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2006年4月27日 (木)

インドネシアのエチレン計画への日本企業の参加-2

2、ツバン計画

ツバン計画が当初の形を変えて間もなくスタートする。

本計画はハシム・グループ傘下のティルタマス・マジュタマとタイのサイアムセメント日商岩井伊藤忠商事が合弁会社トランス・パシフィック・ペトロケミカル・インドタマ(TPPI)を設立し、東ジャワのツバンでエチレン/アロマの一大コンプレックスを建設しようというもので1996年末に着手した。Indonesiamap_1

事業内容はインドネシア国営石油ガス会社(プルタミナ)のコンデンセートを使い、70万トンのエチレン、100万トンの芳香族(50万トンのパラキシレン)、誘導品として10万トンのHDPE、30万トンのLDPE、20万トンのPP、50万トンのSMを生産するものである。

TPPIの出資はハシム・グループ傘下のティルタマス・マジュタマが70%、タイのサイアムセメントのシンガポール法人Tuban Petrochemical が20%、伊藤忠と日商岩井が各5%であった。
(その後
米国のKoch Refiningがティルタマスの5%を引き受けたが、離脱した。)

この計画は1999年央に完成予定で、市場、原料、内容面から世界で最もコスト競争力があるコンプレックスといわれた。

しかしながら1997年の通貨危機で資金手当てができなくなり、芳香族部分が6割、エチレン部分が2割まで完成しながら年末に工事中断に追い込まれた。その後エチレン機器は、受注したストーンウェブスターが中国南京市のBASF/SINOPECのJV・BASF-YPC用に売却した。

2001年に伊藤忠と日商岩井はプルタミナに事業の再開を要請した。
プルタミナはこれに応じてTPPIに15%を出資することとなり、調整の結果、ティルタマスが59.5%、Tuban Petrochemical(サイアム)が17%、伊藤忠と双日(日商岩井)が各4.25%の出資とした。

2002年にティルタマス・グループは金融再編庁(IBRA)との協議の結果、同社を再編して新会社PT Tuban Petroを設立、その70%をIBRAが保有、残り30%をティルタマスの元のオーナー・Honggo Wendratnoが個人保証をした上で保有することとなった。
これにより、Tuban Petroは、ティルタマスが株主であったTPPIの59.5%、PP会社の
PT Polytama Propindoの80%(残り10%は日商岩井、10%はBP),ブタノール等のPT Petro Oxo Nusantaraの50%(残り50%はエテリンド), ポリエステル繊維のPT Pacific Fibretamaの50%を保有することとなった。

2002年6月、インドネシア政府は近く国外の金融機関から新規融資を獲得して1998年から中断しているTPPIの建設工事を再開すると発表した。
日経夕刊に連載の「関係再構築 インドネシアと日本」(2006/4/25)には日揮の重久・会長兼CEOがワヒド大統領にプロジェクト再開を要請した際に、同席した当時鉱業エネルギー相で現大統領のユドヨノが「石油を製品化し輸出で外貨を稼ぐ事業の国家的意義を十分理解し積極的に動いてくれた」とある。

エチレン機器は売却済みのため、芳香族部分のみを実施することとした。100万トンの芳香族(うちパラキシレン50万トン、ベンゼン20万トン、トルエン15万トン)と100万トンのナフサ、160万トンのケロシンとディーゼル油を生産する。ナフサと芳香族は外販、燃料油はプルタミナが引き取る。

2004年5月、三井住友銀行を幹事行とする6行の国際協調融資団が2億ドルの融資を行い、日本貿易保険が保険を引き受けた。融資の返済はTPPIの株主であるプルタミナが三井物産に販売する低硫黄残渣油の代金で賄われる。

TPPIは間もなく6月に生産を開始する。

IBRAは任務を終わって解散し、Tuban Petroは後継組織に引き継がれた。しかし継続して化学企業の株主として機能する考えはなく、TPPIはティルタムス・グループが再度株主となるのではないかと噂されている。

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次回はシンガポールの誘導品事業への日本企業の参加をみる。

 

 

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