万1,120トンとなった。

 

次いで新規増設の検討が相次いだ。

19896月、産業構造審議会化学工業部会が「1990年代における石油化学工業及びその施策のあり方について」と題する答申を出し、 「国際化」、「共同化」および「個性化」が重要であるとしてエチレン供給については設備建設の共同化、大型化を提案した。

エチレンでは出光石化が以前に認可を得ていた30万トン計画で、産構法でも既存設備216千トンの部分休止を前提に認めれられていた220千トンの新設(精製能力300千トン)を産構法期間中にスタートさせているが、産構法終了後、三菱油化の鹿島2期(326千トン)のほか、丸善石化の京葉エチレン(600千トン)、宇部エチレン(500千トン)新設が計画され、三菱油化の鹿島2期と京葉エチレンが実現した。

 三菱油化・鹿島期 326千トン 1992/5 稼動

同社は1980年代後半にスチレンモノマーの輸出で膨大な利益を上げたが、同社は経理の健全化よりも利益を表に出し、高い株価で時価発行で増資し、設備増設を行った。
エチレンやSMは外販分が多いが、その後の輸出価格の下落で増設分が足を引っ張ることとなる。

 京葉エチレン 600千トン 

京葉地区にある丸善石油化学、住友化学、三井石油化学はいずれもオレフィン不足の状況にあった。
1991
9月、丸善石化は需要に見合ったオレフィン供給体制の構築を図るため、100%出資の新会社「京葉エチレン株式会社」を設立した。
計画では、新会社のエチレン設備の年産能力は、住友化学と三井石油化学に各年間15万
トンの供給を前提に、国際的な規模と競争力を有し、効率的な60万トンとし、丸善石油化学千葉工場内に20038月に稼働開始の予定であった。
京葉地区にある4カ所のエチレンセンター
出光石油化学を含むは、従来からエチレン設備をパイプラインで相互に結ぶいわゆるコンビネーテッドコンビナートであったが、これを契機に3社間でエチレンに加え、プロピレン、ベンゼン、分解重油などがこの配管で結ばれた。

エチレン設備は20041月に完成したが、事業環境の悪化で営業運転開始は同年12月になった。
住友化学と三井石油化学は25%ずつの引取りを行ったが、異なる共販メンバー同士の提携を避けるため、出資については当初は行わなかった。

19959月に三井日石ポリマー、ユニオンポリマーが解散したのを受け、199512月に住友と三井は京葉エチレンに資本参加した。

  出資比率 取引比率
丸善石化   55.0%    50%
住友化学   22.5%    25%
三井石化   22.5%    25%

 宇部エチレン構想

宇部興産は宇部市の西沖の山埋め立て地に50万トンエチレンを建設する計画を立てた。
出資:宇部興産
50%/三井東圧 25%/日本石油化学 25%

これを前提に同地に、宇部ポリプロ(宇部興産/住友化学/徳山曹達)のPPプラントと、将来のJV化を前提に三井東圧のSMプラント(三井東圧、宇部興産、鐘淵化学が固定費負担で引取り)を建設した。

しかしその後、エチレン構想は中止となった。
現在はPPはプライムポリマー、SMは太陽石油化学(三井化学から買収)が運営している。

 

この結果、エチレンの各社の能力(単位:千トン)は1993年8月時点で以下の通りとなり、産構法以前の能力をはるかに上回るものとなった。                      

    産構法設備処理 1993/8
定修有
  前   後
三菱油化 鹿島
鹿島2期
四日市
(計)



( 800)
  299
   ー

  211
(
  510)
  395
  326
  276
(  998)
三菱化成 水島   537   360   450
住友化学 千葉
愛媛
  569
  160
  345
    0
  380
日石化学 川崎   583   312   394
三井石化 千葉
岩国
(計)
  496
  292
(  788)
  496
    0
(  496)
  553
    0
(  553)
丸善石化 千葉   505   373   480
出光石化 千葉
徳山
(計)


(  380)
  220
  164
(  384)
  341
  438
(  779)
東燃石化 川崎   573   350   463
東ソー 四日市   361   266   377
大阪石化   320   252   350
山陽石化 水島   390   348   440
昭和電工 大分   541   320   709
合計    6,347  4,316  6,372

他に 京葉エチレン 600千t が199412月に稼動 

ポスト産構法後期

能力の急増に対し、需要の方はバブル崩壊で逆に減少した。アジアの需要は増えつつあったが、欧米が好況の際には輸出を減らすためアジアの市況は高騰するが、逆に欧米が不況になると各社一斉にアジア向けに輸出を行うため、市況は急落した。

この結果、各社の業績は悪化したが、再びカルテルで逃げる道は既に封鎖されており、生き残りの策の検討を開始した。

三井の事業統合検討

1992年4月、新聞に三井東圧と三井石化が合併を目指し両社社長が詰めの協議に入っていると報じられた。しかし、これには両社の社内の反対が強く、「当分の間は交渉を凍結する」と発表された。
しかし、特に三井東圧の業績がその後も回復せず、結局、1997年10月、三井化学が誕生することとなる。

三菱グループの場合も、特に設備の拡大を図った三菱油化の業績が悪化したこともあり、「永遠の話題」と言われ実現が難しいとされた1994年10月に三菱グループの大合同が実現した。

事業統合時代

三菱の事業統合

19931224日、三菱油化と三菱化成は、9410月に両社を合併することに合意したと発表した。

合併要領:
(1)対等の立場で合併する。ただし手続き上は、三菱化成株式会社を存続会社とする。
(2)合併期日は、平成6年10月1日を予定する。
(3)合併比率は、三菱油化の株式1株に対し、三菱化成の株式1.3株とする。
(4)合併後の新会社の商号は、「三菱化学株式会社」とする。

企業風土の違いや、油化側の化成に対するライバル意識も根強く、踏み切れないままできたが、両社の業績悪化が深刻の度を増す中で、「企業体質を強化するには合併がベストの選択」と判断し、双方のトップ同士が決断を下したと言われる。
「三菱の合併は永遠の話題」と統合を否定した吉田正樹・前社長は同年春に亡くなっている。

発表の記者会見では「油化の救済合併の意味合いもあるのか」との質問が出て、油化は「心外だ」とし、化成も「石油化学部門の強化は化成にとってもメリットは大きい。救済という意識はない」と否定した。
しかし、そういう質問が出る程、三菱油化の損益は悪化していた。

合併発表の記者会見で「人員、設備の削減は」と聞かれたのに対して、
「化成の医薬部門などは人員を吸収する余地がある。新規採用人数の削減は必要かもしれない。鹿島、四日市、水島の3地域に拠点があることは大きな強みで、いずれも残す。」と答えている。

実際に3エチレンセンターはそのまま残され、人員にも手をつけなかった。このため合併効果は余り上がらす、更に旧三菱化成の三菱化学メディアの不振等もあり、業績は低迷した。同社は「選択と集中の時代」になって、ようやく人員と設備の問題に手をつけている。

1994101日、三菱化学が発足した。
統合に際し、水島地区で旭化成と相互乗り入れしていた
エチレン子会社の資本乗り入れを解消している。
両社は三菱の水島エチレン、旭化成(と日本鉱業のJV 山陽石化)の山陽エチレンに50%ずつ出資していたが、公取委の指示により、94年7月に株式交換を行った。
その後、水島エチレンは三菱化学発足と同時に吸収合併した。山陽エチレンは95年4月に山陽石化が吸収合併、2001年にその山陽石化を旭化成が100%子会社にしている。

三井の事業統合

1992年の統合交渉は事前に漏れたため、いったん交渉を凍結した。その後に両社の業績は悪化、特に三井東圧の利益は低下した。
19969月、三井石化、三井東圧は199710月の合併に向け、交渉を進めていることを明らかにした。三井東圧が三井石化の収益力や財務体質を評価して、存続会社を三井石化に譲る姿勢をみせたことが交渉がまとまる要因になったと言われている。
その後、三井化学は旧三井石化が主導する形で経営が行われた。

199710月、両社は合併し、三井化学が誕生した。

翌年4月、三井化学は合併後初めての中期経営計画を発表した。
一部の樹脂を除いて重復する事業がほとんどなかったため、戦略事業の選択と投資先の集中が、合併後の最重要課題になっていたが、合併で広がった総花的な事業構成を見直し、中核事業を半導体関連の機能性材料など成長性の高い分野に絞り込む一方、不採算事業から撤退、工場の統廃合を進めるのが計画の骨子。石油化学製品の高付加価値化で「世界で存在感のある企業を目指す」とした。 

 

選択と集中時代

Ethylenedemand_2

バブル時代の新増設でエチレンや誘導品の能力は増えたが、需要は増えていない。増設分は輸出に頼ったが、2000年頃はまだ中国バブルの前であり、輸出価格は低く、各社の業績は悪化した。

この中でポリオレフィンの2004年問題が各社の懸念となった。
2006/2/22 「
忘れられた「2004年問題」 参照
l 

「選択と集中」が各社の合言葉となり、事業の撤退も含めて体制強化の検討を始めた。

①三菱化学 四日市エチレン等の停止

三菱化学は1994年の三菱油化、三菱化成統合以降も旧油化の鹿島、四日市、旧化成の水島の3エチレンセンターをそのまま維持してきたが、2000年央からのサウジアラビア、台湾、シンガポール等における大型エチレンプラントの新増設によりオレフィン及び誘導品の輸出を行うことが厳しくなること、さらには2004年の主要石化製品における大幅な関税の引き下げ等により今後より一層内需の伸びが期待できないことから、エチレン生産体制の見直しを行うこととし、2001年1月に、四日市事業所のエチレンプラント及びEG、EO設備を停止した。

三菱化学の生産能力            単位:千T/Y
  製品名    スタート  能力(現状)   能力(集約化後)
エチレン 四日市
水島
鹿島No.1
鹿島No.2
'68/3
'70/7
'70/11
'92/6
     270
     
450
     375
     453
    1,548
       0
     450
     375
     453
    1,278
  注:定期修理実施年のもの

②三井化学、大阪石油化学を完全子会社化

三井化学は2000/3/13に大阪石油化学との間で株式交換を行い、同社を三井化学の完全子会社(100%)とした。

三井化学は千葉地区の浮島石油化学と、
大阪地区の大阪石油化学の両エチレンセンターを運営していたが、石油化学産業を取り巻く厳しい事業環境の中で、主原料の供給ソースであるエチレンセンターの競争力強化という課題について検討した結果、完全子会社として、浮島石油化学と一体運営することが最適であると判断したもの。

大阪石油化学
  設立   1965/2
  資本金   50億円
  株主   三井化学 55%、宇部興産 20%、鐘淵化学 5%、コスモ石油 5%、三井物産 5%、三和銀行 5%、さくら銀行 5%
  エチレン能力   45万t

③旭化成、山陽石油化学を100%子会社化

旭化成とジャパンエナジーは、両社出資の山陽石油化学のJエナジーが保有する全株式を旭化成に譲渡することで合意、20014月に48億4000万円で譲渡した。

石油化学産業の事業環境が厳しさを増すなか、石油化学誘導品事業を行っている旭化成がエチレンセンターである山陽石化を一体運営することが最適であるとの結論に達したもので、両社は原料取引関係を含め、協力関係を継続する。

山陽石油化学
  設立   1968/7
  資本金   20億円
  出資比率   旭化成 60%、Jエナジー 40%
  エチレン能力   504千トン(定修なし)

④昭和電工の石化事業方針転換

昭和電工は2000年にエチレン・プラント効率化工事を完了させ、旧来の2系列平均 755千トンから、1系列 600千トン(いずれも定修あり、なし平均)体制に変更した。

1号機(231千トン)を廃棄する一方、2号機(524千トン)を主力装置である分解ガス圧縮機、タービン等のリプレースにより年産600千トンに増強したもので、設備投資は合計約70億円。これにより年間約30億円のコストダウンを図るとともに、需要見合いでの連続フル稼動が可能となった。

同社は2002年、新中期経営計画「プロジェクト・スプラウト」を策定したが、これまで事業シナジーが希薄なまま展開してきた「総合化学」から、「無機・アルミと有機の融合」中心の「個性派化学」への転換を急ぐという方針を決めた。

その中で石油化学は、現状収益力に拘らず、マーケット構造、成長戦略事業との技術シナジーの不足から再構築が必要な事業群(再構築事業)とされ、最適経営環境を追求し、提携・売却も視野に入れるとした。

ポリオレフィンについては、PPは既にバゼルが主体のサンアロマーに任せているが、PEについても2003年9月に同社が主体であった日本ポリエチレンを日本ポリケムに統合させ日本ポリエチレンを設立、実質的に三菱化学に任せることとなった。

⑤東ソーのビニルチェーン構想

多くのエチレンセンターの中で、東ソーはエチレンを塩ビ用を中心とするという特異な戦略をとった。
同社は、港湾設備、自家発電設備といった強力なインフラ基盤を背景に、電解、VCM、PVC、塩ビ加工へとつながる「ビニル・チェーン」を国内を含めたアジア市場に主眼を置いて展開することを決めた。

エチレンについては97年に四日市で分解炉炉の増設、デボトルネッキングで 85千トンの増設を行い、合計 527千トン(定修スキップ年)としたが、南陽と四日市の事業所で年間約100万トンが必要で、不足する年間約50万トンを外部購入に依存する。
ビニルチェーンについては 2006/9/19 「日本のVCM業界の変遷-2」 参照

⑥三井化学および住友化学の全面的統合発表

2000年11月、三井化学と住友化学は「21世紀の化学産業におけるグローバルリーダー」をめざすべく、2003年10月に両社の事業を全面統合すること、ポリオレフィン事業については2001年10月に先行的に統合することを発表した。
両社はともにエチレンセンターを持ち、両社が出資する京葉エチレンとともに互いにパイプラインで結びつき、コンビネーテッド・コンビナートを形成しているほか、三井は大阪に、住化はシンガポールにもエチレンセンターを持つ。住化の医薬・農薬事業は収益に貢献しているし、両社の新規事業も順調である。統合により、世界トップクラスの化学会社と技術力や収益力において互角に競争できる、アジアで最大、世界第5位の化学会社が誕生することになる。

統合の効果としては、
石油化学・基礎化学分野では、シンガポールでエチレン100万トン超の設備の新設を実施し、両社の得意な誘導品をあわせてバランスの取れた収益力の高いコンプレックスを構築するなど、事業規模の拡大を通じたグローバルな競争力の強化が実現できること、
機能性材料・ファインケミカルズ・ライフサイエンス分野では、電子情報材料や農業化学品など、両社の幅広い事業展開と研究開発力等の統合により、大きなシナジー効果が期待できるとしている。

本件は三井側からの提案で、企業エゴを捨て、真のグローバル企業を創ろうというものであったと言われている。これ以前に両社のメインバンクである住友銀行とさくら銀行(三井主導)が合併し三井住友銀行が発足している。

全面統合については当初は、両社が共同株式移転により持株会社を設立して上場する方式で出発するとしたが、両社の統合比率は、統合の際の株価およびその他の考慮すべき要素を勘案して決定するとした。統合までに時間があり過ぎるのではないかということと、統合比率を後で決めるというのが問題とされた。

これに対して三井グループの繊維・化学会社で「大三井化学」のメンバーになると想定されていた東レが「三井-住友の場合、統合してもエチレン能力は180万トン弱で、これで強いといえるかどうかだ」と反対した。

20014月、両社は統合の具体案を発表した。

  社名   三井住友化学
  統合時期/方法   2003/10/1 共同株式移転により持株会社を設立
2004/3/末 持株会社が三井化学、住友化学および三井住友ポリオレフィンを吸収合併し単一会社に。
  事業運営組織   「石油化学」、「基礎化学」、「機能樹脂」、「機能化学」、「情報電子化学」、「農業化学」、「医薬」の7つの社内カンパニー

両社は合わせて、ポリオレフィン事業の統合について発表した。 

⑦浮島石油化学の解散

三井化学と日本石油化学は20015月、エチレンの共同生産を9月末をめどに中止すると発表した。三井化学と住友化学の経営統合に伴う措置。
両社はエチレン生産会社、
浮島石油化学に折半出資しており、三井化学の市原工場内に553千トン、日石化学の川崎事業所内に404千トンと1基ずつエチレンプラントを持っていたが、千葉の設備を三井化学が、川崎の設備を日石化学が引き取りそれぞれ運営する

この結果、三井化学は同社の千葉と大阪にエチレンプラントを持つこととなった。

⑧三井化学と住友化学の全面的統合の破談

20001117日の全面的統合の発表後、先行する三井住友ポリオレフィンは20024月に当初予定から半年遅れでスタートした。

200212月に公取委は本件を承認した。

しかしながら、統合の検討を始めると直ぐに、両社の間に不協和音が出だしたとのことである。
両社は発表後、統合の準備を進める一方で競って事業の拡大を行った。「両社の統合における比率は統合の際の株価およびその他の考慮すべき要素を勘案して決定する」とした取り決めが影響している。

新聞情報によると、経営統合に当たり、両社は「対等の精神」を理念に掲げたが、住友化学が時価総額(株価が15%弱の差で、株数は住化が三井の約2倍)をベースに考えて主導権を取ろうとし、三井化学は文字通りの「対等」にこだわった。
首脳人事では三井化学は「対等」の証として共同最高経営責任者制を提案したが、住化が拒否した。
多くの点で妥協も行われたが(共同持株会社を設立し、半年後に持株会社が両社を吸収するという二段階方式は、法的に三井が消滅会社となるのを避けるため)、住化主導の色が濃く、三井では「飲み込まれる」という不安が高まったといわれる。

2002年末には首脳人事(社長には米倉弘昌住友化学社長、会長に中西宏幸三井化学社長)などが内定したが、統合比率で折り合えず、20033月を期限に再交渉することで合意した。
しかし、その後も折り合えず、2003
331日、統合計画の白紙撤回を発表した。

中国バブルが始まり、両社の業績が上向き、単独でもやっていけるとのムードが出てきたのも響いている。

その後、住友化学はサウジのラービグ計画を、三井化学は出光興産との提携強化、ポリオレフィン事業の統合を発表する。

⑨三井化学と出光石化のポリオレフィン事業の統合

三井化学は住友化学との経営統合計画の解消後、2004年2月に同じ千葉にコンビナートを持つ出光興産/出光石油化学と包括提携で基本合意した。

3社は、石油精製・石油化学事業の国際競争が激化するなか、これまで個別企業毎に行ってきた合理化等の取り組みだけでは限界があるとの共通認識に基づき、千葉地区における業務提携の可能性について予備的な検討をしてきたが、原料・留分から石化製品、また、工場基盤・業務を含めた幅広い領域にわたり、石油精製と石油化学という業種や企業の枠を超えた業務提携の検討を進め、千葉地区コンビナートの国際競争力の強化を目指すこととした。

この業務提携を具体化することにより、出光グループは石油精製と石油化学のインテグレーションを更に推し進め、「石油精製の高度化による原料・留分の付加価値向上」と共に、「製油所・石油化学工場のコスト競争力強化」を図る、三井化学は石油化学事業構造の抜本的な変革、即ち「分解原料の多様化」「プロピレンセンター化」「差別化」を促進するとした。

200411月、三井化学と出光興産は包括提携の一環として、千葉地区へ輸入するナフサを大型タンカーを使い共同輸送すると発表した。両社が千葉地区で中東から輸入しているナフサの量は、三井が年間230万トン、出光100万トンで計約330万トンあるが、大型船を共同活用することで輸送費の削減を図る。

20045月、三井化学/出光興産/出光石油化学は三井化学と出光石化のポリオレフィン事業の統合(プライムポリマー)の発表を行った。

⑩出光興産による出光石油化学の吸収合併

20045月、三井化学と出光石化のポリオレフィン事業の統合と同時に、出光興産による出光石油化学の吸収合併も発表した。

出光興産は創業以来、外部資本を受け入れない経営方針を貫いてきたが、2000年には株式の上場を決断、市場からの資金調達で財務健全化を目指す戦略に転換した。

2000年以降、12の金融機関を引受先として議決権のない優先株を発行し、計378億円の増資(当初資本金10億円)を実施したが、2002/4の新中期経営計画では、2006年度の株式上場を目標とするとした。天坊昭彦社長は「プライベートカンパニーからパブリックカンパニーヘの転換」「2006年の上場」など基本方針を明らかに、「製油所体制の見直し」「石油化学産業の地域連携による競争力強化」「選択と集中」などを骨子とする新中期経営計画完遂に向けて「結果重視、スピードの経営」を進めるとした。

最大の子会社である出光石油化学については、燃料油・石油化学両事業とも益々厳しいことが予想される中、両社の合併を視野に入れた燃料油・石油化学事業のインテグレーションの検討に着手していた。

出光石油化学は2003年にPS事業を旭化成、三菱化学のA&Mスチレンと統合、PSジャパンを発足させ、自社設備の大半を処理している。
逆にPPについては2001年1月、徳山でプラントが隣接するトクヤマとの提携を発表した。両社でPPの製造合弁会社・徳山ポリプロを設立してトクヤマの工場内に20万トンの設備を新設し、トクヤマの既存設備は廃棄、トクヤマがPPの営業権を出光石化に譲渡する、というものである。
三井とのプライムポリマーの設立で、PPを含め、ポリオレフィンを実質的に三井化学に任せる結果、石油化学事業の大半は、化成品事業を中心に燃料油事業と密接なものになるため、原油から石油・石化製品までの一貫した事業運営、簡素な組織体制を構築し、より効率的な事業経営を進めることが出来る。

20048月に合併、出光石油化学は解散した。

⑪新日本石油による新日本石油化学の管理・営業・開発部門の統合

20064月、新日本石油は新日本石油化学の管理部門、販売部門および研究開発部門を、会社分割の方法により新日本石油に統合し、製造部門は、製造会社たる新日本石油化学として存続させた。

新日本石油では2001年、新日本石油化学にCRI推進室を設置し、グループをあげてCRI(石油精製と石油化学の一体化:Chemical Refinery Integration)を推進し、未利用留分の有効利用や統合LPの活用による製油所とスチームクラッカーの一体運営など成果を上げていた。

同社では石化事業における競争力の源泉は、これまで以上に原料面での優位性(量の確保とコスト競争力)に求められるという形に構造変化し、石油と石化の事業領域の境界もなくなりつつあると考え、国内最大の精製能力約120万BD という強みを最大限に生かすべく、原油から石油および石油化学製品までの一貫生産・販売・研究開発体制の強化を図ることとした。

ーーーー

「選択と集中」時代に入り、三菱化学の四日市エチレンの停止、三井と住友の全面統合の発表などが起こり、日本のエチレンセンターの再編が行われると期待されたが、中国バブルの発生で動きは止まった。

三井と住友の統合は破談となった。

昭和電工は、再構築が必要な事業群(再構築事業)に含め、「最適経営環境を追求し、提携・売却も視野に入れる」とした石油化学事業のうち、オレフィン、有機化学品、特殊高分子等について、2005
11発表の新中期経営計画「プロジェクト・パッション」では基盤事業(cash cow:高い利益を生み出す事業)としている。

一度は停止を決めた京葉モノマーや宇部興産のPE事業も、丸善石化コンビナートで生産を続けている。

集約が進むポリオレフィンでも、日本ポリエチレンや日本ポリプロは多数のエチレンセンターに工場をもっている。

立地 エチレンセンター 能力
(千トン)
定修なし
主なオレフィン需要(自社以外)
鹿島 三菱化学   901 日本ポリエチレン、日本ポリプロ、鹿島塩ビモノマー、
旭硝子
千葉 丸善石化   525 宇部丸善ポリマー、京葉モノマー、チッソ、電気化学、
日本ポリプロ
同(京葉エチレン)   768 (三井化学、住友化学)
三井化学   612 プライムポリマー  提携        
出光興産   413 プライムポリマー
住友化学   415 日本アルデハイド
川崎 東燃化学   515 日本ユニカー、日本ポリエチレン、日本ポリプロ、
旭化成、昭和電工
新日本石油化学   443 日本ポリエチレン、サンアロマー:浮島ポリプロ、
日本触媒、旭化成
四日市 東ソー   527 日本ポリプロ、協和醗酵ケミカル
三菱化学   停止  
大阪 大阪石油化学
(三井化学)
  500 (カネカ;高砂)、(東ソー:南陽)、
(太陽石油化学:宇部)
水島 三菱化学   496 日本ポリエチレン、日本ポリプロ、ヴイテック、
クラレ、ダイヤニトリックス
山陽石化
(旭化成)
  504  
徳山 出光興産   688 昭和電工、東ソー、トクヤマ、日本ゼオン
大分 昭和電工   653 日本ポリエチレン、サンアロマー、新日鐵化学、
日本スチレンモノマー

千葉、川崎、水島地区では各プラントがパイプラインで繋がり、「コンビネーテッド・コンビナート」を形成しており、これを通じて実質的にオレフィンを統合し、これを基に誘導品を整理することが考えられる。京葉エチレンは丸善石油化学、住友化学、三井化学にオレフィンを供給している。三井出光の提携はこれに繋がると思われる。
しかし、石油コンビナート高度統合運営技術研究組合
RING)のように互いに利益が出るプロジェクトは実施できても、エチレンの統合までは難しい。

出光や新日本石油に見られる石油精製と石化の統合管理は、それ自体は合理的だが、エチレンセンターの統合では逆に働く。

日本のエチレン業界は従来同様、小規模多数プラントから脱却できていない。
日本で最大の三菱化学鹿島で2系例合計でやっと90万トン、平均すると60万トン以下である。
他方、中国では1系列100万トンのエチレンが建設されており、中小のエチレンを100万トン程度まで増設する動きがある。

中国バブルが破裂し、誘導品がどうしようもない状況になる迄は、エチレンセンターの再編は難しい。

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2006年9月22日 (金)

エチレン業界の変遷-1

日本の最初の石油化学計画は1950年に日本曹達によって通産省に提出された。

新潟県二本木工場にエチレン(371トン/月)以下、多数の製品を製造するもので、米国式のエタン利用ではなく、石油を分解してオレフィンを、また副生油から芳香族を回収するという、現在のナフサ方式の先駆的計画であり、熱分解と芳香族分離は技術導入を行うが、誘導品については全て自社技術という壮大な計画であった。

通産省はこれを応援し、政府資金の支出が決まったが、日本興業銀行が同社の経営姿勢が悪いとして融資に応じず、頓挫した。

2006/5/8 「日本の最初の石油化学計画」 参照

日本のエチレンセンター 推移 

        当初 立地 スタート             能力(千トン)
1期  2期 3期 300千トン 産構法 2005年末
先番 後番 直前 直後 定修有 定修無
三井化学 三井石油化学 岩国 1958   20 →160 →180       788   466  (92/7停止)
三井石油化学 千葉 1967       120      (85/3停止)
浮島石油化学 千葉 1978          400   553   612
大阪石油化学 泉北 1970      *→  300     320   252   455   500
住友化学 住友化学 大江 1958   12 → 87 →112       160     0  (83/1停止)
新居浜 1961    16.5 → 0      (66年停止)
住友千葉化学 千葉 1967     100
→120
 300     409   345   380   415
三菱化学 三菱油化 四日市 1959   22 → 80 →182       800   510  (01/1停止)
1968       200    
三菱油化 鹿島 1970        300     375   410
1992             453   491
化成水島 水島 1964     60 →160       177     0   ー   ー
水島エチレン 水島 1970        300     360   360   450   496
新日本石油化学 日本石油化学 川崎 1959   25 →100 →205       241     0  (85/3停止)
浮島石油化学 浮島 1970        300     342   342   404   443
東燃化学 東燃石油化学 川崎 1962     40 →205    300   573   350   478   515
東ソー 大協和石油化学 四日市 1963     41 → 41       ー   ー   ー   ー
新大協和石油化学 四日市 1972        300     361   266   493   527
出光興産 出光石油化学 徳山 1964     73         380   164   623   688
出光石油化学 千葉 1985          *→   ー   220   374   413
旭化成 山陽エチレン 水島 1972          300   390   349   443   504
丸善石油化学
(京葉エチレン)
丸善石油化学 千葉 1964     44 →144  300     505   373   480   525
京葉エチレン 千葉 1994             ー   ー   690   768
昭和電工 鶴崎油化 大分 1969       150  320     541   320   581   653
合計                  6.348  4,317  7,232  7,960

このほかにVCM原料用としてのナフサ分解によるエチレン/アセチレン製造設備があった。
 日本ゼオン(高岡) 
GPA法   1967 生産開始、1979 生産中止
 呉羽化学(錦)   
混合ガス法 1964 工業化(呉羽油化)、1982 休止 
なお呉羽は原油分解によるエチレン
/アセチレン製造(原油分解法)も実施した。 1970 生産開始、1978 休止 
 2006/9/18 「日本のVCM業界の変遷-1」 参照

 

エチレン第1期計画

日本のエチレン第1期計画は次の4つである。

  立地 エチレン スタート 計画書提出 設立
三井石油化学 岩国  20千トン 1958/2 1956/1 1955/7
住友化学 新居浜  12千トン 1958/3 1954/12  
三菱油化 四日市  22千トン 1959/5 1955/12 1956/4
日本石油化学 川崎  25千トン 1959/7 1954/10 1955/8

三井グループは当初、三池合成と三井化学が石化進出を巡り争った。三池合成が岩国旧陸軍燃料厰の払下げを申請、三井化学はチーグラーから低圧ポリエチレン技術を導入した。
しかし三井グループ内でグループをあげて実施すべきだとの説得で、1955年に岩国旧陸軍燃料厰の払下げ申請に三井鉱山、三井化学、三井金属、東洋高圧、興亜石油、三井銀行が副申請し、同年7月、三井石油化学が設立された。

三菱グループの当初の計画は、三菱化成50%/シェル石油 50%三菱シェル石油化学を設立し、四日市で輸入イソプロピルアルコールルからアセトン、メチルイソブチルケトン、メチルイソブチルカービノールなどを各年間2、3千トン生産するものであった。
しかし、当時のMITIの吉田・石油化学班長(のち、三菱油化社長)が 「三菱の名に恥じない計画を」として、これを認めなかった。

1956年4月、三菱油化が発足した。
昭和四日市石油(シェル/昭和石油)に三菱油化が25%出資、三菱油化にシェルが15%、昭和石油が10%出資する形で、シェルとの提携が行われた。

住友化学の場合は、ポリエチレン単品のエチレンセンターで、オフガスをアンモニア原料に使用しアンモニア合理化も目的とするものであった。
また、通産省の原則は石油化学と石油精製とを同地区にというものであったが、住友化学は瀬戸内海対岸の出光興産の徳山製油所からナフサを購入するのを「原則の変形」として認めらてもらった。 

なお、技術導入に際しては住友化学はS&Wを選んだが、対価が高いので、三井石油化学を誘い、2社で交渉して対価を下げたという。

日本石油の提携先のカルテックスは日石の石化進出には賛成するが、出資はせず、日石単独の進出となった。

ナフサ・メリット

通産省は、わが国の石油化学工業を戦略産業として育成する目的で、原料のナフサ価格を低水準に抑える政策をとり、石油化学用のナフサを供給する石油会社に対する外貨報奨制度を設定した。

 昭和33(1958)年度  ナフサ供給量と等量(1対1)の原油外貨を特別割当
    34(1959)年度  ナフサ供給量の2倍(1対2)の原油外貨を特別割当
    35(1969)年度  ナフサ供給量の2.3倍(1対2.3)の原油外貨を特別割当

外貨割当額をふやすことによって製油所の稼働率が上昇し、石油製品の販売シェアの拡張が図れるため、石油会社は、“ナフサ・メりツト”にありつこうと、石油化学へ乗り出そうとした。

高杉良「小説日本興業銀行」によると、大協石油の石化進出(協和発酵とのJVの大協和石油化学)にはこれが影響を与えている。

エチレン第2期計画

第2期計画では第1期のメーカーの増設のほか、以下の後発5コンビナートが認められた。
三菱グループを結集した三菱油化とは別に、三菱化成が独自に進出した。

チレン企業 立地 エチレン 完成時期 誘導品                             
東燃石油化学
(東亜燃料 100%)
川崎   40,000t 1962/3 LDPE(日東ユニカー),EDC(セントラル化学)
アクリロニトリル(日東化学),オクタノール(自社),
合成ゴム(日本ゼオン),
日本オレフィン,昭和電工,三井化学、旭化成に
オレフィン供給
大協和石油化学
(協和醗酵/大協石油)
四日市   41,300t 1963/6 アセトアルデヒド,アセトン,MIBK,ブタノール,
オクタノール
丸善石油化学 千葉   44,000t 1964/3 PP(新日本窒素),アセトアルデヒド(同)、
EO(日曹油化)、SM(電気化学)
LDPE(宇部興産)
化成水島
(三菱化成)
水島   45,000t 1964/6 アセトアルデヒド,アクリロニトリル,アセトン
旭ダウ、関東電化にオレフィン供給
出光石油化学
(旧海軍第三燃料廠)
徳山   73,000 1964/9 アセトアルデヒド(徳山石油化学),
EDC(周南石油化学)、PO(同)
ブタジェン(日本ゼオン),BTX(自社)

セントラル化学と周南石油化学のEDCはアンモニア法か性ソーダの電解法への転換によるものである。

なお、第1期のメーカーの増設の中には住友化学(新居浜)のSBA法設備がある。(第1期は隣接する大江地区)
ベルギーのSBAからの導入技術でエチレンとアセチレンを併産するもの。
エチレンはLDPEの増産用に使用、アセチレンはアクリロニトリル(ACC法:アセチレン+青酸→ANM)とPVC(カーバイド・アセチレンからの原料転換)の原料とし、更に副生ドライガスをアンモニア原料にした。  1961年に完成したが、1966年に停止。

エチレン第3期計画

各社が石油化学進出を狙い、下記の通り、新増設構想ラッシュとなった。中には、三井グループを結集した三井石油化学とは別に、三井化学と東洋高圧が独自に進出する計画もある。

大協和石油化学 100千トン 増設
三井石油化学(千葉) 120千トン 岩国大竹に拡張余地なし
住友化学(千葉)  100千トン 居浜手狭、新立地として名古屋→静浦→千葉
日本石油化学(横浜本牧) 100千トン オレフィン外販センターからの脱皮
三井化学/東洋高圧(泉北) 100千トン 三井石油化学とは別に石化進出 50/50JV 大阪石油化学
関西石油化学(堺)  85千トン 宇部興産、丸善石油、帝人など10社が結集
昭和電工(鶴崎) 100千トン 新設
東燃石油化学   60千トン 増設 83千トン→143千トン
化成水島  75千トン 増設 45千トン→120千トン
出光石油化学  26千トン 増設 73千トン→100千トン
(三菱油化 四日市) 200千トン (100千トン基準設定後に計画、但し 誘導品不足)

通産省では調整不能となり、官民協調方式を提唱、196412月に石油化学協調懇談会が設置された。
当局と業界が同一の資格で委員を出し、投資調整を行うもの。

1965年にエチレンセンター設置基準が作成された。
(1)エチレン能力は1系列年
10万トン以上であることと、
   稼動後すみやかに適正操業(80
%)を保持すること、
(2)オレフィン留分を総合的に利用すること、
(3)原料ナフサの相当部分を供給する製油所に接続したコンビナートであること
(4)1965-66年度増加能力は
35万トン 
(5)将来センターはエチレン生産能力を
20万トン以上に拡大するものとし、
  用地・用水・輸送などの立地条件がこれに即応する可能性を有していること

これに基づき、
・三井石化(千葉)12万トンと住友化学(千葉)10万トンを認可
・条件整い次第、以下を認可する。
  大阪石油化学 10万トン →
30万トン計画に変更(1983年に三井主導に)
  昭電(鶴崎)  
10万トン →昭電/新日鐵化学JVの鶴崎油化が15万トンを建設

・その後、大協和石油と三菱油化の「幻の輪番投資」が行われた。
  大協和石化は増設を希望するも誘導品が10万トンに達せず、承認を得られず。
  その後、三菱油化(四日市)は20万トン増設を考えたが、誘導品計画が揃わず。
 この結果、三菱油化が先行し20万トン建設、エチレンを大協和に融通(売買形式)した。
 但し、契約書には輪番の文言無く、三菱油化は鹿島に進出したため、大協和の後番投資は実現しなかった。


エチレン30万トン計画

19672月、石油化学協調懇談会は 「エチレン製造設備の新設の場合の基準」を決めた。

 エチレン製造設備の新設にかかわる外国投資家からの技術援助に関する契約の認可申請については,次の基準に適合している場合に認可するものとする。
1. 大規模な設備であって,当該設備によリ製造されるオレフィン留分等について適正な誘導品計画があること
(1) エチレンの製造能力が年産30万トン以上であること
(2) 誘導品の生産,販売計画について確実性があり、かつそれぞれの誘導品の生産分野を混乱させるおそれのないものであること
2. 原料ナフサの相当部分についてコンビナートを構成する製油所からパイプによって入手できる見込みがあること
3. 当該企業の技術能力,資金調達能力等が国際競争力ある石油化学コンビナートを形成するに適しているものであること
4. コンビナートを構成する製油所および発電所を含めて工場の立地について用地,用水,輸送等の立地条件が備わっており,かつ公害防止のうえで所要の配慮がなされていること

 以上の基準の運用にあたっては,企業規模の拡大および石油化学コンビナート各社の連携の強化について配慮するとともに,あわせて地域開発効果についても考慮するものとする。

1967年6月、石油化学協調懇談会は、1971年の需要を246万トンと見込み、これに対して操業率を85%とした生産能力は289万トンで、これから既認可分190万トンを差し引いた99万トンを、新規増設分として認めることとした。

これにたいしてを受けて各社が申請した計画は9計画・10プラント合計 300万トンに及んだ。さすがに、1社ずつでは対応が難しく、共同投資が大阪石化と浮島石化の2件(うち浮島はその後、輪番投資を実施)、輪番投資が4社2件となった。

社名 工場 実施形態 内容
丸善石油化学 千葉 単独 既存コンビナートの増設
三菱油化 鹿島 単独 誘導品企業誘致(鹿島電解、鹿島塩ビモノマー等)
新大協和石油化学 四日市 単独 興銀グループ
大阪石油化学 共同投資 三井と関西財界グループの共同、
三井東圧化学側が建設、運営担当
浮島石油化学 川崎 共同投資 三井石油化学、日本石油化学折半出資で日石・川崎に建設
(後、1978に浮島石化として三井・千葉に建設)
住友千葉化学 千葉 輪番 先番
東燃石油化学 川崎 後番
水島エチレン 水島 輸番共同 先番 三菱化成
山陽エチレン 後番 旭化成  

新大協和石化
  1961年 協和発酵 60
%/大協石油 40%で大協和石化設立
  エチレン30万トン実現のため、東洋曹達、鉄興社、興銀等が参加して1968年に新大協和を設立
  1971年大協和石化を吸収
  2000年10月、東ソーが吸収合併

大阪石油化学
  1964年 関西財界(宇部興産、丸善石油、帝人など10社)が「関西石油」と「関西石油化学」を設立
  
1965 三井化学/東洋高圧と関西石化が50/50で大阪石油化学を設立  
  1983年 関西石化解散、大阪石化に三井石化、鐘化、三井物産、三井銀行が参加、三井主導に。
  2000年 三井化学が100%子会社化

浮島石油化学
  1967
年 輪番投資のため日本石油化学 50%/三井石油化学 50%で設立 

山陽エチレンと水島エチレン
  1968年 旭化成 60
%/日本鉱業 40%で山陽石油化学設立
  68-69 山陽石油化学と三菱化成の輪番投資のため、ともに50/50の山陽エチレンと水島エチレン設立

 

その後、鶴崎油化後身の大分油化が1977年に、出光石油化学・千葉が産構法期間中にスタートしている。

この結果、最終的に多くのエチレンセンターが林立することとなった。産構法以降、停止したセンターは住友化学・新居浜、三井化学・岩国、三菱化学・四日市だけで(三菱油化の鹿島2期、京葉エチレンが追加された)、他はすべて残っている。

産構法時代

1979年1月には第2次石油危機が発生し、3万円/kl程度であったナフサ価格は一気に6万円/klまで上昇、需要が激減し、不況が深刻化した。

エチレンメーカーは、1982年10月から翌年6月までの間、1972年4月以来10年ぶりに2回目の数量制限を内容とする不況カルテルを実施した。

198210月、エチレンセンター13社の社長で編成された石油化学産業調査団(団長 住友化学土方武社長、通産省・内藤正久基礎化学品課長同行)が訪欧、BASF、DSM、CEFIC(欧州化学工業連盟)、EC委員会、フランス政府工業省、BPケミカルズ、ICIなどの首脳と意見を交換する一方、不況対策について話し合った。

調査結果概要(要約)

1. 欧州石油化学工業の現状認識  略
   
2. 業界の対応
過剰設備の処理
  過剰設備の処理の進め方は、マスタープランを作成して進める方法のほかに、バイラテラルな形で進めていくことも現実的方法として有効であるとの見解が示された。
過当競争の排除
  不況の原因の本質は企業数過多、設備過剰に伴う過当競争にあるとの指摘が多く、事業の交換、限界企業の撤退などを通して企業数を半分程度にすることが必要であるとの見解が示された。基礎的石油化学製品については共同生産が有効であるとの見解も示された。
高品質、高付加価値化等のための技術開発の推進
   
3. 政策運用
独禁法の運用
  EC委員会は、価格取り決め、生産調整、販売調整を伴わない限り、単なる設備廃棄は独禁法上の問題は生じないとしている。
国有化政策
  国有化は死にかけた企業の延命策となり産業再編成を阻害させるとの強い意見があった。
雇用対策
原料政策、エネルギー政策
  いずれの国も原料非課税原則が貫徹されている。ナフサの強制備蓄も実施されていない。
通商対策

198212月、石油化学産業体制委員会は、「石油化学工業の産業体制整備のあり方について」を通産大臣に具申した。
内容は、
 ①過剰設備の処理、
 ②投資調整の実施、
 ③生産・販売の合理化のための集約化、
 ④コスト低減対策の実施、
 ⑤海外プロジェクトヘの対応
の5項目を骨子とするものであった。

これらの構造不況対策を実施するため、1983年5月24日「
特定産業構造改善臨時措置法(産構法)」が、1988年6月30日を期限とする時限立法として施行された。

産構法の概要は次のとおりであった。

1   特定産業の指定
石油化学工業などの7業種を法定候補業種として指定し、それら事業者の申出を受けて政令で特定産業に指定する。
2   構造改善計画の策定
主務大臣は特定産業ごとに審議会の意見を聴いて構造改善基本計画を告示する。同計画には①構造改善目標、②設備処理に関する事項、③設備新増設などの制限、禁止に関する事項、④事業提携など規模または生産方式の適正化に必要な事項、⑤雇用、関連中小企業などへの配慮事項を定める。
3   共同行為
事業者が自主的努力のみでは設備処理などを実施できない場合には、主務大臣は公正取引委員会の同意を得て共同行為の実施を指示できる。
4   事業提携計画の承認
事業提携につき独占禁止法との調整および税制上の特例措置を希望する者は共同して事業提携計画を作成し、主務大臣の承認を受ける。
5   設備処理、事業提携、活性化投資について資金確保および課税の特例措置を行う
6   雇用の安定、関連中小企業の経営安定のための措置を行う
7   昭和63年6月30日を期限とする

エチレン設備廃棄

19836月に告示された「エチレン製造業の構造改善基本計画」により、全国エチレン年産能力6,347,000tの36%に当たる同2,293,000tの設備を過剰設備として処理する目標が決まつた。
原則として設備廃棄によるものとするが休止により行なうことも妨げないものとされた。
目標の1988年6月末までの間は告示日現在建設中のものを除き、分解設備の新設、増設および改造(当該設備の更新、改良を除く)は行わないことになった。

各社別設備処理(単位:千トン)

会社名 設備能力
1983/8現在
(A)
要処理量

(B)
能力枠

(C)
要処理量

(D)=A-C
実施量

(E)
(処理区分) 処理後能力
1986/3現在
(F)
住友化学工業    569.4    219    370    199.4   224.4 (廃棄)    345
日本石油化学    583    238    364    219    52  (廃棄)    342
  189  (休止)
丸善石油化学    505    171    352    153   110 
   22
(休止)
(部分休止)
   373
三井石油化学    788    325    489    299   230 (廃棄)    466
   92 (休止)
三菱油化    800    317    510    290     80  (廃棄)    510
  120  (休止)
   90 (部分休止)
三菱化成    177    163    395    142   177 (廃棄)      0
水島エチレン(三菱化成)    360    -    -    -   -    360
東燃石油化学    573    231    361    212   223 (休止)    350
昭和電工    541    208    351    190   221 (休止)    320
新大協和石化    361.3    136    237    124.3    41.3  (廃棄)    266
   54 (部分休止)
出光石油化学    380     95    354     26   216 (部分休止)    384
△ 220 新設
大阪石油化学    320    105    227     93    68 (部分休止)    252
浮島石油化学    (808)           (808)*
山陽エチレン(旭化成)    390     85    322     68    41 (部分休止)    349 
合計   6,347.7   2,293   4,332   2,015.7  2,030.7   4,317
備考  18工場
 32系列
        804.7 (廃棄)  13工場
 14系列
  955 (休止)
  491 (部分休止)
△ 220 新設
浮島石油化学の設備能力808千tの内、342千tは日本石油化学枠、466千tは三井石油化学枠で、
各社能力に計上済み

出光石油化学は既に認可を得ている千葉の30万トンエチレン建設着工を1年半延期、19856月に能力を落として22万トンでスタートさせた。

住友化学・愛媛はカルテル発効以前の19831月に自主的に停止を決めている。
三井石油化学・岩国大竹と日本石油化学・川崎工場のエチレン生産が 1985
3月に休止され、石油化学工業の第1期計画で稼働した4工場のうち3工場のエチレン設備が休止された。(但し、日本石油化学は同地域で浮島石油化学でエチレンを建設)

(続く)

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2006年9月21日 (木)

GE、シリコーン事業を売却

GEは14日、シリコーン事業のGE Advanced Materials Apollo Management, L.P.,38億ドルで売却すると発表した。GE1971年に東芝と設立したGE Toshiba Silicones1998年にBayerと設立したGE Bayer Silicones 2つのJVを持つが、両社からJV持分を買い取ってGE 100%とした上で、本体とともにApollo に売却する。なお、GEはApollo の新会社に10%出資する。

GEは、工業部門をより成長の高い、より利益率の高い分野に向ける大きな一歩としており、JV持分買収費等を差し引いたネット売却収入の20億ドルを、この部門の成長とリストラの原資にするとしている。

東芝はジーイー東芝シリコーン(GE 51%/東芝 49%)と、その子会社6社の株式をGEに売却すると発表した。
 GETOS Singapore Pte.Ltd.

 
GE Toshiba Silicones Asia Pacific Pte.Ltd.
 
GE Toshiba Silicones (Nantong) Co., Ltd.
 GE Toshiba Silicones Hong Kong Co., Ltd.

 
GE Toshiba Silicones Shanghai Co., Ltd.
 
GE Toshiba Silicones Thailand Ltd.

同社は1953年にシリコーン事業を開始し、1971年からGEグループとの合弁会社でシリコーン事業を営んできたが、現在ではシリコーン事業は同社グループの他の事業との関連性が低い状況となっており、GEの提案に同意したとしている。
譲渡価格は約570億円、売却益(税前利益)は約380億円。

Bayerも同日、売却を発表した。GE Bayer Silicones 1998年に両社のシリコーン事業を統合して設立された。ドイツ、オランダ、英国とインドに工場を持っている。Bayerの売却額は475百万ユーロで、売却益は250百万ユーロとしている。

ーーーー

シリコーン(Silicone)は、ケイ素(シリコンSilicon)と酸素からなるシロキサン結合(≡Si-O-Si≡)を骨格とし、そのケイ素(Si)にメチル(-CH3)を主体とする有機基が結合したポリマーで、無機質のシロキサン結合と有機基との結び付きにより、炭素炭素結合を持つ有機化合物やポリマーと比較し数多くの優れた特性をもっている。
(耐熱・耐寒性 耐候性 電気絶縁性 化学的安定性 撥水性 消泡性 離型性
       

形状はオイル、エマルジョン、レジン、ワニス、ゴムおよびパウダーなどと極めて多様で、用途も多岐にわたり、いろいろな分野で利用されている。

Siliconeuse  

 

 

 

 

 

日本のシリコーン工業会 メンバーは以下の通り。

東レ・ダウコーニング・シリコーン Dow Corning:65%、東レ:35%
GE東芝シリコーン General Electric:51%、東芝:49%
旭化成ワッカーシリコーン Wacker:50%、旭化成:50%
信越化学工業  
チッソ  

* 他に、日本ユニカーがメンバーであったが、東レ・ダウコーニング・シリコーンに事業を売却した。

ーーーー

2001年2月、信越化学はGE/東芝グループと50/50出資のシリコーンモノマーの製造会社をタイに設立した。
社名はAsia Silicones Monomer Limited
で、能力は年間約7万トン(シロキサンベース) アジア最大の単独シリコーン製造工場 である。
この
JVについては今回の発表では触れられていない。

信越はまた、タイにシリコーン製品の生産・販売を行う全額出資子会社「
シンエツ・シリコーンズ・タイランド」を設立。上記JVのシリコーンモノマー設備の完成に合わせて、製造開始した。

信越化学は2002年にシリコーン製品の製造販売に関する合弁会社を中国に設立している。
社名 浙江信越精細加工有限公司
出資 信越化学 90%、TOPCO International 10%

東レ・ダウコーニング・シリコーンは中国上海市にミラブル型シリコーンゴムの製造販売会社 Ling Dao Silicone (上海)を設立している。

本年8月、ダウコーニングとワッカーは中国・張家港市でのシリコーン事業のJV、Dow Corning (Zhangjiagang) Co, Ltd. の認可を得ている。
ポリマーのシロキサンを製造するもので、
シリコーン樹脂の充填材などに使う乾式シリカの製造JVも設立する。ダウコーニングがシロキサン、ワッカーが乾式シリカを担当する。

 

参考資料:シリコーン工業会ホームページ

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2006年9月20日 (水)

中国、日本からの輸入食品や化粧品に禁止物質発見

中国の国家質量監督検験検疫総局はこのたび、日本からの輸入食品や化粧品に禁止物質や基準値を超える物質が続々と発見されていると発表した。

国家質量監督検験検疫総局 (AQSIQ)は中国全土で販売される商品全般の品質検査・管理、輸出入衛生検疫、輸出入動植物検疫、認証認可、品質管理の基準化作業などを行う国務院の直属機関。中国語の「質量」は「品質」の意味。

深セン検験検疫局では、日本から輸入された魚肉ソーセージに中国の最高基準値の17.3倍に当たる1キロ当たり1.3グラムのソルビン酸が検出された。このほか、九州地方で生産された大根の漬物からも基準値を上回るソルビン酸を検出した。

山東省の検験検疫機関で、日本から輸入された冷凍タチウオから微量のリステリア菌が検出された。リステリア菌はヒトや家畜に敗血症、脳膜炎、単核細胞の増加などを引き起こすなど、人々の安全を脅かす。

天津市の検験検疫局で基準値を超える細菌を含む日本産コーヒーが見つかった。また遼寧省の検験検疫局で、日本からの冷凍タコ1181ケースから黄色ブドウ球菌が検出された。

広東省の検験検疫局で日本製ケーキから基準値を上回るアルミニウムが検出された。日本製のデンプン粉18トンから基準値を大きく上回る二酸化硫黄が、冷凍カキから基準値の約5倍のカドミウムが検出されている。

広東省の境検験検疫局又、プロクター・アンド・ギャンブルグループのマックスファクター社が製造した「SK―II」ブランドの化粧品から、配合が禁止されているクロム、ネオジムなどを検出した。
クロムはアトピー性皮膚炎や湿疹などのアレルギー反応を引き起こす可能性があり、発病すれば治癒までに時間がかかるうえ、大変治りにくい。ネオジムは目や粘膜に強い刺激を与えるほか、皮膚にも刺激を与え、吸い込むと肺血栓塞栓症や肝機能障害をもたらす可能性がある。いずれも中国や欧州などの関連規定では、化粧品への配合が禁止されている化学物質。
北京ではSK―IIの返品ラッシュ始まったという。

検総局はこうした問題について、日本政府の主管部門と駐中国大使館に書簡を送り、日本の関連部門が対中輸出食品の管理を強化し、中国の国家基準に合致させることを保証するよう求めた。
また同局は各地の検験検疫機関に通知を出し、日本からの輸入食品の検査を強化し、食品の安全を確保するよう求めている。

日本経済新聞(9/15)は、「日本政府による残留農薬規制の強化に対抗し、日本製品への検査を厳格化している可能性が高い」としている。

ーーーー

日本ではこれまで、食品残留基準にネガティブリスト制度を採用していた。

厚生労働省が食品衛生法に基づいて残留農薬基準を設定しており、残留農薬基準を超えるような農薬が残留している農産物は、食品衛生法により販売禁止などの措置がとられる。
この場合、規制するものをリスト化(ネガティブリスト)し,リストに記載された農薬のみに残留基準が定められたが、残留農薬基準が設定されている農薬等は約250農薬に過ぎなかった。
「不検出」(検出されてはいけない物質)は、2,4,5-T など15物質。

このため,残留基準が定められてない農薬では,残留が検出されても基本的に規制対象外となり流通することが出来た。輸入農産物に、国内で使用されていない農薬の残留があってもリストに無い農薬であれば,流通を規制することが出来なかった。Positivelist_1

厚生労働省は2003年に食品衛生法を改正し、基準が設定されていない農薬等が、一定量を超えて残留する食品の流通を原則禁止するポジティブリスト制度に、3年以内に移行することを決定、本年5月29日から施行された。
(添付図参照 クリックすると拡大)

規制の対象
 規制対象物質 … 農薬、動物用医薬品、飼料添加物
 規制対象食品 … 加工食品を含むすべての食品

ポジティブリスト制では、国内や海外で使用されるすべての農薬や動物薬、飼料添加物(799成分)について、国際基準であるCodexや農薬登録保留基準、先進諸外国の基準を参考として暫定的に基準値(暫定基準)が設定され、基準値をオーバーする食品(加工食品を含む)については流通が禁止される。
残留基準が定められていないものについては「人の健康を損なうおそれのない量として厚生労働大臣が一定量を告示する」こととなっており、0.01ppm と告示された。
なお、「人の健康を損なうおそれのないことが明らかであるもの(特定農薬等)」として厚生労働大臣が指定する物質は本制度の対象外となり、65物質が指定されている。
(例)コメの残留基準(単位:ppm)
農薬等 従来基準 改正基準 
2,4,5-T 不検出 不検出
2,4-D 0.1 0.1
アセフェート 基準なし 基準なし→0.01適用
アセキシノル 基準なし 暫定基準0.02

この制度により、農薬の飛散による影響などが懸念されるが、日本への農産物の輸出が多い中国が大きな影響を受け、日本向け輸出量が減少した。

5月30日には中国商務部の報道官は以下の通り述べている。
日本が「食品に残留する農薬等に関するポジティブリスト制度」を実施すれば、中国の対日農産物輸出に対するハードルは引き上げられることになり、両国の農産物貿易に大きな影響を与えるだろう。
   
29日から実施されているポジティブリスト制度は技術基準問題にとどまらず、貿易の公平さにもかかわってくる。中国は消費者の健康と安全を守ろうとする日本政府の立場を尊重するが、ポジティブリスト制度が中国の農産物企業と農民の利益に与える利益にも大きな関心を寄せている。
   
日本政府が食品の品質保証を前提に、正常な貿易が影響を受けないよう必要な措置を講じることを中国は望んでいる。また広範な中国の農産物輸出企業が関係省庁と業界組織の指導のもと、生産管理を強化し、自主検査能力と自主規制能力を高め、主体的に措置を講じて輸出リスクを回避するよう望んでいる。
   

食品衛生法では輸入食品に関して以下の規定がある。

厚生労働大臣は、食品衛生上の危害を防止するため必要があると認めるときは、生産地の事情、過去の違反事例等その他の事情からみて食品衛生法に違反するおそれがあると認められる食品、添加物、器具又は容器包装を輸入する者に対し、当該食品、添加物、器具又は容器包装について、厚生労働大臣又は登録検査機関の行う
検査を受けるべきことを命ずることができるとされており、命令を受けた者は、当該検査を受け、その結果の通知を受けるまで、当該食品等の販売又は営業上の使用が禁止される(検査命令)。

検査の結果、食品衛生法違反であることが判明した食品等については、
廃棄、積み戻し等の措置が行われることとなる。

ーーーー

食品輸入をめぐる争いに関しては、中国と韓国のキムチ問題があった。

昨年、韓国政府が中国からの大量のキムチ輸入への対応として製品検査をしたところ、寄生虫卵が発見され、発表した。
これに対して中国側は、韓国製のキムチからも寄生虫卵が発見されたと発表、韓国側で調べたところ16社の製品から検出され、中国の発表が事実であると確認された。(日本も輸入していた)

付記 (9/23)

国家質量監督検験検疫総局は21日再び緊急通知を出し、各地方の検験検疫部門に対して、日本産輸入食品の検査を強化し、問題のある食品の国内流入を断固として防ぎ、輸出入食品の安全性を確保するよう求めた。

関連の検験検疫機関は問題のある食品について、「中華人民共和国輸出入食品検験法」とその実施条例の規定に基づき、すでに輸入禁止措置を発動している。

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2006年9月19日 (火)

日本のVCM業界の変遷-2

各社の動きの続き    (添付図はクリックすると拡大します。)

トクヤマ

 ア法転換4社の1社である徳山曹達は当初、先ずEDC生産が認められた。
 1964
、徳山曹達、東洋曹達は周南石油化学を設立、
 東曹・南陽でEDCとエチレンジアミン、徳曹・徳山でEDCとPOを生産した。

 その後、東曹は自社で1966年南陽でオキシ法VCMを生産、
 1970年に鉄興社とのJV・四日市鉄興社を設立して四日市で鉄興社枠でPVCを生産した。

 徳曹は1966年にダイセル、鉄興社とのJVサン・アロー化学(徳山)を設立し、VCMとPVC(鉄興社枠で)を生産した。
 当初、鉄興社 45%/徳山曹達 35%/ダイセル 20%
、その後、ダイセルが離脱。

 1975年に東曹は鉄興社を吸収合併し、徳曹はサン・アロー化学を100%子会社とした。
 周南石油化学は1978年に解散した。

 1995年にトクヤマ、サン・アロー化学は新第一塩ビに参加した。
 新第一塩ビでは住化は千葉塩ビモノマー、ゼオンは山陽モノマー、徳曹はサン・アロー化学からVCMを持ち込んでいたが、徳曹は1996年12月に公称能力 13
5千トン設備をS&Bし、300千トン設備を建設した。

山陽モノマー(日本ゼオン、旭化成・水島コンビナート)

 1968年、山陽モノマーが設立され、1970年にゼオン水島工場内に12万トン設備が建設された。

出資比率 日本ゼオン 55%、旭化成 25%、チッソ 20% 
原料 塩素   :岡山化成(旭化成 50%、ダイソー 50%
エチレン:山陽石油化学(旭化成)
引取 ゼオン  65%  PVC
旭化成
10%   ビニリデン、溶剤(延岡)                 
チッソ 
25%   PVC

 日本ゼオンは1979年に高岡の混合ガス法(GPA)設備を停止している。

 その後、山陽モノマー能力は230千トンに増加した。

 新第一塩ビは1999年5月に、水島のPVCプラントの停止を含む再構築策を発表した。 
 日本ゼオンは旭化成、チッソと交渉し、PVCと同時に2000年3月に山陽モノマーを停止することを決めた。

  対応として、旭化成は3年間、塩素とエチレンを隣接の三菱化学にパイプで供給し、
  VCMを生産委託し、チッソ水島(撤退決定で鐘化からPVC製造受託)と旭化成延岡に供給した。

千葉塩ビモノマー(住友化学) 

 当初、住化と電気化学2社JV・日本塩化ビニールでVCM 100千トンを生産する計画であった。
 通産省の指導で、千葉地区の3計画(日本塩化ビニール、旭ペンケミカル、日産化学の各10万トン計画)を統合
した。

 この結果、 電解~EDCの日本塩化ビニール(住化/電化)とVCMの千葉塩ビモノマー(住化/電化/旭硝子/日産/チッソ)が設立された。

 以後の経過は次の通り。Chibi1_1

 1984年に電解のDI法への転換で徳山曹達の技術を導入、徳曹は関東の塩素系製品製造Chibi2 のため、電解に参加した。

 1996年に大洋塩ビが設立され、東ソーは電気化学の工場内にVCMタンクを設置、電化は千葉塩ビからの離脱を要請した。

 交渉の結果、1997年10月に電化は3つのJVからの引取りを中止、98年10月に電解、EDC会社が解散した。
 電化は千葉塩ビモノマーからも離脱、住化と旭硝子は旭硝子のEDCを使って両社枠の生産継続を図った。
 しかし、経済的に成り立たず、同社は99年に解散した。

 新第一塩ビとしてはサン・アローのS&B後はVCM能力が過大で、徳曹は外販で補っていたため、支障は生じない。

 

東ソー(四日市、南陽) 

 多くのエチレンセンターの中で、東ソーはエチレンを塩ビ用を中心とするという特異な戦略をとった。
 同社は、港湾設備、自家発電設備といった強力なインフラ基盤を背景に、電解、VCM、PVC、塩ビ加工へとつながる
 「ビニル・チェーン」を国内を含めたアジア市場に主眼を置いて展開することを決めた。

Vinylisochain2_2 同社は1996年の南陽の第二VCM(第1期)に始まり1999年まで、南陽と四日市でビニルチェーンに膨大な投資を行った。
 
大洋塩ビ設立時には次の構想をたてた。
   三井東圧化学は名古屋の電解、大阪の電解とVCMを停止、
   電気化学は千葉電解、千葉EDC、千葉塩ビモノマーから離脱し
て、東ソーから購入
 南陽の第二VCM(第1期)30万トンは、この構想を前提に建設したもので、その後構想は実現した。

 同社はその後もビニル・イソシアネート・チェーンの拡大を続けた。
 2005年11月、南陽のVCM 400千トンが完成し、VCMの合計能力は1,475千トンとなった。
 なお、2006年4月には同設備を600千トンに増設すると報じられている。

 

三井化学(大阪)

 1968年に三井化学と東洋高圧、三井泉北石油化学を設立し、1970年に大阪でオキシ法VCM,PVCの生産を開始した。

 (三井化学と東洋高圧は1968年に統合、三井東圧化学となり、1974年に三井泉北石油化学を吸収合併した)

 三井化学は1996年に大洋塩ビ設立に参加、東ソーの構想に乗り、1999年12月に大阪工場の電解(ソーダ70千トン)とVCM(109千トン)を停止した。
 東ソーにエチレンを供給し、VCMを製造委託した。

三菱化学→ヴイテック(水島)

 三菱化学の塩ビ事業は、四日市でのMonsant とのJVのモンサント化成と、水島での日本カーバイドとのJVの水島有機に始まる。

 両社の事業は最終的に1985年に三菱化成ビニルに統合されたが、三菱化成と三菱油化の統合による三菱化学の設立で、VCM、PVC事業は三菱化学が引き継ぎ、三菱化成ビニルは樹脂加工業となった。Mitubishipvc

 2000年4月、三菱化学は東亞合成とともにヴイテックを設立、水島の電解~PVC、四日市のPVCはヴィテックに移った。

 なお、三菱油化と三菱化成(塩ビ生産)の合併で、三菱化学が5万トンのVCMを取得した。
 東亞合成との提携で、これを川崎に持ち込んでPVCにし、関東地区の販売に当てた。
 しかし、2000年に旭硝子とともに引取り権を放棄している。

 ヴイテックは2002年に企業体質強化策を発表した。
 これに基づき、
 2003年3月、セントラル化学からの年間10万トンVCMの引取りを終了
 同年6月、水島のVCM能力を35万トンに引き上げ
 2003年末、電解の増強を行い、EDC自給体制を整えた。

 2005年、同社は水島のVCM能力を40万トンに引き上げた。増産分は中国を中心にアジア市場に輸出する。

セントラル化学(川崎)

 1963年、セントラル硝子(元宇部曹達)70%/東亜燃料 30% でセントラル化学を設立
   翌年、水銀電解及びEDCの製造販売を開始

 1969年、東亜合成、セントラル硝子、東燃化学が川崎有機を設立)
 (1970年、川崎有機、PVC生産開始)                             

 1970年、セントラル硝子 60%/東亜燃料 20%/東亞合成 20% に。
      VCM製造販売開始(VCMは川崎有機へ供給)
      
 1974年、PVCを川崎有機に生産委託し、販売開始
 
 1985年、イオン交換膜電解新設
      セントラル硝子74.4%/東燃化学 12.8%/東亞合成 12.8% に。

 2000年、セントラル硝子 87.2%/東燃化学 12.8%

  * 2000
4月のヴイテック発足に先立ち、川崎有機からセントラル硝子、東燃化学が離脱し、
   川崎有機は東亞合成 100%に
   
(PVCはヴイテックに移管、機能性モノマー専業になるが、2001年東亞合成が吸収合併)。
  これに合わせて東亞合成がセントラル化学から離脱した。

 2002年、セントラル硝子 100%に。
 2003
年、PVC、VCM事業から撤退、4月にセントラル硝子が吸収合併。

ーーーー

「選択と集中」時代に旭ペン、三井化学、山陽モノマー、千葉塩ビモノマー、セントラル化学の各社が設備を廃棄し、その合計能力は731千トンに及んだ。しかし、他方、ビニルチェーン拡大を図る東ソーが大増設を行い(更に増設も)、その結果、2005年末の能力は97年のそれを上回っている。

VCM能力(単位:千トン)

  '97 '05 PVCメーカー
鹿島塩ビモノマー   600   600 信越化学
カネカ
カネカ(高砂)   520   520 カネカ
京葉モノマー
旭ペン
  200
   50
  200
  ー
輸出
トクヤマ   300   330 新第一塩ビ
山陽モノマー   230   ー
千葉塩ビモノマー   210   ー
東ソー   784  1,443 大洋塩ビ
三井化学   109   ー
三菱化学
 →ヴイテック
  300
  
  391

ヴイテック
セントラル化学   132   ー
合計  3,435  3,484  

日本のVCMの需要は図の通りで、2005年末能力3,484千トンに対して、2005年の総需要は2,844千トンである。
そのうち、輸出PVC用が714千トン、VCM輸出が652千トンで、合計1,366千トン、総需要の48%に達する。

Vcm1_1

PVCもVCMも輸出は中国向けが中心であるが、PVCの膨大な増設が行われ、既に輸出が増大しつつある状況である。また中国でのPVCの新設はカーバイド法が中心である。

このため、PVC、VCMともに、今後の中国向け輸出は減少するものと思われる。

その場合、PVCも含めた再編が必要となる。

東ソーのビニルチェーン構想は成功するのであろうか。筆者の見方はノーである。輸入したナフサ、工業塩を原料にして、汎用品のVCM & PVC と苛性ソーダを輸出するというのは、如何に用役費が安いとはいえ、物価の高い日本でやることではないだろう。

 

 

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2006年9月18日 (月)

日本のVCM業界の変遷-1

日本のPVCの生産は第二次世界大戦前の日本窒素に始まるが、戦後、多くのメーカーが進出した。

当初は石油化学誕生以前で、製法はカーバイド・アセチレンと塩酸を反応させ、VCMをつくるものであった。Vcm

PVCの生産が増える中でカーバイドと苛性ソーダに構造的な矛盾が発生した。電力料金のアップによりカーバイドの増設が困難となり、これに代わる炭化水素源が必要となったこと、塩素の需要増でソーダが余剰となり、特に東洋曹達、徳山曹達、旭硝子、宇部曹達(現・セントラル硝子)のア法4社に問題が出てきたことである。

アセチレン法からの転換:
米国では既にエチレンと塩素からVCMを製造するオキシクロリネーション法が採用されていた。

日本では先ず、エチレンからのEDCを原料にVCMを、副生する塩酸をアセチレンと反応させVCMをつくるEDC法が使われた。

日本ゼオン(高岡)と呉羽化学(錦)はいずれも自社技術を開発し、ナフサからエチレンとアセチレンの混合ガス(ゼオンはこれを分離)からエチレンと塩素、アセチレンと塩素を反応させてVCMを生産した。呉羽はその後、原油の分解ガスも原料とした。

住化はSBA法を導入してナフサからエチレンとアセチレンを分離し、アセチレンをアクリロニトリル(旧法)とVCMの原料とた。

これらはいずれも採算等の面からその後停止した。

1964年頃から各社のオキシ法への転換が始まった。

 

アンモニア法か性ソーダの電解法への転換:
1961年11月、通産省は 「アンモニア法か性ソーダの電解法への転換方針」を出し、カーバイド法からの原料転換を奨励するとともに、ア法ソーダの電解法への転換を進めることとし、ア法メーカーのEDC計画を塩素消化の面から支援することとした。

ア法メーカーはPVCへの進出を希望したが当初はEDCのみを認めることとし、第二期エチレン計画の中で、1964年に東燃石油化学・川崎の誘導品としてセントラル硝子の、出光石油化学・徳山の誘導品として東洋曹達、徳山曹達のJVの周南石油化学のEDC計画がスタート、その後、1967年に旭硝子は旭ペンでVCMに進出した。

PVCの増設に当たっては、第1次から1972年に完成する第5次増設まで、通産省の指導と了承の下で実施された。
ア法4社のPVC進出はなかなか認められず、徳山曹達は1967年に鉄興社の増設枠を使って鉄興社/ダイセルとのJVのサン・アロー化学を設立して徳山でVCMとPVCを、東洋曹達は1970年に同じく鉄興社の増設枠を使って鉄興社とのJV 四日市鉄興社を設立して四日市でPVCの生産を始めた。
(後、1975年に東洋曹達は鉄興社を吸収合併し、徳山曹達はサン・アロー化学を100%子会社とした。周南石油化学はそれぞれの工場内にEDCを生産するものであったが、1978年に解散した。)
セントラル硝子子会社のセントラル化学は1970年にVCM、74年にPVCの生産を開始した。
旭硝子は73年にPVC生産を開始、ア法4社がすべてPVCに進出した。

VCMセンター構想:
1966年12月、通産省は「塩化ビニルモノマーセンター構想」を発表した。①今後のVCMは石油化学方式を採用することとし,カーバイド・アセチレンを原料とする設備はできるだけ早く転換する。②立地はエチレンセンター隣接地とし,規模は年産10万トン以上とする、等というものである。

更に1969年3月、通産省は「塩化ビニルモノマー設備増設計画の調整について」を出し、VCM専業企業とPVC企業との共同投資が望ましいとした。

この結果、30万トンエチレンセンターを中心に多くのVCMセンターが出来た。エチレンセンターにとっては、旧法転換によるため需要の裏づけがあること、エチレン消費量が大きいこと(20万トンVCMでエチレン10万トンを消費)から、30万トン構想の実現に大いに役立つものとなった。

塩化ビニルモノマーセンター計画  単位:千t/年

地区 会社名 生産能力 完成時期 エチレンセンター 供給先
鹿島 鹿島塩ビモノマー   220 1970年8月 三菱・鹿島 信越化学、日信化学、鐘淵化学
千葉 千葉塩ビモノマー   160 1971年4月 住化・千葉 住友化学、群馬化学、チッソ、電気化学
川崎 セントラル化学    60 1970年4月 東燃・川崎 東亜合成化学
泉北 三井泉北石油化学   120 1970年3月 大阪石化・大阪 三井東圧化学
水島 水島有機   200 1970年9月 化成水島 日本カーバイド、三菱モンサント化成、
韓国化成
水島 山陽モノマー   120 1970年7月 山陽エチレン・水島 日本ゼオン、チッソ、旭化成
南陽 東洋曹達   150 1968年7月 出光・徳山
新大協和・四日市
日信化学、信越化学、東亜合成化学、
徳山積水
徳山 サン・アロー化学   110 1970年4月 出光・徳山 自消、輸出、その他
呉羽化学   150 1970年10月 (原油分解法) 自消

 注 日信化学は後、信越化学が吸収、群馬化学は電気化学が吸収

 

幻の常陽モノマー計画:

1973年頃、呉羽化学は1976年以降の次期VCMとして、三菱油化の鹿島コンビナートの第2期計画の一環としての、旭硝子、日本ゼオン、三菱油化との共同事業を検討した。「常陽モノマー」計画と呼ばれた。

 呉羽化学:VCM不足対応
 旭硝子:PPGのオキシクロリネーション法モノマー工場の操業引受、PVC進出に意欲。
 日本ゼオン:東日本に生産拠点希望。
 三菱油化:エチレン増強

平行してPVCについて、呉羽化学、旭硝子、三菱モンサント化成の共同投資「常陽ポリマー」計画が検討され、呉羽化学の懸濁重合法によることがほぼ決まった。

しかし、その後の石油危機による不況で三菱油化のコンビナート拡張計画がつぶれ、1976年交渉は打ち切られた。
(呉羽は混合ガス法、原油ガス法VCM設備の停止後、旭硝子、住友化学からの購入に切り替えた。)

ーーーー

各社の動き

 VCM能力(単位:千トン)

  '97 '98 '99 '00 '01 '02 '03 '04 '05 PVCメーカー
鹿島塩ビモノマー  600  600  600  600  600  600  600  600  600 信越化学
カネカ
カネカ(高砂)  520  520  520  520  520  520  520  520  520 カネカ
京葉モノマー
旭ペン
 200
  50
 200
 ー
 200
 ー
 200
 ー
 200
 ー
 200
 ー
 200
 ー
 200
 ー
 200
 ー
輸出
(呉羽化学)
トクヤマ  300  300  300  300  300  300  330  330  330 新第一塩ビ
山陽モノマー  230  230  230  ー  ー  ー  ー  ー  ー
千葉塩ビモノマー  210  210  ー  ー  ー  ー  ー  ー  ー
東ソー  784  784 1,034 1,034 1,034 1,046 1,046 1,046 1,443 大洋塩ビ
三井化学  109  109  ー  ー  ー  ー  ー  ー  ー
三菱化学
ヴイテック
 300
 300
 300
 ー
 300
 ー
 300
 ー
 300
 ー
 347
 ー
 347
 ー
 391

ヴイテック
セントラル化学  132  132  132  132  132  132  ー  ー  ー
合計 3,435 3,385 3,316 3,086 3,086 3,098 3,043 3,043 3,484  

各社が撤退する中で、ビニルチェーンの拡大を図る東ソーの大増設が目立つ。

以下に各社の動きを見る。

鹿島塩ビモノマー(三菱化学・鹿島コンビナート)

 1964/8 三菱油化が四日市に次ぐ第2の工場立地として鹿島地区進出を決定
      当初エチレン15万トンを計画、これを修正して1966年年産30万トン計画を通産省に提出
        VCM、食塩電解、塩ビ樹脂およびアンモニアを企業化するために有力企業を誘致


 1968/2 鹿島塩ビモノマー、鹿島電解 設立

    出資比率:

  鹿島電解 鹿島塩ビ
旭硝子   25%   10%
旭電化   23%    5%
信越化学   23%   50%
鐘淵化学    8%   10%
三菱油化   21%   25%

三菱油化はエチレンセンターとして両社に参加

能力: 苛性ソーダ  年産 264千トン
塩ビモノマー 年産 220千トン
VCM引取り: 信越化学(PVC 20万トン建設)
鐘淵化学(PVC  5万トン建設)
旭硝子(製造委託)。

 その後、三菱油化と三菱化成(塩ビ生産)の合併で、三菱化学が5万トンのVCMを取得するが、
 2000年に旭硝子とともに放棄。
 現在の能力 600千トン。引取りは信越が492千トン, カネカが108千トン。  

カネカ(高砂)

 199510月、塩ビ・ソーダ事業の強化について発表
  高砂工場を中心に電解-VCM-PVCの一貫製造の優位性を生かし、競争力の強化により単独生き残りを図る。
  PVC:現状の高砂・大阪・鹿島3工場合計300千トンを年末に370千トンに増強
       将来は高砂・鹿島2工場で450千トン以上の体制へ
   VCM:
高砂のVCM 470千トンをデボトルキングで年末に 520千トンとする。
      鹿島塩ビモノマーの同社枠を加えると600千トンとなる。(→ 現在 628千トン)
  苛性ソーダ:高砂の電解の増強に着手、段階的に合計120千トンの能力増とする。

京葉モノマー、旭ペン (旭硝子、丸善石油化学エチレンセンター)

 1966年、旭硝子は米PPGインダストリーズとの50/50JVの旭ペンを設立した。
 VCMと塩素系溶剤を一貫して生産するもので、設備能力はEDC 250千トン、VCM 50千トン、溶剤が合計730千トン。
 このほか、旭硝子は
鹿島塩ビモノマー、千葉塩ビモノマーに参加し、それぞれからVCMを引き取っている。

 1993年、旭硝子は丸善石油化学とのJVの京葉モノマーを設立、200千トン能力プラントを建設した。
 工場は1995年春に完成したが、呉羽は同年7月これに参加し、25%の引取権を得た。

  出資比率 引取比率
旭硝子  56.25%  75.00%
丸善石化  18.75%   -
呉羽化学  25.00%  25.00%

 1998年5月、旭硝子は旭ペンの5万トン設備を停止した。

 なお、旭硝子(と三菱化学)は鹿島塩ビモノマーに出資するとともにVCMの引取権をもっていたが、
 2000年3月に引取権を信越化学と鐘淵化学に譲った。

 2003年3月、旭硝子は新中期経営計画「StoG2005」を発表した。
 発表の席で、石津社長は懸案の国内クロール・アルカリ事業の再構築について以下のように述べた。

  「当社単独でできる施策は完了した」
  「鹿島地区には大きな問題意識を持っておらず、千葉地区の構造改革が最大のテーマ」
  「コンビナートの再編動向をにらみながら、ベストなタイミングで取りうる施策を着実に実施する」

 同社では千葉の電解とVCM(京葉モノマー)の停止の方針を決め、関係各社への根回しを始めた。

 しかし、エチレン需要100千トンを失うこととなる丸善石油化学の反対を受け、当面操業を継続することとした。
 その後の中国バブルでVCMの輸出が好調なため、操業を継続している。

 なお、呉羽化学は京葉モノマーからの5万トンのVCM引き取り枠を保有しているが、大洋塩ビにPVC事業を譲渡、
 その後製造を停止した。
 このため、錦工場の塩化ビニリデン原料として使用する
2-3万トンを除いた分については、
 大洋塩ビの親会社の東ソーに任せることとした。東ソーは大洋塩ビの千葉工場に供給する。

(続く)

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2006年9月16日 (土)

Westlake Chemical、20周年

台湾資本のWestlake Chemical は事業開始から20年を迎えた。12日から各地で式典が行われている。

社は1985年に設立され、1986年にルイジアナ州Lake Charlesのポリエチレン工場を Cities Service Company から取得して操業を開始した。その後、エチレン、LLDPE、SMを新設した。
その後、Calvert CityKY)でAir Products and ChemicalsからPVCプラントを、BF Goodrichから電解、エチレン、VCMプラントを買収した。
2002年には倒産したBorden Chemicals and PlasticsからGeismar(LA)のVCM、PVCプラントを買収している。
また、PVC製品分野でパイプ、窓枠、その他の工場を多数買収、建設している。
一方、Norsk Hydro とのJVを中国に設立し、PVCと塩ビフィルム・シートを生産している。

同社については2006/4/15 「台湾の石油化学 で以下のように述べている。

「華夏プラスチック(CGPC)の元のオーナーのT.T.Chaoは台湾政府と問題を起こし、名目上撤退して持株をBritish Tire & Rubberの豪州子会社、BTR Nylexに譲渡したが、米国とマレーシアに進出した。

米国ではWestlakeを設立、ルイジアナ州Lake Charlesでエチレン、LDPE、LLDPE、SMを、ケンタッキー州のCalvert Cityでエチレン、塩素、VCM、PVCを生産している。同社は破産したBorden Chemicals and Plastics からルイジアナ州GeismarのPVCプラントを買収している。

Chaoグループはマレーシアの国有Permodalan Nasional Berhad と組んでパシールクダンにTitan Chemicalsを設立、石化コンプレックスを建設した。
エチレン70万トンで、HDPE、LLDPE、LDPE、PPを生産している。
同社は昨年、インドネシアのPT PENI (当初 BP/三井物産/住友商事JV:LLDPE/HDPE 45万トン)を買収し、PT Titan と改称した。」

また、2006/5/26 「アジア企業の海外展開ではトリニダッド・トバコ進出計画に触れた。

「本年4月、Westlake Chemical と南米北端のカリブ海にある島国のトリニダッド・トバコ政府は、同国でエタンベースで57万トンのエチレンとポリエチレンほかの誘導品事業を行う覚書を締結した。当面の予想所要資金は15億ドルで、2007年後半にスタートを目指してFSを行う。安価な原料とその立地を利用して、中南米の成長市場での販売が可能と考えている。」

ーーーー
Westlake Chemical
の現在の能力は以下の通り。(単位:100万ポンド、2.2で割ると千トン能力)

業部 製品          立地 合計
Lake Charles
LA)
Calvert City
KY
Geismar
(LA)
Westlake Petrochemicals エチレン    2,400      
Westlake CA&O エチレン       450     2,850
塩素       410      410
ソーダ       450      450
Westlake Polymers LDPE     850        850
LLDPE     550        550
Westlake Monomers VCM      1,300     600   1,900
Westlake PVC PVC       800     600   1,400
Westlake Styrene SM     485        485
North American Pipe PVC Pipe Booneville(MS), Springfield(KY),
Litchfield
(IL),Wichita Falls(TX),
Van Buren(AK),Bristol(IN),
Leola(PA),Greensboro(GA)
   810
Westech Building Products Fence, Deck and Railing Evansville(IN)     75
Doors and Window Profiles CalgaryAlberta), Pawling(NY)     30
Suzhou Huasu Plastics Company
蘇州)
PVC Westlake 43%/Norsk Hydro 32%/
Jiangsu Chemical Pesticide Group 14%/
China Taicang Petrochemical 3%
   726
PVC film & Sheet    132

同社のこの20年の動きは以下の通り。(単位は百万ポンド)

1985 設立  
1986 Cities Service CompanyからLDPE(220)を買収 →1988年 750 →1993年 850
1990 B.F. Goodrich からVCM(1,000)を購入  
1991 Lake Charlesでエチレン(1,000)スタート →1997年 2,300
1991 Air Products and ChemicalsからCalvert CityのPVCを買収  
1992 Lake CharlesでSM(350) スタート  
1992
~94
塩ビパイプ工場買収  
1994 カナダの塩ビ窓枠工場買収  
1995 蘇州の塩ビフィルム・シートJVスタート  
1996 New Yorkで塩ビフェンス製造開始  
1997 BF GoodrichからCalvert Cityの電解、エチレン、VCM買収  
1998 LLDPE製造開始  
1999 蘇州のJVでPVC製造開始(13万トン) 2004年末に33万トンへの増設決定
2002 Borden Chemicals and Plastics からVCM、PVC工場買収  

注 Borden Chemicals and Plastics は3つのPVCプラントをもっていたが、全て売却した。
    
Addis, Louisiana 工場:Shintech が購入、工場廃棄
    Illiopolis, Illinois 工場:Formosa Plasticsが購入 (2004/4 爆発事故)
    Geismer, Louisiana工場:Westlake が購入

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Westlake_2

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2006年9月15日 (金)

新日本石油化学、OCTプロピレン設備完成

新日本石油は11日、川崎の新日本石油化学のOCTプロピレン設備(とイソオクテン製造装置)が1日から稼動を開始したと発表した。

OCTは能力14万トンで、同事業所のエチレン、ブテン留分のほか、室蘭と根岸製油所のFCCから発生するFCCブテンも原料とする。
川崎のプロピレンは既存のナフサ分解炉の38万トンと合わせ、52万トンとなる。
同事業所のエチレン能力は45万トンのため、プロピレンがエチレンを上回ることとなり、同社で名実共にエチレンセンターからプロピレンセンターに転換するとしている。

2005年3月に発表した新日本石油の2005-07年度第3次中期計画では石油精製と石油化学の一体化(CRI=Chemical Refinery Integration)の更なる推進による石油化学製品の増産をうたい、アジア市場をにらみ、特に需給の逼迫が予想されているプロピレン・パラキシレンに軸足を置き、設備投資とCRIの更なる推進によるコスト競争力を確保しつつ、輸出を拡大するとしている。

プロピレンの生産計画 
2003年度実績   60万トン
2007年度   80
2010年度   100

2005年には水島製油所でFCCプロピレンの精留塔(プロピレン8万トン/年)の営業運転を開始した。2007年には仙台製油所の高付加価値化計画でプロピレンスプリッター設備が完成する。(プロピレン10万トン/年)

ーーーー
OCT(Olefins Conversion Technology)は、TECがABB Lummusの技術ライセンスをLummus社と共同でアジア地区における販売・設計を実施しているもので、TECは2002年に三井化学から大阪工場向に中国を除いたアジア地域で最初のOCTプラントの設計・建設を受注している。

三井化学は2004年秋に14万トン設備を稼動している。ブタジエンを含むクルードC4留分10万トンを水添したあとエチレン4万トンを加えて反応させ年間14万トンのプロピレンを得るもの。

新日石化学向けは2番目で、3番目は2004年8月に大韓油化工業から11万トン設備を受注している。

OCTプロセスは触媒を使ってエチレン、2-ブテンからプロピレンを製造することで廉価にプロピレンを増産するルートとして開発された。 Oct1

OCTプロセスではプロパンを生成しないため、エチレンプラントやFCCで使われる精密蒸留(スプリッター)を必要とせず建設費及び用役消費が軽減される。また、OCTプロセスは熱的にニュートラルな反応であり、競合する他のプロピレン増産プロセスと比較して、少額の投資で用役コストも少なくプロピレンを製造できる非常に優れたプロセスであると言われる。

ーーーー

なお、旭化成は本年6月に水島製造所で独自開発した接触分解装置「オメガプロセス」の実証プラントを建設し、6月初旬より商業運転を開始した。

オメガプロセスは、石化プラントや石油精製プラントから副生する C4・C5ラフィネートを原料とし、同社が開発した独自の触媒を用いて従来の熱分解法より低温条件下でエチレン・プロピレンを製造する装置。

オメガプロセスの特長は、
1)  オメガプロセスを導入することで、 オレフィン(エチレン、プロピレン)生産量あたりのエネルギー使用量を現状より3%以上低減させる と同時にCO2排出量も大幅に削減することができる。
2)  オメガプロセスは、エチレン1に対しプロピレンが4 生成するという、従来法では成し得ない選択的なプロピレン製造を可能にした。 従来のナフサ熱分解法ではエチレンに対するプロピレンの生産比率は0.65が最大であったが、 オメガプロセスを組み合せることで生産比率を0.8にすることが可能になる。

副産物が増えるように分解炉を低温運転するため、エチレンの生産量は減少するが、低温運転のためエネルギー消費量も20%節約できる。
NEDOの平成16年度「エネルギー使用合理化事業者支援事業」に採択されている。

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2006年9月14日 (木)

日本のPVC業界の変遷と現状-2 

(事業統合時代)

(新第一塩ビ)

1994年8月、日本経済新聞にスクープが出て、業界を驚かせた。
「住化・日本ゼオン・トクヤマ 塩ビ、新会社に統合 製造・販売を一体化 生産能力、最大に」というものである。
「事業統合で生産規模の拡大による収益改善をめざす塩ビ業界の新しい形の提携の第一弾となる。需要低迷の続く石油化学・塩ビ業界の再編成の引き金となろう」としている。

199412月、日本ゼオン、住友化学、サン・アロー化学とサン・アローの親会社トクヤマ(当時は徳山曹達)の4社は、公取委の内諾を得て、3社の塩ビ事業を統合することを発表した。同時に呉羽化学は新会社への不参加を発表した。

94年末に呉羽が第一塩ビ販売から実質離脱し、翌2月に呉羽の第一塩ビ販売の持株を3社が買い取るとともにトクヤマが出資した。
95年7月1日、第一塩ビ販売を「新第一塩ビ」と改称して、新会社がスタートした。

共販会社の1社が発展的解消したこととなる。

①社名   新第一塩ビ株式会社 
商標 「ZEST」(
Zeon、Sumitomo、Sun-arrow、Tokuyamaの頭文字から)
②資本金   70億円(第一塩ビ販売の資本金 90 百万円を増資)
出資比率 日本ゼオン 40%、住友化学 30%、サン・アロ- 20%、トクヤマ 10%
③事業目的   スタ-ト時は塩ビ樹脂(ペ-スト、特殊品を含む)の製造販売と、
 日本ゼオンの製造する塩ビ強化剤MBS樹脂の販売。
④工場と能力   3社の5工場(千葉、高岡、水島、新居浜、徳山)の塩ビ樹脂製造設備を譲受ける。          
工場  ( )は工場立地と能力(千トン)
 汎用品:住化(千葉 35)、ゼオン(水島 120)、サン・アロー(徳山125)、
      第一塩ビ製造(千葉:60+呉羽枠 20)
 ペースト・特殊品:住化(愛媛 25)、ゼオン(高岡 65)
 合計 呉羽枠除き 430
⑤従業員   営業、研究、管理は各社から移籍、出向
製造は各親会社に委託
⑥原料VCM   各社が供給
 住化
(千葉塩ビモノマー:住化、電気化学、旭硝子JV、公称能力 210千トン)
 ゼオン(山陽モノマー:ゼオン、旭化成、チッソJV、公称能力 230千トン)
 トクヤマ(サン・アロー化学 公称能力 13
5千トン、1996/12にS&Bを実施、300千トンに)

第一塩ビ製造については、呉羽化学はは新第一塩ビに参加しないのを理由に第一塩ビ製造からの離脱を要請した。
しかし、当時は既に能力過剰となっており、固定費負担が移転することから、条件が合わず、残留した。
(出資:新第一塩ビ76
%/呉羽化学24%
その後、新第一塩ビでは1998年に更なる合理化のため、千葉の35千トンを停止することとし、代わりに第一塩ビ製造の呉羽持分を譲り受け、98年10月に第一塩ビ製造を吸収合併した。

* 同社は95年末に、呉羽を含む4社の共有技術を使って、インドネシアのPT サイアム マスピオン ポリマー社に内部ジャケット方式のPVC技術をライセンスしている。
  タイ(サイアムセメント)とインドネシア(マスピオン)のJVで能力は 120千トン
  *現在はサイアムセメントグループが100%
 

(大洋塩ビ)

新第一塩ビの報道を受け、塩ビやポリオレフィン、その他で事業統合の検討が始まった。

千葉地区では電気化学が中心となり、旭硝子、呉羽化学との千葉連合が検討された。
しかし、電解
VCMPVCのビニルチェーンの拡大を図っていた東ソーが安価なVCM価格で電気化学を誘い、千葉連合は成立しなかった。

呉羽化学は単独での生き残りを図ることとし1993年に旭硝子が丸善石油化学とのJVで設立したVCM製造の京葉モノマーに95年7月に参加し、25%の引取権を得ている。

新第一塩ビがスタートしてすぐの19959月、東ソー・三井東圧・電気化学の3社が翌年4月に塩ビ樹脂事業を統合することを発表した。
生産能力58万トンという最大企業の誕生である。
東ソーは共同塩ビ、三井と電化は日本塩ビ販売と、異なる共販会社のメンバー同士の提携であるため、両共販とも1995年末に解散した。

①社名   大洋塩ビ
②設立   1996年1月1日
③営業開始   1996年4月1日
④資本金   10億円→最終的に100億円
出資比率   東ソ- 37% / 三井東圧 37% / 電化 26%
⑤事業内容   PVC(但し東ソ-南陽工場のペ-ストは除く)の製造販売 
⑥従業員   営業、管理、研究・開発は出向
⑦能力   設備はJVに譲渡せず、親会社が製造受託
 東ソ-(四日市) 250千トン(南陽ペ-スト25千トンは除外)
 三井東圧(大阪) 122
 電気化学(千葉)  94

 日本PVC(大阪) 114  三井東圧60% / 電化40% JV 
(合計) 580千トン
⑧VCM   東ソーは自社のビニル・チェーンからの供給を前提に塩ビ事業統合を行った。
当初は三井東圧は自社VCM(109千トン)、電気化学は千葉塩ビモノマーの自社枠から供給。

三井化学は、1999/12に大阪工場の電解(苛性ソーダ換算 70千トン)、VCM(109千トン)を休止。
東ソーにエチレンを供給してVCM 100千トンを製造委託。
電気化学は構内に東ソー負担でVCMタンクを設置、
千葉塩ビモノマーからの撤退を要請。
東ソーはこれを前提に南陽に1996/4、第二VCMプラント第1期 30万トンを建設。   

(増設競争) 

1995年の新第一塩ビの誕生と大洋塩ビ設立発表は、考え方としてはメーカー数を減らし業界の安定化につながる筈であったが、逆に業界の混乱を引き起こした。
事業統合が今後の生き残りのカギであるかのような報道が相次いだことに反発するかのように、残る大手の信越化学、鐘淵化学、三菱化学が相次いで能力増強を発表した。

  95/9能力 増設計画
新第一塩ビ    430千トン  
大洋塩ビ 580  
信越化学 390 実能力490千トンで、更に550千トンに増強
鐘淵化学 270 年末に370千トンに増強、将来は高砂・鹿島2工場で450千トン以上の体制とする。
三菱化学 244 水島の124千トンをS&Bで160千トンとし(2系列64千トン廃棄、100千トン新設)、
四日市と合わせた合計能力を280千トンに。

(ヴイテック)

三菱化成は三菱油化との合併を機に、子会社でPVCメーカーの三菱化成ビニルを樹脂加工の専業メーカーにし、三菱化学がPVC事業を吸収して電解からPVCまでの一貫体制となった。

三菱化学は新第一塩ビ、大洋塩ビの誕生を受け、1996年末にS&Bにより水島で100千トンプラントを建設したが、更に1996年、東亞合成との提携に踏み切った。

東亜合成はセントラル硝子、東燃化学とのJV・川崎有機(出資比率70%)で年産100千トン設備を稼働させているほか、徳島工場に同20千トン設備を持っていたが、徳島の老朽化した20千トン設備を廃棄して川崎に三菱化学技術で100千トン設備を新設し、うち50千トンを三菱化学が鹿島塩ビモノマーのVCMを持ち込んで委託加工することとした。

東亜にとってはS&Bのリスクの軽減、三菱にとっては以前から探していた関東地区への供給ソースの確保というメリットがある。
東亞合成は.徳島工場を97年8月末で停止、川崎の新工場は1998
4月に商業運転を開始した。

なお、1996年4月の三菱化学(中央塩ビ販売)と東亞合成(日本塩ビ販売)の提携発表を機に、唯一残っていた中央塩ビ販売も96年7月末に解散し、塩ビ共販はすべて解散した。

その後、PVC事業の損益悪化で三菱化学は塩ビ事業を非コア事業と位置付けた。
しかし、水島のエチレンの維持のためにはPVCの存続が不可欠であること、三菱樹脂、三菱化学MKVなどの加工事業の存在もあり、提携している東亞合成との塩ビ事業統合を決めた。
東亞合成側も増設した新設備が重荷となっていた。

200041日、統合会社がスタートした。

会社名   ヴイテック㈱ (英文社名:V-Tech Corporation)
営業開始   2000/4/1
資本金   60億円 
 出資比率 三菱化学 60%、東亞合成 40%
事業   電解製品(水島)の製造、VCM(水島)及びPVCの製造・販売及び研究開発
  電解製品の販売は三菱化学100%のダイアケミカルに委託
能力   電解(水島) 135千トン(苛性ソーダ97%換算) 
    VCM(水島) 300千トン 
  *セントラル化学はVCM生産を継続、ヴイテックに供給
    PVC 合計 390千トン(川崎 180、四日市 110、水島 180
   
* 三菱化学は旭硝子とともに、2000/3/末で鹿島塩ビモノマーからのVCM引取権を放棄している。
*

東亜合成は、セントラル硝子、東燃化学とのJVの川崎有機を東亜合成の100%子会社とした。
PVC設備はヴイテックに移管、川崎有機は機能性モノマー(アクリル・メチルプロパン・スルホン酸)専業メーカーになったが、
2001年11月、東亞合成が吸収合併した。

(損益悪化)

新第一塩ビのスタートに当たり、共納していた需要家には価格を低い方に合わす必要があり、これが値下げの引き金となった。増設を見込んだ拡販競争が始まったこともあり、市況は一挙に暴落し、国内価格は1年間で20円程度も下がった。輸出価格の大幅ダウンもあって業界損益は悪化した。

94年度に85億円であった業界赤字は、95年度に141億円に拡大、96年度は244億円の多額になった。
統合会社は最初から大きな赤字でのスタートとなった。

その後も住宅需要の低迷は続き住宅着工件数は89年の167万戸が2000年には121万戸にまで落ち込んだ。更にダイオキシン問題が発生して需要が減少した。
一時200万トンを超えた国内需要は2000年には168万トンにまで下がった。逆に産構法設備処理前に2,010千トンあった製造能力は産構法設備処理で1,560千トンにまで下がっていたが、200012月には2,569千トンと産構法設備処理前に比して60万トン程度増加している。

業界の赤字状況は続き、特に事業統合会社は単品事業での独立採算のため、苦境に陥った。各社とも合理化に努めたが、単なる合理化ではどうしようもない赤字であった。

* 仮に従業員を100人を減らしても(規模にもよるが単品の統合会社の場合はかなり難しい)、年間の労務費の節減は10億円以下である。
逆に需要の伸びない中で各社が操業度を維持しようと過当競争に走ると、価格は10円/kg、20円/kgと簡単に値下がりする。
50万トンの販売数量では10円/kg下がると
年間 50億円の値下がり損失が発生する。

ーーーー 

(「選択と集中」時代)

このような状況の中で、産構法以前でさえも事業撤退を考えなかった各社も、このままの状態を続けられなくなった。
「選択と集中」が各社の合言葉となり、事業の撤退も含めて検討を始めた。

(新第一塩ビの改組)

最初に事業統合した新第一塩ビは最初に改組を行った。95年の設立以来4年間で資本金70億円をすべて食いつぶしていた。
同社は1999年5月に運営体制の変更と最適生産構造に向けての再構築策を発表した。

運営体制:
資本金70億円を1999/6月末に全額減資して累積損失を一掃し、合計80億円の増資を行なって財務体質を強化するともに、出資比率を変更し、トクヤマ主導の会社とする。クロルアルカリ~VCMをコア事業の一つとするトクヤマが新第一塩ビの運営に責任をもつ。

 資本金と出資比率
       資本金   トクヤマ   日本ゼオン   住友化学
  現 行    70億円   * 30.0%    40.0%    30.0%
  1999年6月    40億円    42.0%    29.0%    29.0%
  2000年3月    80億円    71.0%    14.5%    14.5%
                   
  *設立時はトクヤマ10%、サン・アロー化学20%
 (1999年トクヤマがサン・アローを吸収合併)

最適生産構造に向けての再構築:
① 汎用品の生産構造の改善:
 水島工場(ゼオン)を2000年3月末に閉鎖する。

 同社の能力は以下の通りとなる。(千トン)
  汎用品:千葉 80、徳山140
  ペースト・特殊品:愛媛 25、高岡 65
  合計:295千トン

② VCMの供給体制:
今後はトクヤマがVCM供給に責任を持つ。
 千葉塩ビモノマーは、電気化学の離脱で休止状況となっているが、生産再開は行なわない。(1999/7 解散)
 山陽モノマーは(発表時には交渉中であったが)PVC休止を受け、2000/3に休止する。

住化とゼオンは1951年及び52年にそれぞれ塩ビの生産を開始したが、塩ビ事業から実質的に撤退することとなった。

なお、2005年10月、新第一塩ビは、2008年3月でゼオンの高岡工場内のペースト等特殊品プラントを停止すると発表した。
これによりゼオン工場内のPVCプラントはすべて無くなることとなる。
なお、新第一塩ビでは、2000年3月に閉鎖した水島工場の汎用塩ビ用重合缶(内部ジャケット方式)1基を活用し、2005年初めに愛媛のペースト能力を増強している。

業界紙によると、新第一塩ビの改組の検討の中に「幻の大統合案」があった。
大洋塩ビと新第一塩ビの2社が合併し、場合により旭硝子、チッソ、呉羽化学などを加わえようという案で、日本ゼオンが東ソーに持ちかけたといわれている。問題は大洋塩ビも膨大な赤字を抱えており、この処理の目処が立たないと動けないということで、実現しなかったとのことである。

(チッソの塩ビ事業撤退)

チッソは1999/6/9に提示された政府による抜本支援策に基づき、「チッソ再生計画」を策定し、2000/1/25に発表した。
2006/5/1 「水俣病50年」 参照)

塩ビ事業については、20004月にPVCの販売を鐘淵化学に移管し、老朽化が進んでいる水俣工場、五井工場の設備については、適宜休止するが、新鋭設備の水島工場は運転を継続し、鐘淵化学からの生産委託を受けるとした。

2000
5月、まずチッソ・五井製造所が停止、続いて同年7月13日、水俣工場が停止し、塩ビ生産60年の歴史に幕を閉じた。

水島工場については鐘淵化学からの生産委託を受け、年6万トンを生産してきたが、2003年3月で3年間の契約が切れるのを機に停止し、チッソは完全に塩ビ事業から撤退した。

(大洋塩ビの改組)

大洋塩ビは2000/4に資本金10億円でスタートしたが、1997年秋に100億円に増資した。本来は増資資金で親会社から設備を買取る予定であったが、1998/3月期末で累積損失が約120億円に達し、その後も赤字が予想されることから、設備買取は延期された。

2000年2月、東ソー、三井化学、電気化学は4月からの大洋塩ビの改組を発表した。
同社は資本金100億円に対して1999
3月末の累積損失は147億円となり、2000/3月末では160億円を超えるといわれている。

東ソー、三井化学、電気化学は、19961月に設立した「大洋塩ビ株式会社」を一旦解散、新しく同じく「大洋塩ビ」の新会社を200041日に設立して営業を旧社から継承した。また親会社3社の製造設備(四日市、大阪、千葉)は20003月末付けで新会社に譲渡された。

新会社は東ソーの塩ビモノマーのコスト競争力を最大限活かし得る新体制を構築するため東ソー主導の運営形態で再構築された。

新しい大洋塩ビ
  資本金   60億円
  出資比率   東ソー 68%、三井化学 16%、電気化学 16%
  能力  
四日市   310千トン (東ソー)    
大阪   210千トン (三井化学)    
千葉     90千トン (電気化学)    
  610千トン      
  研究所   四日市に集約
  原料VCM   東ソーから供給(千葉 1997/10~、大阪 2000/1~)

三井化学、電気化学は旧会社の解散で過去の損失は負担しており、新たに持分法適用の16%の出資をしたのは、東ソーのビニル・チェーン活用による新会社の黒字化が経営を東ソーに任せる条件であったからといわれている。

東ソーはビニルチェーンの拡大に努めており、その一環として塩ビ事業で、自社で、フィリッピン、インドネシア、中国に進出している。Vinylisochain2_1

 

(呉羽化学の塩ビ事業撤退)

200211月、呉羽化学は事業再構築(高付加価値事業の推進)について発表、「選択と集中」の観点から、塩化ビニル樹脂、プラスチック添加剤および塩化ビニリデン・ラテックスのような同社の歴史を築いてきた事業からの撤退を明らかにした。
その上で、次の施策を追加実行することにより、コモディティー事業からの撤退を補って余りある高収益体質へ転換して行くとした。

PVCについては規模・立地等の条件から単独の事業継続には限界があると判断し、20031付けで同事業の営業権を大洋塩ビに譲渡するとともに同社から生産を受託することとした。
その後、大洋塩ビとの製造受託契約が切れるのを機に、呉羽化学は2004
3月末で錦工場での生産を打ち切り、設備を廃棄した。

なお、呉羽化学は京葉モノマーからの5万トンのVCM引き取り枠を保有しているが、大洋塩ビにPVC事業を譲渡、PVCを製造受託していた旭硝子もPVC事業から撤退したため、塩化ビニリデン原料として使用する23万トンを除いた分については、大洋塩ビの親会社の東ソーに任せることとした。東ソーは当初は大洋塩ビの呉羽化学への生産委託分として供給したが、呉羽の生産停止とともに大洋塩ビの千葉工場に供給する。

(旭硝子の塩ビ事業撤退)

旭硝子は自社PVCプラントを所有せず、チッソ千葉工場に1万トンの自社枠を所有し製造委託しているほかは、鹿島塩ビモノマーの引取枠分を信越に製造委託するとともに、呉羽化学に製造委託していた。鹿島塩ビの引取枠放棄、及びチッソ千葉工場の停止後は販売量全量を呉羽に製造委託していた。呉羽の塩ビ事業撤退を受け、旭硝子は2002年12月末で塩ビ事業から撤退した。

同社では化学品の構造改革の一環として千葉地区の電解や京葉モノマーの停止を検討したが、特にVCMの停止でエチレン消費が激減し致命的な影響を受ける丸善石油化学の反対が強かった模様で、「検討課題」としつつ、輸出が好調なため、輸出基地として存続させている。

旭硝子はは早くから海外に進出している。

インドネシア
  1986年にアサヒマスケミカルを設立、増設を重ね、現在の能力は以下の通り。
 電解  370千トン
 VCM  400千トン
 PVC  285千トン
   
タイ
  1966、タイ・プラスチック&ケミカル設立時に15%出資 (2004年売却)
なお、別途、1964年にタスコケミカルを設立、2工場で電解 244千トン
   
パキスタン
  1997年、現地エングロ社 50%、旭硝子 30%、三菱商事 20% でエングロ旭ポリマーアンドケミカルズを設立、年産100千トンのPVCを製造販売。

(セントラル化学の塩ビ事業撤退)

セントラル化学は1963年、セントラル硝子と東亜燃料のJVとして設立され、電解、VCMその他の事業を行っていたが、その後東亞合成が参加、同一メンバーによるPVCのJV・川崎有機にVCMを供給するとともに、自社分のPVCの製造委託を行っていた。東亜合成と三菱化学がヴイテックを設立した後、川崎有機は東亜合成に吸収され、セントラル化学はセントラル硝子100%となっていた。

同社のVCMは132千トンと規模も小さく、塩ビ事業の不採算の中、2003年3月でVCMプラントを停止し、PVCの販売も止め、塩ビ事業から撤退した。
塩ビ事業撤退後も電解事業は継続、2003
10月に同敷地内において硬質ウレタンフォーム発泡剤HFCー245faの生産を開始した。
2003
4月、セントラル硝子がセントラル化学を吸収合併した。

(ヴイテックの再編)

2005年3月、ヴイテックは再編を行い、出資比率を三菱60%、東亜40%であったのを、三菱 85.1%、東亜 14.9%に変更した。2003年末には累積損失が162億円にも達しており、水島工場の拡大等で事業の中心となる三菱化学が主導権を取り、東亞合成が実質的に撤退した。

ヴイテックの競争力強化実施経緯
  2002/12   「塩化ビニル事業強化策」発表
  2003/1   川崎及び四日市のPVC製造設備の一部を停止(生産能力:39万トン→33.4万トン/年)
  2003/3   セントラル化学のVCM停止、同社との取引終了
  2003/6   水島工場VCM製造設備増強(生産能力:30万トン→35万トン/年)
  2003/12   水島工場の電解製造設備の増強工事等完了
      これにより、VCM能力に見合ったEDC全量の自製体制を確立(高価格の輸入EDCの影響を回避)

20053月、ヴイテックは新ビジネスモデル構築へ経営方針を策定した。

  1. VCM増強 2005/11完成で35万トン→40万トン(増産分は輸出)
  2. リサイクル事業 
   
・塩リサイクル事業」
  JFEエンジニアリングと共同で、塩化ビニル製品やその他塩素を含む廃棄物中から塩素を塩として回収し、再利用するシステムを開発し、2005/4より、事業開始
(「JFEサーモセレクト方式資源リサイクルプラント(ガス化改質方式)」で「塩」にし、電解の原料として使用)
・PVCマテリアルリサイクル検討」
  農業用ビニルや電線被膜材等の軟質製品のみならず、パイプ・建築資材など硬質製品の効率的なリサイクルも

なお、三菱化学(当初は三菱化成)はブラジルでPVC事業に参加していたが、2003年、他のブラジル事業とともにBraskemに売却した。

(信越とカネカ)

単独で事業を継続した信越化学とカネカは、塩ビ事業は他社と同様苦しい中で、他の事業の損益で穴埋めし、事業を継続してきた。

信越化学は国内では単独で生き残りを図るとともに、米国及び欧州での事業を拡大し、世界一の塩ビメーカーとなった。

信越グループの能力(千トン)
  場所 PVC  VCM 注  
現状 計画 現状 計画
日本 信越化学 鹿島  550        
鹿島塩ビ 鹿島      492   600
米国 Shintech Texas 1,450        
Louisiana  590        
(270)       廃棄
   600    750 塩素 450
欧州 CIRES ポルトガル  200        
信越PVC オランダ  450    620    
フィンランド  (90)       契約終了
合計 3,240  600 1,112  750 塩素 450

2006/5/16 「世界一の塩ビ会社 信越化学 参照  

カネカ(旧鐘淵化学)も信越化学と同様、国内では高砂工場を中心に単独での生き残りを図り、ペースト塩ビでマレーシアに拠点を設けた。

同社は199510月、「高砂工場を中心に電解-VCM-PVCの一貫製造の優位性を生かし、競争力の強化により単独生き残りを図る」との塩ビ・ソーダ事業の強化策を発表した。

1996年秋に
・大阪工場のPVC閉鎖、 25千トン→0
高砂工場をデボトル増強 →230千トン (その後→255千トン)
・鹿島工場をデボトル増強 →170千トン (その後→185千トン) PVC全体で 400千トン体制確立

20004月、チッソ撤退に伴い、同社水島工場にPVC 70千トン製造委託
2003
3月、チッソへの製造委託終了、高砂で60千トン設備完成、老朽化設備廃棄(鹿島でも)

現状

  PVC VCM 備考
鹿島   178    
鹿島塩ビモノマー     108 (600のうち)
高砂   278   520  
(国内計)  (456)  (628)  

海外では1996年に三井物産と共同で米国のジョージアガルフ社の塩化ビニルペースト事業を買収し、Kaneka Delaware Corporationとし、20千トン能力を増設し35千トンとしたが、将来に向けて事業競争力を向上させる目処が立ちにくいと判断し、2003年解散した。

1999年1月、マレーシアにペーストPVCの製造販売会社を設立した。

  会社名   Kaneka Paste Polymer
  場所   パハン州ゲベン工業団地
  出資者   鐘淵化学 100%
  能力   30千トン

同地では他に以下の製品を製造している。
 
MBS樹脂「カネエースB」等 Kaneka (Malaysia) Sdn.Bhd.
 マグネットワイヤー、偏向ヨーク用マグネット部品 Kaneka Electec Sdn. Bhd.
 発泡ポリオレフィン樹脂「エペラン」「エペランPP」 Kaneka Eperan Sdn. Bhd.

 

(中国バブル時代)

以上により、日本の塩ビメーカーは産構法時代に16社あったメーカーは次の6社に減った。実質5社である。

統合会社 新第一塩ビ(トクヤマ主導)、大洋塩ビ(東ソー主導)、ヴイテック(三菱化学主導)
単独    信越化学、カネカ
需要家   徳山積水 (積水化学、東ソー)
* ほかに東ソーのペースト事業

工場別能力一覧表    2005/12/末 単位:トン/年
会社名 工場 能力
ヴィテック 川崎  115,000
四日市  104,000
水島  115,000
合計 (334,000)
カネカ 鹿島  178,000
高砂  278,000
合計 (456,000)
チッソ 水島      0
信越化学工業 鹿島  550,000
新第一塩ビ 千葉   80,000
徳山  140,000
高岡   50,000
愛媛   25,000
合計 (295,000)
大洋塩ビ 千葉   90,000
四日市  310,000
大阪  170,000
合計 (570,000)
東ソー 南陽   28,000
呉羽化学     0
徳山積水工業 徳山  115,000
合計   2,349,000
*新第一塩ビ、大洋塩ビは特殊品をそれぞれ3,000t、6000t含む
  
(METI能力調査に含まれないもの=VCMが50%未満のもの)

 

業界では更なる統合が噂された。新第一塩ビとヴイテックが次にどういう手を打つのか、が話題となった。実質5社になったとはいえ、能力は235万トンあり、国内需要は140万トン台で、90万トン程度の余剰能力があるためである。

しかし、中国バブルでこの動きは完全に止まった。高価格での輸出でフル稼働となり、ナフサ価格アップによる原料価格高騰も値上げが通った。
PVC20039月に中国商務部から、韓国・米国・ロシア・台湾品とともに、ダンピングの認定を受け、ダンピング課税を受けているが、保税輸出用に大量の輸出が継続している。

2005taihipvc 最近はMETIは塩ビ業界損益を発表していないが、業界損益は黒字となった。2005年度決算では統合会社も全て黒字である。大洋塩ビは再スタート後の累積損失を消しており、新第一塩ビもあと一息である。(ヴイテックは巨大な累積損失を抱えている。)

2006/7/19統合会社の2005年度決算  参照 

しかしながら、中国バブルは破裂しかけている。
需要が伸び悩んでいるなか、カーバイド法塩ビを中心に中国での設備新設が相次いでいる。
今や、中国からのPVCの輸出が増加しつつある状況である。

本年度第1四半期損益では、東ソーのVCM、PVC等の「基礎原料部門」は40億円減益の30億円の赤字となった。
2006/8/10「総合化学大手5社 第1四半期 実績」参照  

他の石油化学製品も同様だが、中国バブルはいずれ破裂するとの前提で、当初に考えた「選択と集中」を再度、考えるべきであろう。

なお、日本のPVCの潜在需要については、2006/3/3 「日本の塩ビ事業 」 参照

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2006年9月13日 (水)

日本のPVC業界の変遷と現状-1

2006/3/8~の「日本の石油化学産業の構造改善」で日本の石油化学業界の変遷を述べた。
2006/3/17~3/18の「総集編」では業界ごとの変遷を簡単にまとめている。

改めて、各業界ごとの変遷と現状を順次、詳しく取り上げる。(不定期)

最初はPVC業界。

2006/3/8 「日本の石油化学産業の構造改善-1」で、この25年の石油化学を、産構法時代、ポスト産構法時代(前期、後期)、事業統合時代、選択と集中の時代、中国バブル時代に分けた。

添付のPVCの能力&需要推移グラフ、PVC業界損益推移グラフが、それぞれの時代の特徴をよく表している。 25years2_2

25years3_3

もともとメーカー数の多かったPVC業界に、1961年11月の通産省の「アンモニア法か性ソーダの電解法への転換方針」により、ア法ソーダメーカー4社、旭硝子、東洋曹達、徳山曹達(サン・アロー化学)、セントラル硝子(セントラル化学)がPVCに進出した。


1979年1月には第2次石油危機が発生し、3万円/kl程度であったナフサ価格は一気に6万円/klまで上昇、需要が激減し、不況が深刻化した。

PVC業界では1981年5月から翌年2月まで生産量と余剰設備制限を内容とする不況カルテルを実施し、在庫量を適正水準まで戻した。しかし、価格の上昇による国際競争力の低下により輸入は増大し、市況は回復しないままであった。この結果、塩ビ業界の赤字は、80年 323億円、 81年470億円、82年 407億円と増大し、危機的な状況となった。 

(産構法時代)

198110月、産業構造審議会化学工業部会の塩化ビニル・ソーダ小委員会は以下の報告を行った。
 ・長期需給見通し:1985年の設備稼働率はPVC 67%、カセイソーダ 66%
 ・塩ビ業界の方向:「国際競争力の強化」と「集約化」
 ・具体案
   ①メーカー17社が数社ずつまとまり共同販売会社を設立し、価格の安定化、流通合理化、
     生産の受委託を進める
   ②塩ビ中間原料の輸入を数社ずつによる共同輸入
   ③PVC設備能力の増加は避け、競争力強化と集約化促進のためにS&Bを積極的に進める

(* 1972年のカルテル時代に基本問題研究会の答申で過剰設備廃棄に加え、商社を含む共販会社の設立と、これを前提にPVCメーカー17社を4、5グループにまとめ、グレード統合・販売経費節減を行うことも提案している。その時点ではこれは実現しなかった。)

これを受けて、主要9社首脳が構造改善策を協議し、全17社を4グループに再編成して共同販売化を目指すことで合意した。

組み合わせについて、塩ビ協「塩化ビニル工業30年の歩み」(1985)では当時の呉羽化学・高橋博社長が、塩ビ協会長として私案をつくったとしている。  

PVC共同販売会社の概要(共販体制発足時)

会社名(グループ) 参加会社
第一塩ビ販売
(その他系)
1982/3/12設立
1982/4/1営業開始
住友化学工業
呉羽化学工業
サン・アロー化学
日本ゼオン
日本塩ビ販売
(三井系)
1982/7/15設立
1982/8/1営業開始
鐘淵化学工業
電気化学工業
東亜合成化学工業
三井東圧化学
中央塩ビ販売
(三菱系)
1982/7/15設立
1982/8/1営業開始
旭硝子
化成ビニル
信越化学工業
共同塩ビ販売
(興銀系)
1982/8/11設立
1982/9/1営業開始
東洋曹達
チッソ
セントラル化学
日産塩化ビニール
徳山積水

この時点では、産構法はまだ出来ておらず、共販会社設立で公取委と揉めた。

1981年12月、「その他系」の4社が共販会社の骨格(均等出資、ペースト除外、その他)を最終的に決定、直ちに公正取引委員会との協議に入った。
公取委はこれについては、「販売シェアが24%と規制基準(25%)を下回っているし、競争制限につながることはない」とし、承認したが、
グループ化による共販については、
 ①販売市場を4分割するので価格競争がほとんど行なわれなくなる可能性が強い
 ②グループによっては販売シェアが市場支配力の目安である25%を超えるところもある
 ③共販により構造改善効果が不明確ーーなどをあげ、
「4グループ化がほぼ同時期に共販体制をスタートさせることは独禁政策上問題点が多い」とした。

1982年6月になって、通産省と公取委はようやく、塩化ビニル共販会社設立で合意、8~9月に3社が営業開始した。

198212月、石油化学産業体制委員会は、「石油化学工業の産業体制整備のあり方について」として、①過剰設備の処理、②投資調整の実施、③生産・販売の合理化のための集約化、④コスト低減対策の実施、⑤海外プロジェクトヘの対応の5項目を通産大臣に具申した。

これらの構造不況対策を実施するため、1983年5月24日「
特定産業構造改善臨時措置法(産構法)」が、1988年6月30日を期限とする時限立法として施行された。

PVC業界では以下のような業種別構造改善基本計画を提出し承認された。

種名        特定産業
指定日
構造改善基本計画の概要
目標年度     設備処理 構造改善の重点
処理目標量 処理期限
塩化ビニル樹脂
 
1983/6/17 1988/6/30

49万t(24%)

1985/3/31 1982年4共販会社の設立、
今後これを核に生産流通

の合理化

  ・設備処理と5年間の新増設禁止
  ・4共販会杜を核とした生産、流通の合理化を進めるための計画

通産省によるPVCの生産能力の管理はトン数ではなく、重合槽の容量で行われている。PVCの生産はバッチ式で、プロセスにより特に重合後の「冷却」ー「後処理」の時間に差があり、実際には重合槽1m当たりの生産能力は大きく異なる(場合により2倍以上)が、プロセス改良による能力アップはメリットとして認められていた。

PVCの各社別 設備処理は別紙の通り。
http://kaznak.web.infoseek.co.jp/25/2-1.htm#pvc-shori

なお、三井東圧化学電気化学が60/40の合弁製造会社日本ピーヴィシーを1982年に設立し、三井東圧・大阪で83年から塩ビ(公称能力 80千トン)の生産開始をしている。

設備処理については経済的負担の公正を期するため調整金を設けて各社別の処理量を決めた。

  調整金は廃棄mに対し2,000千円(基準を超えて廃棄する分は4,000千円)を支給することとし、
  合計4,360百万円を支給、残存m
数比で各社負担した。

基準分 1,856 x 2,000=3,712百万円
基準超  162
 x 4,000=  648百万円
合計               4,360百万円
残存   8,709
 

産構法時代の業界の姿は添付図の左端の通りである。Pvc2_1

以下にその後の動きを見る。

産構法により過剰設備が廃棄され、共販制度により値下げ競争が回避できた中で、1986年第2四半期にナフサ価格が急落した。
第1四半期に31,300円/klであったナフサは一気に16,900円/klに下がった。
これとともに景気は回復し、石化製品の需要も急増した。
塩ビの場合、1984-86年に142-143万トンであった内需は、87年161万トン、88年178万トン、89年188万トンと増大している。

塩ビ業界の赤字も83年、84年、85年と順次減少し、86年には5.6億円の黒字に、88年には100億円の利益となった。

通産省は業界の経営状況が安定し今後環境の激変がない限り構造不況に陥ることはないとの判断から、1987年年9月16日にエチレンについて産構法の特定産業指定を取り消し、同時にポリオレフィンと塩ビ樹脂製造業の指示カルテルも取り消した。

1988年6月30日、予定通り産構法は期限切れで廃止された。

石化業界では通産省の指導もあり、産構法終了後も産構法精神を維持することとした。
このため、2つの方策が取られた。

①「デクレア方式」(事前報告制度)

今後は設備カルテルは認められなくなったが、新増設の乱立をおさえるため、新増設に当たっては事前に通産省に報告し公表する制度がつくられた。

 具体的には
  ・3万トン/年以上の新増設は着工の6ヵ月前、
  ・3万トン/年以上の設備を改造する場合は着工の3ヵ月前、
  ・休止設備を再開する場合は稼働開始の3ヵ月前
 に通産省に報告して公表することとなった。

②共販制度の維持

公取委は産構法の終了をもって共販会社も解散すべきだと強く主張した。米国の市場開放要請の中に共販制度も参入障害とする指摘があったことも、これを後押しした。

しかし業界では共販制度が価格競争を防ぐ重要な手段として継続を主張、最終的に公取委は、他の共販メンバーとの提携をしないこと、生産・流通・販売の合理化の進展状況を毎年報告することを求めた。

ーーーー

(日産化学の石化からの撤退)

特筆すべきことは日産化学の石化からの撤退である。
各社とも損益が悪化しても事業撤退を考えなかったが、同社は1988年に石化からの撤退を決めた。

同社は1977年に千葉工場のPVC部門を分離、「日産塩化ビニール」としていた。1983年に同社を東洋曹達とのJVの「千葉ポリマー」としたが、1989年、千葉ポリマーを解散し、PVC設備を東洋曹達(四日市)に移管した。
また、1981年3月に丸善石化と
日産丸善ポリエチレンを設立し、日産化学、日産ポリエチレンのHDPE事業を継承しているが、1990年に撤退し、丸善石化100%とし、後、丸善ポリマーに改称した。

ーーーー

(ポスト産構法前期)

日本経済はバブル時代に入り、1983年に113万戸だった住宅着工件数は87年以降90年まで160万戸を超え、130万トンだった国内出荷は88年173万トン、89年187万トン、90年194万トンと増大した。

塩ビ業界では通産省の指導もあって産構法終了後も重合槽を増やさないという業界の暗黙の了解であった。しかし88年に極端な品不足に陥ったため、信越化学は業界で唯一の休止設備を稼動させた。

膨大な赤字を続けていた業界も、86年にトントンとなり、以後91年まで黒字となっている。

 

(第一塩ビ製造の設立)

1990年7月、第一塩ビ製造が設立された。

共販会社は一般的には各社の営業部門が同一事務所に同居しているという感じの運営を行っていたが、第一塩ビ販売は技術に関してはまとまっており、互いに技術を開示して共同で合理化の研究から始め、将来増設する場合は共同で大型設備をつくるという前提で、次世代製法の研究を行った。
その結果、呉羽の技術者の開発した内部ジャケット方式(*)の実用化の目処をつけ、まず日本ゼオンの水島工場にS&Bで2基を設置した。

内部ジャケット方式:
 塩ビの製造に当たっては重合熱を冷却するのに時間がかかり、これの短縮が生産性アップのキイとなる。
 通常は外部ジャケット方式で、リアクターの外側にジャケットを付け、その間に冷水を流して冷却するが、分厚いカーボンスチールの外側からの冷却のため、大型リアクターの場合に伝熱性能が不足し時間がかかった。
 内部ジャケット方式はリアクターの内部に薄いステンレススティールのジャケットを置き、リアクターとの間に水を流すもので、冷却時間が著しく短縮できた。

 
後、三菱化学が同様のシステム(温調エレメント方式と呼んでいる)を開発し、水島と川崎(当初は東亞合成へのライセンス)でプラントを建設している。

需要の増大に伴い、特に1983年にエチレンとともに新居浜の汎用塩ビ設備を廃棄した住友化学が供給不足となり、増設の検討を行ったが、内部ジャケット方式を利用して住友化学千葉工場内に 80千トンの大型設備を共同で建設することでまとまり、第一塩ビ製造を設立した。

  出資比率 引取比率
住友化学   36%  30千トン
日本ゼオン   24%  20千トン
呉羽化学   24%  20千トン
サン・アロー化学   12%  10千トン
第一塩ビ販売    4%    -

当時は産構法が終了しており設備カルテルもなかったが、デクレア方式があり、上記の通り、暗黙の了解として重合槽を増やさないこととなっていた。
このため、通産省からは相当する
数の重合槽の処理を要請された。住友化学は千葉の2系列のうち、15千トン設備の停止を、他社もS&Bにより順次数を減らすことを伝え、ようやく認められた。

同プラントは1995年から本格稼動をしている。

ーーーー

(ポスト産構法後期)

能力の急増に対し、需要の方はバブル崩壊で逆に減少した。
(本記事トップの
「PVCの能力&需要推移グラフ」参照)

アジアの需要は増えつつあったが、欧米が好況の際には輸出を減らすためアジアの市況は高騰するが、逆に欧米が不況になると各社一斉にアジア向けに輸出を行うため、市況は急落した。
この結果、各社の業績は悪化し、業界損益も92年から再度、赤字に転落した。

しかし、産構法の終了で再びカルテルで逃げる道は既に封鎖されており、各社とも生き残りの策の検討を開始した。

「事業統合時代」の先駆けである新第一塩ビの設立検討は早くも1992年春から始まった。
第一塩ビ販売グループは共販設立当初から共同研究を行い、それをベースに共同生産のための第一塩ビ製造を設立するなど、信頼ベースは出来上がっていた。

4社は塩ビ事業の損益悪化から事業の統合による生き残りを図り、事業統合の検討を進めた。 

1993年末に事務局案が答申されたが、94年初め、呉羽化学は以下の理由で参加しないことを決めた。
 ・統合会社は共販品目以外のペーストレジンや特殊塩ビなどを含む塩ビ全体をカバーする構想だが、
 ・呉羽は共販品目である汎用グレードが殆どで、電解ソーダ、塩ビ強化剤および塩化ビニリデン樹脂事業と深く関連している。
 ・新会社は全国展開を図るが、呉羽は東日本の大手ユーザーを中心としている。
 ・このため、いわき市にある錦工場の立地を生かし、東日本のユーザーに、優れた品質の汎用グレードを効率的に供給し、
  塩ビ強化剤など周辺の強力な商品と一体となった運営によって、独自の塩ビ事業で十分競争力を発揮できる。

この結果、残る3社(日本ゼオン、住友化学、徳山曹達)は3社での事業統合の検討を始めた。

 

(続く)

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2006年9月12日 (火)

LG Chem、中国で2工場竣工

LG Chemは7日、浙江省寧波で2つの工場の竣工式を行った。

一つは寧波LG甬興化工(Ningbo LG Yongxing Chemical :LG Chem 75%/甬興化工 25%)のABSプラントで、76百万ドルを投じて15万トンプラントを新設した。既存プラントと合わせ48万トンとなる。

LGでは中国のABSの需要を310万トンで、年率8%で伸びるとしている。
LGは韓国の麗川工場の56万トン、寧波の33万トンと合わせると、合計
89万トンの能力で、世界のABS市場の15%を抑えているが、能力では台湾の奇美に次いで2位である。今後の中国市場の伸びを考え、増設を行った。増設後の合計能力は104万トンとなる。

寧波LG甬興化工は1998年設立で、当初の能力は6万トン、2001年に15万トンに、2002年に20万トンにし、2004年に手直しで33万トンとしている。

 
同日、ABSプラントに隣接して、7万トンの
SBラテックスプラントを竣工した。寧波LG甬興ラテックス(Ningbo LG-Yongxing Latex:2004/6設立)が運営する。同社のSBラテックス能力は、麗川工場の8万トンと合わせ、15万トンとなる。

ーーー

LG Chem は2005年1月1日に中国に持株会社 LG Chem (China) Investment を設立した。

同社では2003年の中国の売上高15億ドルを2006年に32億ドルとし、2008年には売上高45億ドル、営業利益率7%にし、売上高と利益率で中国の化学会社のトップ5になる計画をたてている。現地生産については2005年に57%、2008年に79%とし、最終的には100%にしたいとしている。

同社の中国の活動拠点は添付図の通り。

各社の概要は以下の通り。

天津LG大沽化工 Tianjin LG Dagu Chemical Co., Ltd.
設立 1996
立地 天津市塘沽
出資 LG化学グループ85%
天津大沽化工  15%
製品 PVC
能力 340千トン

 '98/4  100
 '99/10 150
 '01/10 240
 '03/7  340

 

天津LG渤海化工 Tianjin LG Bohai Chemical Co., Ltd. 
設立 2005
立地 天津臨港産業区
出資 LG Chem 45%
LG Petrochemical
 20%
LG International
 10%
LG Dagu
 10%
渤海化工(Bohai Chemical) 15%
能力 苛性ソーダ 240千トン
EDC     300千トン
VCM     350千トン
備考 VCMは天津LG大沽化工に供給

LGは2002年、中国でのPVC用に、豪州グラッドストーンで、現地の Cheetham Salt と
合弁で電解(ソーダ:24万トン)とEDC(30万トン)を生産する計画を発表したが、
2003年夏、採算性の理由から同計画を中止した。

 Lgchina1_2

Tianjin LG Window & Doors Co., Ltd.
設立 2003
立地 天津市
出資 LG Chem
製品 PVC窓枠
能力 20千トン

 

Tianjin LG New Building Materials Co., Ltd. 
設立 1996
立地 天津市
出資 LG Chem
製品 PVCタイル、高光沢シート

 

寧波LG甬興化工 Ningbo LG Yongxing Chemical Co., Ltd.
設立 1996
立地 浙江省寧波市
出資 LG化学 75%
寧波甬興化工 25%
製品 ABS
能力 今回増設で480千トン

 当初  60
 2001 150
 2002 300
 2004 330 

 

寧波LG甬興ラテックス Ningbo LG Yongxing Latex Co., Ltd.
設立 1998
立地 浙江省寧波市
出資 LG化学 
寧波甬興化工 
製品 SBラテックス
能力 70千トン

 

LG Chemical (Guangzhou) Engineering Plastics Co., Ltd.
設立 2003
立地 広州市
出資 LG Chem
製品 エンプラコンパウンド

 

LG Chemical Tianjin Engineering Plastics Co., Ltd.
設立 2004
立地 天津市
出資 LG Chem
製品 エンプラ・ABSコンパウンド
能力 20千トン

 

LG Chem(Nanjing) Information & Electronica Materials
設立 2003
立地 南京市
出資 LG Chem
製品 Rechargeable Battery
TFT液晶ディスプレイ用偏光フィルム

 

LG Chemical Phosphor Materials
立地 湖南省長沙
出資 LG Chem
製品 PDP(プラズマ・ディスプレー・パネル)用蛍光体

 

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2006年9月11日 (月)

バイエル、上海のPC工場等が完成

バイエルは9月5日、上海ケミカルパークで3工場の開所式を行った。

完成したのはポリカーボネート工場の第一期 10万トン/年、粗MDIのスプリッター(モノマー/ポリマー分離)8万トン/年、及びHDI 3万トン/年のプラント。

ーーーー

バイエルは2001年10月、朱鎔基首相、シュレーダー首相も参加して、上海ケミカルパークの新生産基地に関する基本契約に調印した。同11月に浦東のバイエルの新しい高分子研究センターの開所式と合わせて着工した。

基本契約の中心は、3つのコア・プロジェクト(塗料、熱可塑性樹脂、ポリウレタン原料の生産)の認可で、
第1は自動車、建設、家具業界で使用される
塗料・着色材の製造で、バイエル塗料システムズ(上海)が担当する。

第2はポリカーボネート「マクロロン」の製造で、バイエル・ポリマー(上海)社」(バイエル90%/上海クロルアルカリ 10%)が担当する。

第3はポリウレタン原料の大規模生産で、新設の100%子会社「バイエル・ポリウレタン(上海)社」が担当する。

このほか、今後複数のプロジェクトを追加する。

ーーーー

今回完成したポリカーボネートは第1期 100千トン/年プラントで、2008年までに第二期工事で倍増し、20万トン/年とする。
原料ビスフェノールAは同地で建設する20万トン/年プラント(完成時期未定)の完成まではワールドワイドに購入する。
(2006/4/14 「
ポリカーボネートと原料ビスフェノールA」で、PC、BisA 各20万トンを完成済みとしたのは誤り)

バイエルによると、アジア太平洋地域はPCの最大市場で、昨年は世界市場全体270万トンの半分以上の150万トンが販売されている。このうち、台湾、香港を含む Greater China だけで65万トンが販売され、年率18%の伸びを示している。

なお、2003年頃にはバイエルとGE Plastics の間で、本計画をJVで実施する案を長期間交渉したといわれているが、実現しなかった。

 

MDIのスプリッターは第3のコア・プロジェクトのポリウレタン原料の最初のプラントで、2008年に世界最大の35万トン/年のMDI設備がスタート、2009年には16万トン/年のTDIもスタートする。ポリエーテル28万トン/年も計画されている。

上海ケミカルパークではバイエルの工場に隣接してBASF/ハンツマンのイソシアネートコンプレックスが本年8月に竣工している。

Shanghai Lianheng Isocyanate Co., Ltd.
BASF(35%)
、ハンツマン、上海クロールアルカリ、
上海華誼公司、SINOPEC上海高橋石化のJV
アニリン   160
ニトロベンゼン   240
MDI   240
Shanghai BASF Polyurethane Co., Ltd.
BASF(70%)、上海華誼公司
SINOPEC上海高橋石化のJV
硝酸   245
ジニトロトルエン   150
TDI   160
Huntsman Polyurethanes Shanghai Ltd.
ハンツマンと上海クロールアルカリのJV。  
MDI精製  

 

第1のコア・プロジェクトの塗料・着色材は、2003年からポリイソシアネートのDesmodur® N 11,500トン、2004年末にDesmodur® L 11,000トンの生産を始めている。

今回のHDI 30千トンの新設はこれに次ぐもの。将来、20千トンの増設も検討する。
ポリウレタンベースの塗料は上海の最も有名な観光名所
、盧浦大橋(Lupu Bridge)や自動車塗料に使用されている。

 

.上海ケミカルパークの配置図は添付の通り。(右下がバイエル、その左のBASFPTHFを挟んで「イソシアネート」とあるのがBASF/ハンツマンのイソシアネートコンプレックス。

Shanghaichemicalparkmap_2

 

 

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2006年9月 9日 (土)

炭素繊維

2006/9/8 PESとPEEK」で、住友化学のPES増設に関して、
PESは「航空機向けでは炭素繊維複合材に配合し、炭素繊維をつなぎ合わせる材料として用いられている。航空機用途の炭素繊維複合材料は、近年、燃費削減のための航空機の軽量化を目的に、航空機1機当たりの使用量が、従来の3~4倍にまで増加しており、PESの需要も急激に伸長している」
と述べた。

炭素繊維には、合成繊維のアクリル長繊維からつくるPAN(ポリアクリロニトリル)系炭素繊維と、石炭タール、石油ピッチからつくるピッチ系炭素繊維がある。

Carbonfiberpan PAN系炭素繊維はPANプリカーサー(ポリアクリロニトリル繊維)を炭素化して得られるもので、高強度・高弾性率の性質をもつ。航空宇宙や産業分野の構造材料向け、スポーツ・レジャー分野など広範囲な用途に使われている。

ピッチ系炭素繊維は、ピッチプリカーサー(コールタールまたは石油重質分を原料として得られるピッチ繊維)を炭素化して得られるもので、製法の諸条件で、低弾性率から超高弾性率・高強度の広範囲の性質が得られる。Carbonfiberpitch
超高弾性率品は、高剛性用途のほか、優れた熱伝導率や導電性を生かしてさまざまな用途に使われている。

PAN系炭素繊維では東レ、東邦テナックス、三菱レイヨンの3社が海外の拠点を持ち、世界市場のほとんどを押さえている。
他のメーカーには
Hexcel CorporationAmocoなどがある。

PAN 系炭素繊維需要予測は以下の通り。(単位:トン/年ソース:東邦テナックス)

  2005年 2006年 2007年 2008年 2009年 2010年

航空機

4,620

5,630

6,550

7,050

7,850

8,530

一般産業

11,300

13,310

14,970

17,910

21,050

23,470

スポーツ

4,900

5,110

5,260

5,430

5,610

5,720

合 計

20,820

24,050

26,780

30,390

34,510

37,720

3社はすべて設備能力の拡大を図っている。

(1)東レ

東レは愛媛工場のほか、フランスでAtofina子会社のArkemaとのJVのSOFICAR、米国で東レ100%のToray Carbon Fibers (America)(CFA)でPAN系炭素繊維「トレカ」の製造を行っている。

同社 は“トレカ” 複合材料をグループの先端材料の中核商品として位置づけ、戦略的な事業拡大を推進している。

2004年4月には、米国のCFA(アラバマ州ディケーター市)で年産1,800トンの焼成設備を1系列増設するとともに、炭素繊維用原糸プリカーサの重合・製糸設備を1系列新設して現地での一貫供給体制を構築することを発表した。

2005年4月、250億円を投じる愛媛工場の増強を発表した。炭素繊維原糸プリカーサの重合・製糸、および焼成までの一貫生産ライン2系列(計2,200トン/年)と、樹脂を含むプリプレグ生産設備1系列(580万m2/年を増設する。

2005年12月には、欧州における生産設備増強を発表した。SOFICARに年産800トンの炭素繊維焼成設備を1系列増設し、2007年8月からの稼働開始を目指す。

この結果、同社の能力は以下の通りとなる。

  2005/12現在 2006年1月 2007年1月 2008年1月
日本愛媛工場  4,700 トン  4,700 トン  6,900 トン  6,900 トン
フランスSOFICAR  2,600 トン  2,600 トン  2,600 トン  3,400 トン
アメリカCFA  1,800 トン  3,600トン  3,600トン  3,600トン
グループ計  9,100 トン .10,900トン .13,100 トン .13,900 トン

注 SOFICAR Societe des Fibres de Carbone S.A.
    設立:1984/12
    
出資:東レ 70%/Arkema 30%
    立地:フランス共和国ピレネー県アビドス市

   CFAToray Carbon Fibers (America)
    設立:1997/5
    出資:東レ 100%
    立地:アラバマ州ディケ-タ-
モンサント社工場敷地内)

東レは2006年4月に、米国ボーイング社の次世代中型旅客機 B787(2008年就航予定) 向け炭素繊維複合材料について、同社との間で、2021年までの16年間5年間のオプションを含むに亘る長期供給に関する包括的正式契約を締結した。
同社は2004年5月に、B787の主翼と尾翼を対象として、炭素繊維UD
一方向プリプレグの長期供給基本契約を締結しているが、今回、それに加え、胴体向けに炭素繊維クロス織物プリプレグの追加受注を獲得するとともに、供給条件の詳細を含めた包括的な正式契約を両社間で締結したもの。
同社では同社の炭素繊維“トレカ” と“トレカ”プリプレグの品質優位性をはじめ、長期にわたる安定した素材供給実績、およびボーイング社と培ってきた信頼関係が評価されたものとしている。

(2)東邦テナックス

東邦エナックスは1934年に東邦人造繊維株式会社として創業、1950年東邦レーヨンとして設立された。
2000年に帝人がTOBで50%超を取得、2001年7月に東邦テナックスと改称した。
現在の株主は帝人が55.2%、日清紡が10.0%など。

帝人との連携で、短繊維による炭素繊維の製造プロセスに、帝人が持つ長繊維の製造技術を新たに活用することで、繊維の収率や歩留まりを向上させ、生産性を従来比で約割向上させることに成功したと報じられた。

同社は三島とドイツ、米国に炭素繊維“テナックス”の生産設備をもつ。

東邦レーヨンのTenax Fibers GmbHは1986年にドイツで生産を開始している。
その後、同社は東邦レーヨン80%/Akzo Nobel 20%のJVとなり、Akzo の繊維部門分離で東邦レーヨン 95%/Acordis 5%となり、2000年に東邦100% となった。(東邦は1983年にAkzo Nobel の前身の一つ、Enka A.G.に技術ライセンスをしている)
2005年4月に同社はToho Tenax Europe GmbH に改称した。

2004年、東邦テナックスは、ドイツのTenax Fibers GmbHで炭素繊維製造ラインを1ライン増設すると発表した。欧州ではエアバス向け航空機用途および風力発電などの一般産業用途の需要が拡大しており、供給が追いつかない状況となっているため増設するもの。

20064、同社は2008年4月稼動を目標に三島事業所で炭素繊維焼成設備と、併せてプリカーサー製造設備の増設を発表した。

同社は
米国に拠点がなかったが、2004年8月、オランダのAcordis (Tenax Fibers GmbHの提携相手)の米国PAN系炭素繊維事業 Fortafil Fibers, Inc.を買収することで合意した。
東邦レーヨンは1976年にCelanese と技術、販売面で提携したが、Celanese は1985年に事業をBASFに売却、BASFは1992年に撤退した。
Fortafil は1987年にAkzoがGreat Lakes Carbon から買収したもの)


東邦テナックス100%の販売会社
Toho Carbon Fibers, Inc.が、Acordis 100%のFortafil Fibers, Inc.を資産買収し、設備、資産および人員をToho Carbonに統合した。2005年4月に同社はToho Tenax America, Inc.に改称した。

同社の能力はLarge Tow 3,500トンであったが、買収後改造し、Regular Tow 700トン、Large Tow 1,300トンとした(他にプリカーサを耐炎化した耐炎繊維 1,400トン: : 製造プロセス図参照)。
(注)Regular Tow (RT)、Large Tow (LT)は
フィラメント数が異なり、使用分野が異なる。

東邦グループの炭素繊維生産能力(単位:㌧/年)

  2005年末 2006年末 2008年末
日本 RT   3,700 RT   3,700 RT   6,400
ドイツ RT   1,900 RT   3,400 RT   3,400
米国 LT   2,600 LT   1,300
RT
    700
LT   1,300
RT
    700
合計     8,200     9,100     11,800
内訳 RT  5,600
LT   2,600
RT   7,800
LT    1,300
RT   10,500
LT   1,300

 ドイツ:Toho Tenax Europe GmbH(旧称 Tenax Fibers GmbH)
        
出資:東邦テナックス 100%
        立地:
Oberbruch, Germany
 米国 :Toho Tenax America, Inc.(旧称 Toho Carbon Fibers, Inc.)
        
出資:東邦テナックス 100%
        立地:
Rockwood, TN, USA

(3)三菱レイヨン

三菱レイヨングループは、原料であるANモノマーから、レギュラートウ、プリプレグ、更にゴルフシャフト等の加工品まで一貫生産を行っている。1976年にプリプレグの生産を開始して以来、スポーツ・レジャー用途や産業用途を中心に市場プレゼンスを拡大してきた。

三菱レイヨンは豊橋と米国に製造拠点を持ち、欧州ではスコットランドの企業に製造委託をしている。

2005年11月、豊橋工場の増設を発表した。需要増大に備え、メーカーとしては将来に亘る安定的な供給体制を整えることが急務となっているとし、豊橋事業所で生産能力2,200トン/年の焼成ラインを2007年第2四半期に新たに稼働させる。

米国では1991年にカリフォルニア州サクラメントに三菱レイヨン100%のGrafil,inc. を設立した。
2005年1月、炭素繊維の急速な需要増に応えるためGrafil
社の生産能力を500トン増強することを決定した。
なお、2001年に
急成長している産業用途への拡販を視野に入れて、三菱商事とともに原油輸送用パイプの有力メーカーであるFiberspar Corporation へ1出資し、産業資材向けの炭素繊維の供給を行っている。

同社は欧州に製造拠点をもっていないが、2005年1月、欧州市場の拡大を見据え、ドイツに本社を置く SGL Carbon Groupと提携し、欧州での焼成拠点を確保した。SGLカーボングループは炭素繊維複合材料の有力メーカーで、三菱レイヨンでは同社と事業面で補完関係を構築し市場で競争ポジションを強化することが可能と考えた。
戦略的な提携の第一歩としてSGL
グループのスコットランド子会社 SGL Technic Ltd. への生産委託を決定した。

三菱レイヨングループの炭素繊維生産能力 (単位:t/年)

  2005年10月 2007年2Q
日本    3,200    5,400
米国    1,500    2,000
欧州(*)       0  500~750
合計    4,700 7,900~8,150

 米国:Grafil Inc.
  
本社Sacrament, CA
  
出資:三菱レイヨン 100%

 欧州:(製造委託*)
  委託先:
SGL Carbon Group
    本社:ドイツ
    委託工場:
SGL Technic Ltd. (英国スコットランド)

なお同社は、2001年に新日鐵化学からプリプレグ事業を譲り受けている。
これにより、新日鐵化学の得意としていたゴルフ、釣竿などのスポーツ分野や、印刷ロール、医療関連などの産業分野等の事業を継承し、三菱レイヨンの強みであるスポーツ分野を一層、強化拡充するとともに、成長分野である産業分野においても用途拡大が推進されるとしている。

(4)その他

ある調査は2000年頃のその他のメーカーの能力として以下をあげている。

 HEXCEL(米)  1,715トン
 
AMOCO(米)  1,120トン
 その他       810トン

HEXCEL2005年11月にユタ州のプラントの増設、アラバマ州での新設、スペインのマドリッド近辺での新設を発表している。
アラバマ州での新設は航空機用の認定を受けたものとしており、合計で現状能力を50%増しにするとしている。

ーーーー

なおピッチ系では以下のメーカーが炭素繊維協会の正会員になっている。

・クレハ
  
1970年に世界で初めてピッチ系炭素繊維「クレカ」の商業生産を開始

大阪ガスケミカル
  子会社ドナックでピッチ系汎用炭素繊維を製造していたが、2005年吸収合併

三菱化学産資
  三菱化学の石炭化学の成果の石炭ピッチ系の炭素繊維「ダイアリード」 

・日本グラファイトファイバー
  新日鐵 50%/新日本石油 50%で設立
  現在は日鉄コンポジット 65%/新日本石油 35%

参考 炭素繊維協会ホームページ http://www.carbonfiber.gr.jp/

 

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2006年9月 8日 (金)

PESとPEEK

住友化学は9月1日、ポリエーテルサルホン(PES)の増強を発表した。
同社は愛媛工場で本年7月に、2,000トン/Yから2.500トン/Yに増強したばかりだが、航空機用途の特殊グレードを中心に3,000トン/年に増強する。

PESは、200℃の耐熱性を持つ一方で、寸法安定性、耐水性に優れ、バランスのとれたスーパーエンプラとして、電子電気部品を中心に自動車部品、医療機器、航空機、分離膜、耐熱塗料などの分野で需要が増大している。

航空機向けでは炭素繊維複合材に配合し、炭素繊維をつなぎ合わせる材料として用いられている。航空機用途の炭素繊維複合材料は、近年、燃費削減のための航空機の軽量化を目的に、航空機1機当たりの使用量が、従来の3~4倍にまで増加しており、PESの需要も急激に伸長している。住友化学は、航空機用途として現在世界で唯一認定を受けている。今回の増設の完成後の航空機用特殊グレードの生産能力は約1,000トンとなる。(炭素繊維については次回)

PESはICIが開発したエンプラで、住友化学は1978年にICIと再販契約を結び、輸入販売を開始した。
しかし、ICIが1992年にPES事業から撤退することを決めたため、国内需要の増加を考え、ICIから技術導入を行い、愛媛工場内にアジアで初の製造設備を建設した。

その後、日本では三井化学がPESの製造販売を行っている。

 

ICIはPESのほか、耐熱性、耐薬品性、耐衝撃性を有し成形加工性にも優れた熱可塑性の芳香族系エンプラのポリエーテルエーテルケトン(PEEK)も開発している。

住友化学はPEEKについても1982年にICIと再販契約を結び、輸入販売を開始した。
ICIは1993年に同事業をMBOにより設立されたVictrex Ltd. に売却、住友化学は引き続き、Victrexから輸入販売している。
同社では独自のコンパウンド技術を活かした用途向けに販売している。耐疲労性と耐薬品性に優れ、240℃~260℃での常用使用が可能な樹脂として、半導体およびLCD製造設備、自動車部品などに需要が伸長している。

三井化学は1998年にVictrexとのJV、ビクトレックス・エムシーを設立し、日本での輸入販売を行っている。

ーーーーーー

海外の両樹脂の状況は以下の通り。

Victrex

Victrexは上記の通り、ICIからMBOで独立した会社でPEEKのメーカー。
2004年の世界のPEEKの需要は1,850トンとみられており、98%を同社が供給する。

PEEKの需要分野別内訳は次の通り
 Electronics 32%
 Transports 29%
 Industrial  28%
 Medical    8%
 Others     3%

ーーー

BASF

BASFは1990年以降、耐熱性樹脂のポリエーテルスルフォン(PES)とポリスルフォン(PSU)を、それぞれ、Ultrason E、Ultrason S のブランドで製造販売している。

同社は本年5月、ルートヴィッヒスハーフェンのUltrason の製造設備を倍増し、年産12千トンに引き上げると発表した。物流・梱包センターの新設と合わせ、5000万ユーロを投資する。近年、Ultrasonの新しい用途開発が世界各国で積極的に行われており、生産能力を増強することで、世界的な需要の伸びに対応するとしている。

ーーー
Solvay

米国では当初、AmocoPESPSU、PPSU (Polyphenylsulfone)、 Polyphthalamide、LCP、Polyamide-imide、Polyketone などのエンプラの製造販売を行っていた。
(日本では帝人がAmocoとのJVのTeijin Amoco Engineering Plastics で輸入販売を行っていた)

2000年12月、SolvayはBP Amoco とMOUを締結、SolvayのPP事業と、BP Amoco のエンプラ事業を交換することとした。
このほか、両社は欧州の両社のHDPE事業を統合して 50/50のJV BP Solvay Polyethylene Europe を設立、また米国のSolvayのHDPE事業をSolvay 51%/BP 49% の
BP Solvay Polyethylene North America とした。(2004年 Solvay は両社の持分をBPに売却した)

Solvayは子会社Solvay Advanced Polymers を設立、エンプラ事業の世界のトップとなった。(帝人とのJVは解散

1967年設立のインドの農薬メーカー、Gharda Chemicals Limited 1996年に特殊樹脂プラントを建設し、1997年にPES、引き続き、2000年にPSU、2001年にPEEK、2002年にPPSU、2004年にPolysuper Sulfoneの製造を始めた。

Ghadaによると、2005年時点で、PESではSolvay、BASF、住友に次いで4位、PSUではSolvay、BASFに次いで3位、PEEKではVictrexに次いで2位であるとしている。

ICI/VictrexのPEEKの製法が、2種類のモノマーを340℃で反応させるのに対して、同社の製法は1種類のモノマーを低温で反応させるもので、副生物も水と少量のナトリウム、カリウムだけで、環境に優しく、低コストであるとしており、インドのほか英米で製法特許をとっている。
またPEEK、PES、モノマーの製造を統合している。同社ではPEEK能力を80トンから180トンへ、更に2007年頃には500トンにアップするとしていた。

2005年12月、SolvayはGhardaからポリマー部門を買収する契約に調印した。Solvayでは両社の事業の統合で特殊ポリマーにおけるワールドリーダーになるとしている。

ーーー

Degussa

20056Degussa は中国の吉林大学と提携してPEEK、PES事業に進出すると発表した。

長春にある吉林大学の子会社の長春吉大高新材料有限公司の80%を取得し、JIDA Degussa High Performance Polymers Changchun Co. Ltd. (JIDA Degussa) とし、吉林大学の技術で PEEKPESを製造する。Degussaでは年初から共同開発・製造・販売の申し入れをしていた。

Degussaではまず、PEEK 500トン、PES 300トンの製造を始めるとしている。

 

 

ーーーー

付記 2006/10/16

ソルベイは10月16日、インドのGujarat州Panoliの製造設備を拡張し、ポリエーテルエーテルケトン(PEEK)や高機能特殊樹脂のワールドクラスの製造基地にすると発表した。2008年第1四半期にKetaSpireRブランドのPEEK 年産500トンをスタートさせる。

ソルベイは本年初めにGharda を取得しPEEKの市場に参入、米国の研究所での研究成果を折り込んで、今回の増設に到ったもの。

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2006年9月 7日 (木)

ダウ、3工場の7プラント閉鎖

ダウは8月31日、競争力強化のため、カナダとイタリアの合計7プラントを閉鎖すると発表した。
退職金や徐却損失などの特別損失は
550650百万ドルで、2006年第3四半期に処理する。
これにより、年間
160百万ドル程度の固定費が削減されるとみている。

閉鎖するのは以下のプラントDowsarnia
 Sarnia (カナダ Ontario 州)
  ・
LDPEプラント(数週間後)
  ・
PSプラント(年末)
  ・
Latexプラント(2008年末)
  ・
Polyolsプラント(2008年末)

 Fort Saskatchewan (カナダ Alberta 州
  ・
chlor-alkali プラント(10月末)
  ・EDCプラント(10月末)

 Porto Marghera (イタリア)
  ・TDI プラント(8月初めに定修で停止、再稼動せず)

 

Sarnia工場はカナダにおけるダウの最初の工場で、1942年にカナダ政府の招致を受けSMプラントを建設、1947年にPSプラントを建設した。
その後、LDPE、Polyol、
Acrylate LatexSM、ブチルアクリレートが原料)プラントを建設した。

LDPEについては、同社のエチレン工場のある Fort Saskatchewan Sarnia を結ぶCochin Pipeline を運営するBPが、本年3月に漏れの恐れがあるとしてエチレンの輸送を停止したのが響いた。ダウは他のエチレン輸送方法を検討したが、経済的に成り立たないということで閉鎖のやむなきに至った。

同工場の能力は100千トンで、同社ではテキサス工場をフル稼働して対応する。

* Cochin Pipeline は両地区をつなぐ1900マイルのパイプラインで、エタン、エチレン、プロパン、ブタン、NGLを輸送する。
1979年の建設で、当初の株主は BP
ConocoShellDowNOVA Chemicalsであったが、現在はConocoPhillipsKinder Morgan BPが株主。

PSについては、LDPE停止に伴う固定費負担増、老朽化したPSプラントの設備投資コスト、PS業界の長期的な市場状況を勘案し、閉鎖を決めた。
これに伴い、残りの2プラントも閉鎖する。

Coedpipeline Fort Saskatchewan 工場では、周辺のガス田からCo-Ed Pipelineで運ばれたNGLから、エタン、プロパン、ブタン、ペンタンを生産、エタンからはエチレンを、エチレンからPEEDCを生産している。また、サイトの地下にある岩塩を塩水で回収して電気分解し、塩素、ソーダ等を生産している。
EG
については、クウェートのPetrochemical Industries Company (PIC) とのJVのMEGlobalが製造販売をおこなっている。

今回のクロルアルカリとEDCプラントの閉鎖は、27年間経過したプラントを今後長期間維持するためには多額の投資が必要で、現在の想定収益性ではこれを認められないのが理由。

なお、ダウは2005年末までにテキサス工場の1系列 (Unit 1) のEDCの生産を停止し、VCMの生産を縮小した。
今後の設備の維持更新費が多額となるのに加え、エネルギー・原料価格の高騰に伴い、採算が合わなくなったためと同社では説明している。テキサス工場の他の1系列 (Unit 5) の電解、EDC、VCMプラントは操業を継続。
この発表(2004/11/4)の1ヵ月後の12月7日、信越化学は米国の子会社シンテック社での塩素ーEDCーVCMーPVC の塩ビ一貫工場計画を発表している。

イタリアのPorto Marghera ではTDIの生産をしている。8月初めに定期修理に入ったが、世界的な供給過剰により弱含みなため、生産を再開しないこととした。

ダウではこれ以外にも陳腐化した技術や資産を消却する。

同社は、「長期的な成長のための投資を行う反面、過去3年間で、世界中で50以上のプラントを停止し、固定費を削減してきた」とし、資産の最適化に注力するとしている。

 

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2006年9月 6日 (水)

Bayer と Lanxess

Lanxess はエンプラ事業部のスチレン系樹脂部門を10月1日からLustran Polymers 部門と改称し、ABSの特殊グレードと着色グレードを事業の中核とするとともに、地域ごとに製品開発から生産、マーケティングまで自主性を持たせる運営に変更する。Lanxesslustran

The colorful difference”をうたい文句とするロゴも新設した。

 

LanxessはBayerから分離独立した化学会社である。Bayerlanxess1

Bayerは2003年末までに、Bayer CropScience、Bayer Healthcare、Bayer Polymers、Bayer Chemicals の4社と、サービス会社3社の合計 7社を分社化したが、2004年7月にBayer Chemicalsの大半とBayer Polymersの一部を新会社 Lanxess として分離し、2005年に上場した。

 Lanxessという名称は
  
「動き出す」という意味のフランス語『lancer』と
  「成功」という意味の英語 『success』を組み合わせたもの


Bayer側では両部門の残りを統合して Bayer MaterialScience とした。

 

製品別の仕分けは添付図の通り。Bayerlanxess2
Styrenics (ABS, SAN単体)及び ABS/SAN はLanxessとしたが、PCはBayerに残したため PC/ABSもBayerに残している。

Lanxessでは事業を4つの事業部に分けている。

(1)Engineering Plastics
   ・Lustran PolymersABSSANABS/PAその他 
   
Semi-Crystalline Products:エンプラ(polyamide 6 and 66系、PBT系ほか)
   *当初はスパンデックス(
Dorlastan Fibers)があったが、旭化成に売却した。

(2)Performance Rubber
    Butyl RubberPolybutadiene Rubber ほか

(3)Chemical Intermediates
   ・Basic Chemicals 
   ・
Inorganic Pigments
   ・Saltigo:農薬・医薬中間体

(4)Performance Chemicals
   ・Material Protection Products:殺菌剤、防腐剤ほか
   ・
Functional Chemicals:添加剤、特殊化学品、染料顔料
   ・
Leather
   ・
Textile Processing Chemicals
   ・Rhein Chemie:添加剤
   ・
Rubber Chemicals
   ・Ion Exchange Resins
   *当初は紙用化学品があったが、フィンランドの Kemira Oyjに売却した。

 

 

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2006年9月 5日 (火)

ロシアのアルミ最大手RUSAL、同国2位のSUALを買収

ロシア最大のアルミメーカーであるRUSALが同国2位のSUALと、スイスの商社Glencore International AGのアルミニウム部門を買収することで基本合意したことが明らかになった。買収規模は約300億ドル(約3兆5千億円)になる見通し。

アルミ地金生産量は375万トンとロシア国内生産を独占、米アルコア社に次ぎ、世界第2位となる。

10月にも最終合意する見通しで、新会社の持ち株比率はRUSAL既存株主 64.5%、SUAL 21.5%、Glencore 14%で調整中。

世界のアルミ地金生産大手
  社名 生産量
(万トン)
Alcoa(米)   420
  RUSAL+SUAL  (375)
Alcan(加)   355
RUSAL(ロ)   270
Hydro Aluminium
(ノルウエー)
  180
BHP Billiton (英豪)   133
SUAL(ロ)   105

日経は「ロシア、資源企業切り札に 外交交渉で活用 国家管理を強化へ」として、ルスアル会長でオーナーでもあるデリパスカ氏は親プーチン人脈のひとりであり、「今回の買収もプーチン政権の意図が働いている」との見方が支配的だとしている。

プーチン政権が世界的な資源高を最大限に外交面で活用し始めたとし、ロシアの民主化問題やイラン核開発問題などで欧米などとの対立が浮き彫りとなるなか、資源はロシアにとって国際的な発言力を高める重要な武器となっているとしている。

ーーー

RUSALはロシア最大で世界第3位のアルミメーカー。モスクワに本社を置き、2000年に複数のアルミ精錬所や原料のボーキサイト鉱山などが統合して誕生した。Rusal

同社の製品及び能力は以下の通り。
  ボーキサイト   620万トン 
  アルミナ   410万トン  
  アルミニウム&アロイ   270万トン
  アルミフォイル、アルミ包材    10万トン
  アルミ缶   30億缶

アルミ製錬所は4箇所(添付地図参照)にあり、Bratskは世界最大、Krasnoyarskは世界第二位の規模を誇る。

  生産量
 千トン
Krasnoyarsk   865
Bratsk   976
Sayanogorsk   508
Novokuznetsk   309

ーーーーー

SUALは1996年にUral Aluminium Irkutsk Aluminiumが統合して設立された。

同社の製品及び能力は以下の通り。
  ボーキサイト   540万トン 
  アルミナ   230万トン  
  アルミニウム   100万トン

アルミニウム製錬所の所在地は添付地図の通り。Sual

なお、2005年4月、RUSAL SUALKomi Aluminium Project50/50JVで実施する契約に調印している。

同計画はロシアでの最大の計画の一つで、モスクワの東北1200kmにあるKomi RepublicSosnogorsk (添付地図参照)に、国際的に競争力のあるボーキサイト・アルミナの一貫コンプレックスをつくるもので、ロシアのアルミナ生産能力を50%増の450万トンに増やすというもの。同地から157km北西のTiman Bauxite reserves のボーキサイトを使用する。

ーーーーー

Glencoreは、スイスの貿易グループで、創立者のMarc Richらが74年に設立した非上場企業。

同社のビジネスは、非鉄金属、鉄鋼、石油及び石油デリバティブ、石炭等の資源関係の他、電気、農産物(砂糖、米、穀物)等で、年商は、約300億ドル程度と推定されている。地下資源関係では、鉛、亜鉛、バナジウム、銅、ニッケル、アルミニウム、石油、鉄など鉱山開発にも進出している。

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世界最大のアルミニウムメーカーのAlcoaのアルミ製錬工場と能力は以下の通り。

Alcoa smelting capacity  (単位 1,000t/y: 2005/12/31現在)

Location Total
Capacity
Alcoa
ownership
Alcoa
Capacity
Updates
Australia Point Henry    185   100%    185  
Portland    353    55%    194  
Brazil Poços de Caldas     90   100%     90  
São Luís (Alumar)    375    54%    201 Expanded to 264 mtpy
Canada Baie Comeau    438   100%    438  
Bécancour    409    75%    307  
Deschambault    254   100%    254  
Italy Fusina     44   100%     44  
Portovesme    149   100%    149  
Spain Avilés     88   100%     88  
La Coruña     84   100%     84  
San Ciprián    218   100%    218  
United States Evansville, IN (Warrick)    309   100%    309  
Frederick, MD (Eastalco)    195    61%    119 Alcoa ownership now 100%
Badin, NC    120   100%    120  
Massena West, NY    130   100%    130  
Massena East, NY    125   100%    125  
Mount Holly, SC    224    50%    113  
Alcoa, TN    215   100%    215  
Rockdale, TX    267   100%    267  
Ferndale, WA (Intalco)    278    61%    170 Alcoa ownership now 100%
Wenatchee, WA    184   100%    184  
Ghana Tema (Valco)    200    10%     20  
Germany Hamburg (HAW)    132    33%     44 Curtailed
Norway Lista     94    50%     47  
Mosjøen    188    50%     94  
Total         4,209  

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日本のアルミニウム製錬については、2006/3/19 「日本の石化の将来予想」で、以下の通り述べている。

「電気の缶詰」と言われるアルミニウム精錬の場合、1978年に6社で「164万体制」であったのが、電力料の高騰で競争力を失い、1979年には「110万体制」、1982年に「70万体制」、1986年には「35万体制」となり、1988年には日本軽金属・蒲原の3.5万トンのみとなり、現在は同工場の1万トンが動いているだけである。
(各社はブラジル、ベネズエラ、カナダ、インドネシア、豪州、ニュージーランド等、海外での開発に参加し、製品を引き取っている) 

会社別能力推移及び海外プロジェクトについては、以下に詳細がある。
http://kaznak.web.infoseek.co.jp/25/aluminium.htm 

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中国のアルミニウム製錬については、2006/8/25 「中国アルミ業界の拡大競争」 参照 

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2006年9月 4日 (月)

欧州委員会、独禁法違反の制裁を強化 

欧州委員会は2006年6月28日、カルテル・支配的地位濫用事件等の競争法違反行為に対して課される制裁金算定方法についての新ガイドラインを発表した。

この新制裁金ガイドラインは、1998年に採択された現行ガイドラインに代わるもので、間もなくEU官報に掲載され、その時点から正式に効力を有する。

EU競争法では個人に刑事罰を加えることはできないため、より効果的なカルテル対策を執行するためには、充分抑止的効果のある高額な制裁金制度を設ける必要があるというのが欧州委員会の考え。

現行ガイドラインと同様、違法の程度、期間等を考慮した基本額を出し、さらにこれに増額・減額事由を加えた最終的な制裁金額を割り出す。

課徴金の算定方法は、原則以下の通り。違反年数が長い場合、再犯の場合の課徴金は大きく増加する。

1.違反行為の行われた最後の年に、欧州経済地域の関連市場から違法に得た年間売上高30%までの範囲を基本額とする。
   地理的範囲、カルテルの種類(市場分割、生産制限など)等も算定の要素となる。

2.水平的価格設定契約、市場分割、生産量制限のような悪質なカルテルについては、基本額に15%~25%を追加する。

3.上記に
違反の年数を乗じる。(5年なら5倍となる)
   従来は1年10%増しのため、5年なら50%増し。

4.これに、制裁金引き上げ事由・減額事由が「考慮されるかもしれない(may take into account)」
   従来は「制裁金引き上げ事由・減額事由を考慮して最終的な額が出される」。

 増額理由

  1)再犯 
    過去に欧州委又はEU加盟国により同じ/同様の事案で摘発された場合は
100%までを加算する。
     (従来は欧州委での再犯のみだが、EU加盟国での過去の摘発も再犯とみなされる。
      また、従来は50%加算だが、今回は100%加算)
  2)調査への協力拒否
  3)違反行為の主犯

 減額理由
  1)欧州委の調査開始ですぐに止めた場合
  2)不注意での参加
  3)違反が限定的で、実際には害が少ない場合
  4)減免制度以外で欧州委の調査に協力
  5)政府当局や立法によって認可された行為の場合
     国家によって認可されただけでは、減額が認められるだけであることを明確にした。

なお、欧州委員会は企業の前年度年間総売上高10%までの制裁金を課す権限があるとされているがこの点に変化はない。

また、制裁金減免制度は今まで通り適用される。

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日本の改正独禁法では課徴金は以下の通り。( )は改正前

基本 大企業 中小企業
製造業、ゼネコンなど 10%(6%)  4%(3%)
卸売業  2%(1%)  1%(1%)
小売業  3%(2%)  1.2%(1%)

「再犯企業」は課徴金を5割増し

 

参考資料 

 EU発表 
 
http://ec.europa.eu/comm/competition/antitrust/legislation/fines_en.pdf

 JETRO カルテル事件等に対する制裁金算定ガイドラインの改正
 
http://www.jetro.be/jp/business/eurotrend/200607/0607R6.pdf#search=%22eu%E7%AB%B6%E4%BA%89%E6%B3%95%E6%94%B9%E6%AD%A3%22

 

 

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2006年9月 2日 (土)

C型肝炎訴訟 福岡地裁判決

汚染された血液製剤を投与されC型肝炎ウイルス(HCV)に感染させられたとして、九州・沖縄などの患者18人が国と製造元の三菱ウェルファーマ(旧ミドリ十字)と子会社ベネシスを相手取り、総額11億6600万円の損害賠償を求めた「薬害C型肝炎九州訴訟」の判決が30日、福岡地裁であり、原告18人のうち11人に対して、国と製薬会社に計1億6830万円の賠償を命じた。

6月21日の大阪地裁の判決に次ぐもの。
大阪地裁では原告13人のうち5人については国と製薬会社の、4人は企業側の責任のみを認定し、総額2億5630万円の支払いを命じている。
既報 2006/6/28 「
薬害C型肝炎訴訟判決」 参照    

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大阪地裁ではは青森で肝炎集団感染が起きた87年4月企業はウイルス不活化処理方法を変えた85年8月以降に責任があるとした。

旧ミドリ十字は、約20年間にわたって行ってきた紫外線照射及びBPL併用処理から、ほとんど不活化効果がなかった紫外線照射等に変更したことにより、C型肝炎(当時の非A非B型肝炎)感染の危険性を一層高めたから、安全性確保義務に違反した過失がある。

(国は旧ミドリ十字の不活化処理方法の変更を知っていたと認めるに足りる証拠はない)

しかし、今回の福岡地裁は80年11月以降のフィプリノゲンによる感染者について国と製薬会社に責任があると判断した。

判決要旨から
「1978年には
米食品医薬品局(FDA)によるフィブリノゲン製剤の承認取り消しが公示され、当時の知見としてもフィブリノゲン製剤の有効性に疑問が生じていたのであるから、医薬品の安全性の確保等について第一次的な義務を有する旧ミドリ十字だけでなく、厚生大臣としても、その詳細を含めた情報を得た上で、非加熱フィブリノゲン製剤について調査、検討を行うべきであった。この時点で調査、検討を行えば、遅くとも80年11月までには、有効性及び有用性についての判断を行うことができたし、厚生大臣については、仮にそうでないとしても、旧ミドリ十字に対して緊急安全性情報を配布するよう行政指導すべきであった。

従って、旧ミドリ十字と厚生大臣は、遅くとも80年11月までに非加熱フィブリノゲン製剤の適応を先天性低フィブリノゲン血症に限定するか、または緊急安全性情報を配布すべき義務があったにもかかわらず、これを怠ったことに過失及び違法性がある。よって、被告会社らと国は、その後に同製剤の投与を受けた原告らに対する損害賠償義務を負う。」

なお、出産時に投与され感染したとする女性と母子感染した息子については、母子手帳紛失などで投与が立証されていないとして棄却、クリスマシンについては「肝炎感染の危険性はあったが、大出血時などに代替製剤がない場合もあり、有用性は認められる」として棄却になった。

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なお、大阪地裁判決に対しては、判決が1987年4月以前の国の責任などを認めず、原告によって判断が分かれたことを理不尽とし、勝訴した9人を含む原告13人全員が大阪高裁に控訴した。

8月25日には新たに患者31人が計約19億1400万円の損害賠償を求め全国4地裁に一斉提訴した。

国側も、臨床現場の産婦人科医の間では「出産時の大量出血などにフィブリノゲンは有効」との声が支配的だったなどから 6月28日に控訴している。

国側は今回の判決に対しても、「医薬品行政の根幹問題であり、判決をそのまま受け入れるのは難しい」として控訴する方向。

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2006年9月 1日 (金)

シェブロンとガルフオイル、テキサコ

2006/8/28 「プルドー湾油田の操業停止ーBPとStandard Oil」で 「スタンダード・オイルの後継会社のその後」としてシェブロンについて触れている。

分割会社 その後 現在
Standard Oil of California(Socal) Gulf Oilと合併
→シェブロン
テキサコを買収
→シェブロンテキサコ
シェブロン
Standard Oil of Kentucky ソーカルが買収

シェブロンはStandard Oil of California(Socal)Gulf Oil Texacoを吸収したものだが、3社は以前にSeven Sisters と呼ばれ、世界の石油市場を支配した国際石油資本(メジャー)のメンバーである。

Seven Sisters
  現状
Exxon ExxonMobil
Mobil
Socal Chevron
Gulf Oil
Texaco
BP BP
Royal Dutch Shell Royal Dutch Shell

Standard Oil of California(Socal)はスタンダード・オイルの後継会社の一つで、現在のサウジアラムコを創設した会社である。

サウジは英国が支配していたが、1923年に英国のEastern & General Syndicate がサウジ東部に石油利権を得たものの、探査も採掘もせず、1927に失権している。

1932年にメロン財閥のGulf Oil が採掘権を得たが、油田がみつからず、期限前にSocalに売却した。

Socal は1933年に60年間の石油独占採掘権を得て、California Arabian Standard Oil を設立した。しかし、米国以外に販売権を持たないことから、1936年にTexas Company (後のTexaco)と中東で提携する契約を締結した。
  TexacoがCalifornia Arabian Standard Oil の50%を取得
  アジア、アフリカ地区における石油下流事業のため、各々50%出資した合弁企業
CALTEX (Socal+Texas)を設立した。

* 1948年、日本石油がCALTEXと提携し日石カルテックス設立

1938年、ダーラン近くのダンマーム7号油井で商業規模の採掘に成功、1944年にArabia American Oil Co. (通称 ARAMCO)と改称した。

1948年、ARAMCOにEXXON、Mobilが参加した。(出資比率はSOCAL、Texaco、EXXONが各30%、Mobilが10%)

その後、
1960年、OPEC創設、
1972年、アラムコにサウジ政府が25%出資、
1973年、中東戦争と第一次石油危機、
同年、サウジ政府がアラムコに51%出資、
等を経て、
1980年にサウジ政府100%となった。

1988年にサウジ政府はアラムコをSaudi Arabian Oil Companyと改称した。 名称から「American」が消えたが、何故か、今も通称は Saudi Aramco となっている。

 

他方、メロン財閥のガルフ石油はクウェートの権益を獲得、BPと50/50でクウェート石油を設立した。
(1973年にクウェート政府が51%国有化を決定)

このほか、1948年にPaul GettyのGetty Oil がサウジとクエートの中立地帯の採掘権を入札、独立系のAmerican Independent Oil (Phillips、Signal、 Ashland、Sinclare が出資)と共同で採掘権を得て、大成功を収めた。

山下太郎の
アラビア石油も1957年に中立地帯沖合いの採掘権を取得、1960年にカフジ石油を掘り当てた。

ーーーーーーー

ガルフのその後

1980年頃には業績が悪化、株価も低迷した。

1982年に乗っ取り屋でMesa Petroleum のオーナーのT. Boone Pickens がCities Service に敵対的TOBをかけた際に、ガルフはwhite knight となり同社を買収したが、同社の埋蔵量が不正確として揉め、同社はOccidental Petroleumに売却された。

Pickens は逆にガルフ株の11%を取得し、経営に入るため委任状集め競争を行った。ガルフ側はいろいろ対抗策を取ったが、最終的にソーカルに買収される道を選んだ。Pickens のグループは集めた株のソーカルへの売却で760百万ドルの利益を得たといわれる。

ソーカルはガルフとの合併後、社名をChevron に変更した。同社は独禁法問題の解決のため、ガルフの資産の多くを売却した。

ーーーーーーー

テキサコのその後

1983年末にPennzoil がGetty Oil の3/7を求めてTOBをかけた。(Paul Getty は1976年に死亡)

1984年1月3日、Pennzoil と Getty Oil が合意し、握手を交わした。(すぐに契約書を作成しサインすることとした)
1月5日、テキサコ会長がPennzoilの10%高の価格でGetty Oilを買うと申し出て、99.8億ドルで契約を交わした。
(これによりGetty一族は大きな利益を得た。)

Pennzoilは契約違反で Getty Oil を訴えたが、Getty Oil はテキサコとの契約で免責条項を入れており、テキサコが訴訟相手となった。

裁判はPennzoilの地元のテキサス州で行われ、3日の契約書なしの合意が有効かどうか、合意が全体の合意か、価格の合意だけか、で争われた。
Gettyが免責条項をいれたこと自体、違法性を認識していたとみられた。
弁護士の働きが功を奏し、陪審は契約違反と認定した。

Pennzoil側は損害賠償としてGetty Oil の持つ10億バレルの埋蔵量をもとに75億3千万ドルを請求したが、陪審は請求額全部を認め、更にペナルティとして30億ドルを上乗せした。更にテキサス州法では1月4日以降の金利を上乗せすることとなっており、合計額は117億92百万ドルという膨大なものとなった。

テキサス州法によれば控訴するには判決と同額の保証金を供託することが必要で、テキサコとしては控訴も出来ない状況となった。
このあと、供託金を大幅に減らすよう訴えたり、和解交渉を行ったが、差し押さえ必至となり、1987年4月にテキサコは破産法11条(会社更生法に近いもの)を申請した。

1987年12月、ようやく和解が成立、和解金として30億ドルが支払われた。テキサコは多くの資産を売却した。

2001年、テキサコはシェヴロンと合併、シェヴロン・テキサコとなった。(2005 再度 Chevron と改称)

1999年に日本石油と合併した三菱石油には、一時、Getty Oil が50%の出資をしていた。

1931年、三菱3社(本社、鉱業、商事)と米国アソシエイテッド石油の折半出資により三菱石油 設立

 アソシエイテッド石油は1936年にタイドウォーター石油に吸収されたが、1967年にGetty Oil がタイドウォーターを買収、三菱石油の50%株主になった。
 
 1984年、Texaco によるGetty Oil 買収(上記)を機に、三菱系企業がTexaco持分を買取った。

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