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2006年9月 1日 (金)

シェブロンとガルフオイル、テキサコ

2006/8/28 「プルドー湾油田の操業停止ーBPとStandard Oil」で 「スタンダード・オイルの後継会社のその後」としてシェブロンについて触れている。

分割会社 その後 現在
Standard Oil of California(Socal) Gulf Oilと合併
→シェブロン
テキサコを買収
→シェブロンテキサコ
シェブロン
Standard Oil of Kentucky ソーカルが買収

シェブロンはStandard Oil of California(Socal)Gulf Oil Texacoを吸収したものだが、3社は以前にSeven Sisters と呼ばれ、世界の石油市場を支配した国際石油資本(メジャー)のメンバーである。

Seven Sisters
  現状
Exxon ExxonMobil
Mobil
Socal Chevron
Gulf Oil
Texaco
BP BP
Royal Dutch Shell Royal Dutch Shell

Standard Oil of California(Socal)はスタンダード・オイルの後継会社の一つで、現在のサウジアラムコを創設した会社である。

サウジは英国が支配していたが、1923年に英国のEastern & General Syndicate がサウジ東部に石油利権を得たものの、探査も採掘もせず、1927に失権している。

1932年にメロン財閥のGulf Oil が採掘権を得たが、油田がみつからず、期限前にSocalに売却した。

Socal は1933年に60年間の石油独占採掘権を得て、California Arabian Standard Oil を設立した。しかし、米国以外に販売権を持たないことから、1936年にTexas Company (後のTexaco)と中東で提携する契約を締結した。
  TexacoがCalifornia Arabian Standard Oil の50%を取得
  アジア、アフリカ地区における石油下流事業のため、各々50%出資した合弁企業
CALTEX (Socal+Texas)を設立した。

* 1948年、日本石油がCALTEXと提携し日石カルテックス設立

1938年、ダーラン近くのダンマーム7号油井で商業規模の採掘に成功、1944年にArabia American Oil Co. (通称 ARAMCO)と改称した。

1948年、ARAMCOにEXXON、Mobilが参加した。(出資比率はSOCAL、Texaco、EXXONが各30%、Mobilが10%)

その後、
1960年、OPEC創設、
1972年、アラムコにサウジ政府が25%出資、
1973年、中東戦争と第一次石油危機、
同年、サウジ政府がアラムコに51%出資、
等を経て、
1980年にサウジ政府100%となった。

1988年にサウジ政府はアラムコをSaudi Arabian Oil Companyと改称した。 名称から「American」が消えたが、何故か、今も通称は Saudi Aramco となっている。

 

他方、メロン財閥のガルフ石油はクウェートの権益を獲得、BPと50/50でクウェート石油を設立した。
(1973年にクウェート政府が51%国有化を決定)

このほか、1948年にPaul GettyのGetty Oil がサウジとクエートの中立地帯の採掘権を入札、独立系のAmerican Independent Oil (Phillips、Signal、 Ashland、Sinclare が出資)と共同で採掘権を得て、大成功を収めた。

山下太郎の
アラビア石油も1957年に中立地帯沖合いの採掘権を取得、1960年にカフジ石油を掘り当てた。

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ガルフのその後

1980年頃には業績が悪化、株価も低迷した。

1982年に乗っ取り屋でMesa Petroleum のオーナーのT. Boone Pickens がCities Service に敵対的TOBをかけた際に、ガルフはwhite knight となり同社を買収したが、同社の埋蔵量が不正確として揉め、同社はOccidental Petroleumに売却された。

Pickens は逆にガルフ株の11%を取得し、経営に入るため委任状集め競争を行った。ガルフ側はいろいろ対抗策を取ったが、最終的にソーカルに買収される道を選んだ。Pickens のグループは集めた株のソーカルへの売却で760百万ドルの利益を得たといわれる。

ソーカルはガルフとの合併後、社名をChevron に変更した。同社は独禁法問題の解決のため、ガルフの資産の多くを売却した。

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テキサコのその後

1983年末にPennzoil がGetty Oil の3/7を求めてTOBをかけた。(Paul Getty は1976年に死亡)

1984年1月3日、Pennzoil と Getty Oil が合意し、握手を交わした。(すぐに契約書を作成しサインすることとした)
1月5日、テキサコ会長がPennzoilの10%高の価格でGetty Oilを買うと申し出て、99.8億ドルで契約を交わした。
(これによりGetty一族は大きな利益を得た。)

Pennzoilは契約違反で Getty Oil を訴えたが、Getty Oil はテキサコとの契約で免責条項を入れており、テキサコが訴訟相手となった。

裁判はPennzoilの地元のテキサス州で行われ、3日の契約書なしの合意が有効かどうか、合意が全体の合意か、価格の合意だけか、で争われた。
Gettyが免責条項をいれたこと自体、違法性を認識していたとみられた。
弁護士の働きが功を奏し、陪審は契約違反と認定した。

Pennzoil側は損害賠償としてGetty Oil の持つ10億バレルの埋蔵量をもとに75億3千万ドルを請求したが、陪審は請求額全部を認め、更にペナルティとして30億ドルを上乗せした。更にテキサス州法では1月4日以降の金利を上乗せすることとなっており、合計額は117億92百万ドルという膨大なものとなった。

テキサス州法によれば控訴するには判決と同額の保証金を供託することが必要で、テキサコとしては控訴も出来ない状況となった。
このあと、供託金を大幅に減らすよう訴えたり、和解交渉を行ったが、差し押さえ必至となり、1987年4月にテキサコは破産法11条(会社更生法に近いもの)を申請した。

1987年12月、ようやく和解が成立、和解金として30億ドルが支払われた。テキサコは多くの資産を売却した。

2001年、テキサコはシェヴロンと合併、シェヴロン・テキサコとなった。(2005 再度 Chevron と改称)

1999年に日本石油と合併した三菱石油には、一時、Getty Oil が50%の出資をしていた。

1931年、三菱3社(本社、鉱業、商事)と米国アソシエイテッド石油の折半出資により三菱石油 設立

 アソシエイテッド石油は1936年にタイドウォーター石油に吸収されたが、1967年にGetty Oil がタイドウォーターを買収、三菱石油の50%株主になった。
 
 1984年、Texaco によるGetty Oil 買収(上記)を機に、三菱系企業がTexaco持分を買取った。

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