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2006年3月31日 (金)

サウジ・メタノール計画

SABICによるサウジの石油化学の創生期に日本は2つのナショナルプロジェクトで参加した。一つは三菱ガス化学が中心のメタノール計画(AR-RAZI:The Saudi Methanol Company)で、もう一つは三菱グループが中心のPE、EG計画(SHARQEastern Petrochemical)である。

SABICはいくつかのJVに昔のアラブの有名人の名前を付けている。
Abu Baker AR RAZI は15世紀のアラブの有名な医者で化学者で、硫酸やアルコールを発見し、液体の密度を測る方法を発明した。三菱ガス化学の
AR-RAZI(The Saudi Methanol Company)はこの学者の名前をとっている。

日本のメタノール業界は1970年代には共同生産会社の東日本メタノール(住友化学中心)と西日本メタノール(三井東圧中心)のほか、三菱ガス化学、三井東圧、協和ガス化学の5社体制であったが、石油ショックで競争力を失い、三菱ガス化学は海外進出を狙っていた。
(1983年には両センターが操業を停止、他社も相次ぎ停止した。1995
7月に三菱ガス化学が最後のプラント・新潟工場を操業停止し、設備は中国の内蒙古・伊克昭盟化工集団総公司に売却した。)

これとは別に、1974年に伊藤忠がペトロミン、First Arabian (サウジ)、Grace (米) と共同でサウジでの燃料用メタノール事業を検討した。しかし、サウジ政府が燃料用ガスの輸出を禁止したため、化学用メタノール事業に転換、海外立地を検討していた三菱ガス化学が参加した。

FSの結果、事業化を決定、三菱ガス化学はナショナルプロジェクトとすることとし、海外経済協力基金のほか、国内メーカーの参加を求めた。なお、サウジ側がSABICの50%出資を主張したため、Graceは離脱、日本側とSABICの50/50JVとなった。   
 
1977年11月に投資会社の日本・サウジアラビアメタノール㈱(JSMC) を設立した。
三菱ガス化学が47%、海外経済協力基金が30%、三井東圧・住友化学・協和ガス化学が各5%、日本化成・新日鐵化学・東邦理化が各1%、それに伊藤忠が5%出資した。

1979年11月に合弁契約を締結し、80年2月にJSMC 50%/SABIC 50%でAR-RAZISaudi Methanol が設立された。
JSMCもインセンティブオイルを与えられたが、日本での販売権がないため、三菱石油、日本鉱業、昭和石油と委託契約を結んだ。

19832月に第1期 60万トンが完成、日本側は半分の30万トンの引取り権を得た。
三菱ガス化学はこのうち、12万トン、5%出資社は各5万トン、1%出資社は各1万トンを引き取った。
残りのうち、20万トンは日本側が東南アジアで販売した。

需要の増大(最近はMTBE原料用)に伴い、同社は増設を続けた。
1992年1月に第2期(63万トン)、97年6月に第3期(85万トン)、99
4月に第4期(85万トン)が完成した。
順次、サウジ側の引取りが増え、第2期分は31.5万トンは日本で引取り、残りを双方で半分ずつ販売した。第3期分は25%はサウジのMTBE用、残りは日本側、サウジ側均等販売、第4期はIbn Zahar と SADAF のMTBE向けが中心である。
(第4期分については、当初はサウジ側が単独で事業化を検討した。)

更に、2005年には第5期170万トン2008年完成予定)の発注が行われている。

なお、サウジアラビアではSABICのもう一つのメタノールJVのIBN SINANational Methanol CompanySABIC 50%/Hoechst-Celanese 25%/Pan Energy 25%、メタノール110万トン+MTBE)のほか、日本側35%出資のInternational Methanol Companyがある。
Saudi International Petrochemical 65%/三井物産 20%/三菱商事 5%/ダイセル化学 5%/飯野海運 5% 出資、設立:2002年、立地:Al-Jubail、能力100万トン)

三菱ガス化学は本JVのほか、ベネズエラのMetanol De Oriente, Metor.S.Aに参加(三菱商事とともに各23.75%出資)、更に中国の重慶で重慶化医とのJV(51%出資)、ブルネイでのJV(50%出資、他に伊藤忠が25%、ブルネイ国営石油が25%)に参加を決めている。

*米国では、大気汚染対策のためガソリンにoxygenate (含酸素分成分)としてMTBEなどの含有を義務付けている。しかし、MTBEはガソリンタンクからの漏れによる飲み水汚染が問題になっている。(ガソリン分解の細菌は多く問題にならないが、MTBE分解細菌は少ない)
昨年のエネルギー法改正で本件でのMTBEメーカーを訴訟から免責にする法案がつぶれ、ガソリンへの添加義務も本年5月5日で失効することとなった。
このため、MTBE需要は激減することとなる。MTBE及び原料のメタノールのメーカーへの影響は大きいと思われる。
(なお、オクタン価向上のためにはエタノールが使用される)

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2006年3月30日 (木)

サウジアラビアの石油化学の歴史

三菱のサウジ石化計画の前に、サウジの石油化学の歴史をみておこう。

サウジでも当初は石油随伴ガスは油田で燃やされていた。サウジ政府はこれを貴重な原料として石油化学を興すことを決めた。Saudipipeline
1975年に石油化学基地として2つの工業都市の建設が決められた。1つは油田に近いペルシャ湾岸の
Al-Jubail、もう1つは紅海沿岸のYanbu である。サウジでは以前から紅海沿岸に原油や天然ガス、石油製品の輸出基地建設を検討していた。

1976年9月にサウジ基礎産業公社 (SABIC)が設立された。

石油化学計画実施のため、ガス収集システムと両工業都市を結んで原油とガスを送るパイプラインが建設された。

計画の遂行に当たり、サウジ政府は海外の石化メーカーに参加してもらい、50%出資と技術供与、従業員の教育を依頼するという戦略を決め、シェル、モービル、ダウ、エクソン、三菱グループ、三菱ガス化学等と交渉を始めた。
(三菱ガス化学のメタノール計画は、それ以前の
1974年頃に、伊藤忠がペトロミンなどと燃料用メタノール事業の検討をしていたが、その後、燃料用ガス輸出禁止で化学用メタノール事業に転換、海外立地を検討していた三菱ガス化学が肩代わりしたもの。)

当初は各社ともサウジでの石化事業に前向きではなかったが、サウジ政府は(1973/10に始まった)石油ショックを利用して、参加企業にインセンティブ・オイルを出すとの条件を出した。これは当時は公示価格では入手できない原油を、公示価格で一定量を15年間供給するというものであった。結果的には成約後数年して、他国から公示価格以下で入手できることとなり、メリットがなくなり、各社とも権利を放棄した。

各社はこの条件を呑んで計画に参加し、以下のJVが設立された。

Al-Jubail
SHARQ (Eastern Petrochemical):三菱ほか日本側;PE、EG
KEMYA (Al-Jubail Petrochemical )
:Exxon;PE (後、Ethyleneも)
PETROKEMYA Arabian Petrochemica
l):(SABIC 100%);Ethylene
SADAFSaudi Petrochemical
):Pecten Arabian (Shell);Ethylene, 工業用Ethanol, SM, Caustic Soda, EDC, MTBE
AR-RAZISaudi Methanol
):三菱ガス化学ほか日本側;メタノール
IBN SINANational Methanol
):Hoechst-Celanese,Pan Energy;メタノール、MTBE

Yanbu
YANPET Saudi-Yanbu Petrochemical
):ExxonMobil:Ethylene, PE、EG
いずれもSABICが50%出資。

このほか、肥料や誘導品のJVあり。(これらではSABIC出資比率は様々)

Al-Jubailの各社立地は添付の通り(「サウディ石油化学 20年のあゆみ」から)Saudi2

建設は順調に進み、従業員の教育もパートナーの工場で実施され、予定通りスタートした。
「Sabic History」(文末参照)ではSADAFの工場建設について次のように書かれている。
「シェルとSABICは当時は過去最大の30億ドルの石化コンプレックスを、インフラの全くない土地で、建設を開始した。・・・日本の鉄鋼会社2社が日本でプラントをいくつかのモジュールに分けてつくった。モジュールは巨大なものだった。オランダの会社が日本からAl-Jubail に輸送し、運搬装置に積み換えて特別道路で現地に運び、組み立てた。日本人の品質管理は驚くべきもので、ピッタリ接合した。予定より早く、予算を15%下回って完成し、1985年に商業生産を開始した。」

その後もSABICの事業は拡大しており、
・2004年にAl-JubailにSABIC 100%で
Jubail United Petrochemical 設立(エチレン,EG、HDPE、直鎖αオレフィン)
・2007年スタート予定でYanbuに
Yansab設立(SABIC 65%、一般公開35%)(エチレン,EG,PP)
・2008年スタート予定でSHARQ増設(エチレン、EG,LLDPE、HDPE)
などがある。
更にSABICは2002年にDSMのオランダ及びドイツの石化事業を買収し、
Sabic EuroPetrochemicals としている。

上記のなかでPETROKEMYA だけがSABIC 100%と例外扱いとなっている。後に出てくるが、当初はダウがパートナーであったが、ダウが降りたためSABIC 100%となった。

余談だが、ダウは他社が飛びついたサウジの計画から(インセンティブ・オイルのメリットを放棄して)降りたほかに、中国のエチレン計画からも降りている。ダウ 50%、シノペックと天津市などが50%のエチレン計画を取り止めた。自社の戦略を重視したものと思われる。
同社は現在、クウェートでの石化計画を推進している。

現在のSABICの石化計画の概要は以下の通り。http://kaznak.web.infoseek.co.jp/big/sabic.htm

なお、現在ではSABIC以外に私企業による石化計画も続出している。
詳細は 
http://kaznak.web.infoseek.co.jp/ichiran/saudi/index.html 

また既報の通り、アラムコが住友化学と組んで、自国内で初めて石化事業を行う。(アラムコは中国の福建省泉州市で、エクソン、シノペックと組んでエチレン計画を実施中)

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資料 SABIC Americas ホームページ 
Sabic History
http://www.sabicamericas.com/uploads/images/204/Sabic_Book.pdf

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2006年3月29日 (水)

イラクの石油化学

イランの石油化学について述べたので、イランとの長い戦争をしたイラクの石油化学について触れる。
イラン・イラク戦争(1980-88)前にはイラクには2つの石油化学計画があった。

Petrochemical (PC)-1、PC-2と呼ばれ、いずれも国営石油化学企業 State Enterprise for Petrochemicals(SEP) が所有、運営するものである。

Iraqmap PC-1はペルシャ湾近くのKhor Al-Zubair にあり、1970年代後半にLummus Thyssen Rheinstahが建設した。
エタンを原料にエチレン 130千トン、EDC 110千トン、VCM 66千トン、PVC 60千トン、LDPE 60千トン、HDPE 30千トンの構成である。
1980年に
完成したが、イラン・イラク戦争で操業は凍結された。

PC-2はバグダッド南部のMusayibにあり、イラン・イラク戦争で 建設が中断。1988年の戦争終結でSEPは建設を再開した。
当時の計画は以下の通り。
エチレン 250千トン、LDPE 160千トン、EG 55 千トン、EO 20千トン、PP 100千トン、ブタジェン 70千トン、SM 145千トン、PS 80千トン、SBR+BR 80千トン、MTBE 60千トン、ブテン-1 15千トン、ABS 15千トン、スチレン・ニトリル・コポリマー 5千トン。
このうち、ブタジェンとABSは東洋エンジニアリングとニチメンが受注している。

イラン・イラク戦争後の進め方で両国は全く異なる。イランはホメイニ師の下で一体となり、経済復興に努め、旧IJCPを再開、これを核にして石油化学産業を拡大している。

これに対してイラクは1991年にクウエートに侵攻して湾岸戦争を起こした。PC-1、PC-2ともに爆撃を受け、大きな被害を受けた。
イランと異なり、イラクではシーア派とスンニ派、北部のクルド族が互いに争い、フセイン大統領が
大規模な軍隊と国内の治安維持部隊でこれらを抑えるという状況であった。経済制裁もあり、産業復興に注力できる状況ではなかった。

PC-1は湾岸戦争での被爆後、1992年に部分再開し、2003年のイラク戦争でも余り被害を受けず、部分的に操業を開始している。しかし予算がなく、細々と動かしている模様である。

PC-2は湾岸戦争での被爆後、1992年に部分的に操業を開始したが、2003年のイラク戦争以降は止まっている。

 

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2006年3月28日 (火)

速報 「自白」で課徴金減免初適用

2/16の記事で独禁法改正による課徴金減免について書いた。

本制度適用の第1号が出た。

以下 2006/3/28 毎日新聞夕刊から

国、自治体などが発注する水門工事の入札を巡り談合が繰り返されていたとして、公正取引委員会は28日、大手重工・鉄工20数社に対し、独占禁止法違反(不当な取引制限)の疑いで立ち入り検査を実施した。
関係者によると、公取委は今年1月の独禁法改正で新たに設けられた「課徴金減免制度」に基づき、検査対象の企業から事前に違反内容の情報提供を受けたという。同制度を活用して、公取委が談合事件摘発に乗り出すのは初めて。

立ち入り検査前に1番目に申告すれば、課徴金の全額と刑事告発が免除される。メリットはそれだけでなく、国土交通省は、同法違反に伴う指名停止期間について、減免対象社は通常の2分の1に短縮する方針を打ち出した。

ーーーー

同紙は、先着3社から漏れた企業は「申告しなかったことにより、損失が増えた」として株主代表訴訟を起こされる可能性もあるとしている。公取委との約束で、社員から「違反があった場合は就業規則に則り厳正な処分を受けても異存はない」旨の誓約書をとった会社もある。

今後は価格カルテルはなくなるだろう。

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イラン・ジャパン石油化学(IJPC)の歴史-2

イラン革命で中断していたIJPCの工事再開が軌道に乗り始めた80年9月、イラン・イラク戦争が始まった。9月24日には遂にイラク機がサイトを爆撃し、この後もサイトはしばしば被爆した。駐イラン大使と石油相の会談でテヘランへの避難が合意されたが、第5次被爆を受け、IJPCはコントラクターに日本への帰国を承認、11月に全員帰国が完了した。
19814月に輸銀が金利棚上げ要請を拒否、ICDC取締役会は送金中止を決定した。この時点の総支出額は5,989億円となっていた。(その後の金利負担は大きい)

1981年7月に日本側は代表団を送り、「戦争で前提が崩壊した。契約を再検討すべきであり、今後の資金はNPC負担で」、と申し入れた。
しかし、イラン側は契約は有効とし、工事継続を強く要望した。

その後、何度も交渉が行われ、イラン側は建設再開を、日本側はその非現実性を繰り返し主張した。

1983年7月にイラン側が今後はNPCのみが増資しマジョリティ株主となるとの補完協定にサインしたため、また、両国が国連事務総長の都市攻撃中止勧告を受諾したため、日本側は工事再開に同意し、再開の予備調査を始めた。しかし、イラクによるサイト攻撃が再開され、「工事を行えば攻撃する」との警告が出され、84年9月に被爆したため、全員が退避した。

加えて、85年4月にイラン国会が83年7月に調印した補完協定を否決した。

イラン・イラク戦争が長期化する中、「日本側は基本協定に従って工事を完成させるべき」と主張するイラン側と、「革命、戦争による長期にわたる工事中断で、最早事業の採算性は失われた」とする日本側との間で、長期にわたる交渉が始まった。
日本側は送金を停止し、対抗してイラン側は借入金の元利送金をストップした。

888月に8年続いたイラン・イラク戦争の休戦協定が成立した。

89年3月になって両国が精算を前提に交渉を開始することに合意、10月に最終合意を得た。
日本側が出資金722億円とICDCのローン1,250億円を放棄するほか、精算金として1,300億円を支払うという条件である。ほかに多額の金利負担がある。
日本の金融機関からの借入金、第三者への債務、三井物産の延払債務、イラニアンローンはNPCが負担した。
(事業を止めるのではなく、下記のとおりNPCは単独で事業を継続するため、当然のこと)

1990年2月、IJPCの清算が完了、日本側損失に対して海外投資保険から(付保額1,662億円、請求930億円に対して) 777億円の支払いが行われた。

日本側投資会社のICDCは91年9月に臨時総会で解散決議を行った。親会社5社は出資金とICDCへの貸付金放棄、他の出資会社は出資金放棄を行い、解散した。

最初の要請があってから23年、投資会社ICDC設立から20年が経っていた。

以上、参考資料 
「IJPCプロジェクト史 -日本・イラン石油化学合弁事業の記録ー」

高杉良「勇者たちの撤退―バンダルの塔」
各社の社史ほか

上記の処理についてはこの時点では止むを得ないものであったと思われる。更に資金をつぎ込んで事業を継続しても採算は取れず赤字が膨らんだであろうし、米国が国交断絶している国での協力は他の事業にも影響を与えたかも分からない。

他のプロジェクトとの違いは当初の時点でナショナルプロジェクトにせずに5社だけでやったことである。
三菱のサウジの場合、商事・油化・化成の3社の投資会社への出資は合計14.5%だけで、海外経済協力基金が45%を出資し、ほかに石化会社や銀行その他多数の企業が出資している。
シンガポールの場合もエチレン会社の投資会社には住友化学の出資は当初13%(その後46.2%)で、海外経済協力基金が30%(その後20%)、ほかに各社が出資している。
ラービグ計画は住友化学単独出資だが、
国際協力銀行が25億ドルの融資を行うこととなっている。

本プロジェクトは革命が起こってからナショナルプロジェクトにし国や他企業から(ほんの少額の)出資を得たが、石油の権利がからんだ産油国での大事業を(途中では東洋曹達から強い要請があったのに)ナショナルプロジェクトとしなかった思惑は何であったのか、よく分からない。

また、建設費が当初の5倍になり、かつ原料価格が決まらない時点で、採算が不明ということで着工しないという手もあったのではないかと思われる。

建設に従事した人々の唯一の慰めは、苦労して建設したプラントが再建され、今も動いていること、それを核にしてイランの現在の石油化学が出来ているということであろう。

ーーーーー

1990年に入り、NPC は社名を IJPCからBandar Imam Petrochemical Company に変更、韓国企業を使って設備の再建に着手した。国の威信をかけ、石油化学振興のため採算に関係なく実施したと思われる。JVではないため随伴ガスはゼロ評価で出来るという点もある。
各プラントは94年頃から順次スタート、
既存プラントに加え、95年にはPVC(HULS技術)、2000年にはPX (IFP技術)、2004年にはMTBEが、それぞれ新しく スタートした。

現在の同社の能力は以下の通り。(千トン)

エチレン

 411

HDPE

150

LDPE

100

PP

40

ベンゼン

230

P-キシレン

180

SBR

40

VCM

180

PVC

175

MTBE

500

苛性ソーダ

250

 


イランの石油化学の現状

現在のイランはBandar Imam地区のBandar Imam Petrochemicalに隣接してPetrochemical Economic Zone をつくり、順次プラントを建設しているほか、Pars地区でもPars Economic Zoneをつくっている。

現在のバンダルイマムホメイニ地区(NIPC Homepageから)
http://kaznak.web.infoseek.co.jp/others/iran-bandarimam.htm

最近は西部国境沿いにエチレンパイプラインを敷設し、両Economic Zoneから各地にエチレンを送り、誘導品プラントを建設している。Iranmap

2005年6月、伊藤忠はPars Economic ZoneでNPC、タイNPC、サイアムセメントとのHDPE製造販売の合弁会社Mehr Petrochemical を設立すると発表した。能力は30万トンで2008年スタートの予定。

(イランの石化の詳細は http://kaznak.web.infoseek.co.jp/ichiran/iran/index.html 参照)

バンダル・イマム・ホメイニ地区の現在の衛星写真がグーグルで見られます。
・グーグル・マップ(
http://maps.google.co.jp/を開き、地図の上部の矢印操作でイランのペルシャ湾最奥部付近を中心にする。
・「マップ」を「サテライト」に切り替え、順次拡大していく。

 

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2006年3月27日 (月)

イラン・ジャパン石油化学(IJPC)の歴史

イラン・ジャパン石油化学(IJPC)は三井物産を中心とした日本側投資会社イラン化学開発(ICDC)とイラン国営石油化学(NPC)の50/50JVで、バンダル・シャプールに石油随伴ガスを原料とするイランで最初の総合石油化学コンプレックスを建設しようとするものである。当時のイランの石油化学はアンモニア、肥料が中心であり、石油随伴ガスは燃やしていた。

イラン側の要請を受け、三井物産を中心に現地調査を行ったが、余り芳しくはなかった。しかし、イラン側は熱心で、誘致のためロレスタン地区の油田の採掘権を与えることを交換条件とした。(これに当時多角化経営をしていた帝人が飛びついた。)

三井側はFSを実施、油田採掘権に引きずられる形で1971年に合弁基本契約を締結した。

油田の方は、1971年9月に、石油開発公団(75%)、帝人、北スマトラ石油、三井物産等が出資して投資会社・イラン石油を設立、イラン国営石油会社及びモービルとのJVの Iran-Japan Petroleum 設立してロレスタン地区(地図をクリックしてください)で採掘を開始したが、結局失敗に終わり、1977年に鉱区を返上している。 Iranmap

1971年12月、投資会社・イラン化学開発(ICDC)が設立された。
当初の出資は三井物産(49%)、東洋曹達(31%)、三井東圧(15%)、三井石油化学(5%)だったが、当時伊藤忠と組んで別途合成ゴム計画を検討していた日本合成ゴムが1973年に5%出資(物産から4%、東曹から1%)している。東曹の熱心さに比べ、三井東圧、三井石油化学が最初から消極的であったのが分かる。

1973年4月、イラン化学開発(ICDC)とイラン国営石油化学(NPC)の50/50JVのイラン・ジャパン石油化学(IJPC)が設立された。

計画内容は以下の通りであった。

立地:
バンダル・シャプール(現在のバンダル・イマム・ホメイニ)でペルシャ湾の最も奥にある。Bandarshapurmap_1 工場は幾つかの島を埋めた土地の先端にある。
隣にはNPCとAllied Chemical の肥料JVのShahpur Petrochemical (現在のRazi Petrochemical
)がある。近くのイラン・ニッポン石油化学(IRNIP)は 1973年に日商岩井(26.1%)と三菱化成(23.9%)がNPCとのJVとして設立した可塑剤製造会社で、1979年に日本側が撤退し、その後Farabi Petrochemical と改称し、現在も操業している。

原料:
Awaz油田とMarun油田の石油随伴ガスをAwaz近辺でNGLと燃料ガスに分離し、100km離れたプラントまで配管で輸送する。(当初はAwazでの石油随伴ガスの処理はJVの事業範囲)
BTX用のナフサはアバダン製油所から輸送する。プラントで回収した不要のガスは送り返す。
電解用の工業塩は塩田で天日製塩法で自製する。電気は自家発電。

製品:
製品と能力、技術サプライヤーは添付の通り。Ijpc
当初案ではSM(100千トン:バジャー技術)、キュメン(150千トン:三井石油化学)があったが、計画見直しで中止。SBR用のSMは購入。

プラントのレイアウト:(下図をクリックしてください)

Ijpclayout

建設費:
当初案では1,500億円(4億ドル:当時のレートは360円/$)

1973年4月にIJPCが設立されて半年後の10月に中東戦争が勃発し、第一次石油ショックが始まった。
製品の価格も上がるが、建設費が暴騰、74年初めの予想では2,900億円、74/10月には7,400億円と、当初案の5倍に膨れ上がった。

このためガス収集・輸送(1,400億円)をイラン側事業とし、残りを10%カットし総所要資金を5,500億円と想定、日本側3,000億円、イラン側2,500億円を調達(うち資本金各500億円)し、保証は2,250億円ずつとした。

問題は原料のガス価格で、当初は随伴ガスの井戸元価格を決めていたが、ガス収集・分離・輸送をイラン側事業としたためにプラントサイトでのガス価格を決める必要が生じたが、イラン側の担当が異なることもあり最後まで決まらなかった。

なお、所要資金の増大により東曹はナショナルプロジェクト化を主張したが、三井物産は拒否し、東曹はICDCへの出資比率を減らした。(1976年 東曹 30%→15%、三井東圧 15%→22%、三井石油化学 5%→13%)

1978年末には工事は85%の完成をみていたが、79年1月イラン革命が勃発した。日本人は追い出される形で総引き上げし、建設工事は中断した。
79年4月、イラン・イスラム共和国樹立宣言が行われた。
親会社5社は最早、民間企業のリスクの限界を超えているとの判断に立ち、政府の支援を要請、政府も第二次オイルショックで産油国イランとの友好関係を勘案し、ナショナルプロジェクト化を決定した。
政府出資枠は200億円としたが、イラン・イラク戦争で途中で打ち切りとなり、最終的には海外経済協力基金が54億円、民間100社
17億円を出資した。(政府+民間の出資合計 18.8%)
5社(81.2%)の間の出資比率は最終的に、物産 60%、東ソーと三井東圧各15%、三井石油化学と日本合成ゴム 各5%とした。

1979年11月、テヘランで米大使館人質事件が発生、80年4月に米国がイランと断交した。そうした中で、イラン側は工事の即時再開を日本側に強く迫った。日本側は工事再開のための諸条件不備を理由に反対したが押し切られ、6月に至り漸く工事再開に踏み切ることになった。
工事再開が軌道に乗り始めた80年9月、イラン・イラク戦争が始まった。

(続く)

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2006年3月26日 (日)

途中ですが 中国の設備規制

3/23の日本経済新聞に「中国 設備過剰で法的手段も 新規参入を制限・小規模企業を淘汰」 との記事が出ている。

中国国務院(内閣)は10業種を対象に、法的手段によって新規参入を制限したり小規模設備の淘汰を加速するよう地方政府などに通達を出した。国内の設備過剰を解消する狙い。

国務院によると、設備能力が過剰なのは自動車、鉄鋼、アルミニウム、カーバイド、合金鉄、コークスの6業種。過剰問題が将来、顕在化すると懸念しているのが電力、セメント、石炭、紡織の4業種。通達は電力についても乱立する小規模発電所計画を停止させ、大規模発電所を中心に新設するとの方針を盛り込んだ。

しかし、石油化学については別である。

国務院常務員会議は1月に第11次5カ年計画での「エチレン工業の中長期育成計画」を決定した。それによると、中国は2010年までに既存プラントの増設と新規計画により 1,060万トンの能力増を行うこととなる。(本年1月スタートの中海シェル計画や着工・承認済みの計画を含む)
2005年末の能力が 780万トンであるため、この通りいけば2010年末には1,840万トンになるということになる。

既存プラントの増設については、例えば茂名石化(38万トン)を80万トン以上に、上海石化(85万トン)を100万トン以上にする。また、撫順石化(15万トン)のような中規模プラントも拡張し、100万トンに近い能力に引き上げる。これらにより既存プラントの能力を2010年までに438万トン増やす。

さらに、中海シェル計画のような大規模エチレンを7基、合計620万トンを新設する。揚子江デルタ、珠江デルタ、渤海湾地域が2010年には全国のエチレンの60%以上を占めることとなり、同時に新疆、甘肅、四川、湖北省など中西部地区にも大型エチレンが建設される。

かなり早い時期に中国が石油化学製品の自給体制を整え、輸出国になる可能性がある。

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2006年3月25日 (土)

ペトロラービグ起工式

住友化学とサウジ・アラムコの50/50JVのペトロラービグが3月19日に起工式を行った。
総投資額85億ドルの
石油精製と石油化学との統合コンプレックス開発計画がいよいよスタートする。2008年後半のスタートを目指す。

サウジ・アラムコ(当時はペトロミン)は1980年代にギリシャのPetrolaとの50/50JVでラービグ製油所を建設した。しかし、能力325千バレル/日に対し280千バレル程度しか稼動せず、重油中心で採算も悪かった。
1995年にアラムコは改善投資に反対するPetrolaから持ち分を買い取って100%出資に切り替え、その後400千バレルに能力をアップした。
同社は採算向上と地域振興のため、同社としては国内で初めての石油化学に乗り出すことを決め、提携相手としてSABIC、ダウ及び住友化学と交渉、最終的に住友化学を選んだもの。

2004年5月、アラムコと住友化学は共同でFSを実施することを発表、その後、建設費の大幅アップが問題となったが、2005年8月、合弁契約を締結した。

事業内容は以下の通りで(図をクリックしてください)、Rabig 合弁会社の社名はRabigh Refining and Petrochemical Company (略称Petro-Rabigh、既存製油所をJVに移管し、石油精製2次処理設備を新設しガソリンを新たに生産するとともに、エタンクラッカーと流動接触分解装置(FCC)、さらにポリエチレンやポリプロピレンといったポリオレフィンを中心とするエチレンやプロピレンの誘導品の生産プラントを新設する。POについては住友化学の新法を採用する。
既に日揮がFCC、プロピレンを、三井造船がEG、PO製造プラントを受注している。

現在、同製油所の原油はYanbuからタンカーで運ばれているが、エタンは東部のガス田とYanbuを結ぶEast-West Pipelineの原油パイプの1本をエタン用に転用しRabighまでの支線を新設する。Rabighmap

建設費は世界的な新増設ラッシュで高騰し(電力・工業用水建設費の融資などの範囲拡大もあって)、当初予想の43億ドルから85億ドルに上昇したが、「中東のエタン価格は百万BTU当たり 0.75~1.5ドル。トンに換算して37~74 ドルだが、ナフサの470ドルに比べれば、6分の1 から10分の1 という安さだ。原油やナフサ価格は常に変動するがエタン価格は安定している。原油価格が上がればそれだけ有利になる」(住友化学)。
各銀行も「原油価格急落も含め何十通りもの状況を想定したが、キャッシュフローは十分確保できる」(融資関係者)とみている。

2000年2月にアラビア石油がサウジアラビアに約40年間保有し続けた油田権益を失ったが、「サウジ・アラムコのもつ日量40万バレルという製油所の規模は日本の年間石油輸入量の約10%に当たり、エネルギーの安定確保をめざす日本にとっては決して小さくはない。半分はジャパン・オイルということになる。」(住友化学)

政府もこれに大いに期待しており、プロジェクト・ファイナンス契約の総額58億ドルのうち、国際協力銀行が25億ドル(サウジ政府系は10億ドル)を融資する。
また日本貿易保険も、本プロジェクトを「競争力ある原料の安定供給とスケールメリットを生かした収益力の高い事業」と評価し、住友化学が拠出する資本金・親会社融資・その他、丸紅・日揮・伊藤忠商事の用役供給事業、納入業者のEPC・機器輸出契約への貿易保険等、中長期保険に限っても約24億米ドルというサウジアラビアにおける過去最大、1案件としても過去最大の貿易保険引受を行うことを決めている。

唯一の懸念はサウジアラビアの政治情勢(テロを含む)にからむリスクである。
住友化学は政情の安定しているシンガポールでシェル・グループと共同で第2エチレンコンプレックスのFSを行った。2007年の操業開始をめどに、シェルのリファイナリー設備があるブコム島
にナフサを原料にエチレン年産100万トン規模のプラントを、誘導品プラントをジュロン島に建設する計画である。
これを捨てて(シェルは単独で実施することを決定)サウジに進出するのは、このリスクを勘案しても、産油地での価格及び量の安定した原料でないと今後の石油化学はやっていけないという判断があったと思われる。

中東戦争が勃発し、第一次石油ショックが発生したのが1973年10月であるが、その数年前に三井(物産)、三菱(商事、油化)、住友(化学)に、それぞれ、石油化学工場建設の要請があった。
・1968年、イラン石油化学公社総裁が三井物産に油田排ガス有効利用について協力要請
・1970年、サウジ・ペトロミン総裁が三菱商事・三菱油化に石油化学事業具体化のための協力要請
・1971年、シンガポールの大蔵大臣から住友化学に石油化学工場建設への協力要請

当時は3計画の中でイラン計画が最も有望とみられていた。原油が豊富で、バーレビ国王の下で政治的に最も安定していた。次が同じく産油国での事業であるサウジ計画で、シンガポールについては原料も需要もなく、何のための事業かと疑問をもたれていた。

結果的にはイラン計画はイランの革命とオイルショックでの建設費高騰、更にイラン・イラク戦争により撤退のやむなきに至った。こういう結果になるとは当時は誰も予想していなかった。海外投資のリスク評価の難しさである。
(高杉良の「勇者たちの撤退―バンダルの塔」はイラン革命で日本人全員がイランから引き上げるまでを東洋曹達からの出向者の目でみているが、そのなかで、日本の外交官でただ一人、イラン革命をその数年前に予想していた人のことに触れている。しかし、革命政府も本計画に熱心であり、破綻の原因は長期にわたるイラン・イラク戦争である。ただ、これも革命がなかったら起こっていなかったかも分からない)

次回以降で、それぞれの計画の概要と結果(現状)をみる。

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2006年3月24日 (金)

速報 バイエルがシェーリングの買収合意

さきにメルクがシェーリングの買収提案をしたとの記事を書いた。

シェーリングはこれを「敵対的」と拒否したが、23日、バイエルはシェーリングの買収で合意したと発表した。

買収後、両社は医薬事業を統合し、新会社「バイエル・シェーリング・ファーマ」を設立する。

今後のメルクの出方によって買収合戦になる可能性も残る。  バイエルの買収価格をみて、メルクは買収を諦めた。

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ダウとBASF、POを新製法で生産

3/8、ダウはBASFとの合弁でアントワープに過酸化水素法でPOプラントを建設すると発表した。能力は30万トンで、2008年初めのスタートを目指す。

過酸化水素法はBASFが1995年頃から研究してきたもので、副産物がなく最終製品であるPOと水しか発生しないこと、プラントの設置面積が小さく、必要インフラストラクチャが少ないことが特徴とされている。
(但し、
多量の過酸化水素ープロピレン1トンに対し0.6トンーを使用するため、POプラントの横に過酸化水素のプラントを建設することが必要。またエポキシ化触媒をリサイクルするためにメタノールを使用しており水とメタノールの分離に多量のスチームも使用する。)
BASFは過酸化水素製造のため、ソルベイと提携している。

ダウは01年にエニケムとの間でポリウレタン事業とポリメリ(UCC/エニケムのPEのJV)持分を交換した際にこの技術を取得しており、ダウとBASFは02/8に共同開発を決めた。

 ーーーー

現在、POの生産には3つの方法がある。

1)塩素法
従来からの製法で
プロピレンに塩素と水を反応させ、生成したクロルヒドリンを水酸化カルシウム或いは水酸化ナトリウムで処理する方法。(併産物:塩化カルシウム or 塩化ナトリウム)

日本では現在、旭硝子(鹿島)とトクヤマ(徳山)が生産している。

2)ハルコン法
イソブタン又はエチルベンゼンを酸素と反応させて得られたハイドロパーオキサイドでプロピレンを酸化する方法で、イソブタンを使った場合はTBA or MTBE、エチルベンゼンを使った場合はスチレンモノマーを併産する。

日本では日本オキシランがSM併産で生産している。
なお、アジアでは韓国でSKCケミカル(当初ARCOが出資)、シンガポールでSeraya Chemical (Shell) 及びEllba Eastern (Shell/BASF)が、いずれもSM併産で生産している。

3)住化新法
上記2)の方法でイソブタン或いはエチルベンゼンの代わりにイソプロピルベンゼン(クメン)を用い、生成するクミルアルコールを脱水/水素化してクメンに戻すことにより、併産物を生成しない新しいプロセスの構築に成功した。

住友化学は千葉で新法によるプラントを建設した。また、サウジのラービグで新法によりPOを生産する。

 

住友化学資料によると世界のPOの生産量の技術別内訳は添付の通りとなっている。Potechshare

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2006年3月23日 (木)

2つのMerck社

3月13日にドイツのSchering AG は Merck KGaA から買収提案があったことを発表している。

Merck KGaA はドイツの医薬品会社で、米国のMerck & Co., Inc. とは別会社である。
Merck KGaA の起源は1668年にフランクフルトの南のダルムシュタットでフリ-ドリッヒ・ヤコブ・メルクがエンゼル薬局を創業したことに始まり、現在では 28カ国、62地域に自社工場を展開するまでになっている。

1891年、メルク一族のジョ-ジ・メルクが米国に子会社 Merck & Co.を設立した。
この会社は第一次世界大戦で敵国企業の子会社として米国政府に接収され、1917年に独立した。接収後は両社は別会社である。

実はSchering AG も同様の経験をもっている。Schering AG はドイツの会社だが、米国に Schering-Plough がある。
1851年にErnst Scheringがベルリンで“Green Pharmacy”を開いたのが Schering AGの起源である。

1876年にニューヨークに最初の海外子会社としてSchering & Glatzが設立され、1928年に Schering Corporation となった。
第一次世界大戦で同社は米国政府に接収されて米国企業となり、1952年に上場会社となった。1971年にPlough, Inc.と合併し、現在のSchering-Plough となった。

Schering と Schering-Plough は共同でホームページを持ち、元は同じだが今は別会社と説明して、それぞれのページにリンクを張っている。http://www.schering.com/

ドイツの企業は第一次、第二次世界大戦で米国資産を米国政府に接収されている。

Rohm & Haas も同様である。1907年に2人のドイツ人、ケミストのRohmと実業家のHaasがドイツでRohm & Haasを設立して成功、1909年にHaasが米国に移住してフィラデルフィアに支店を設立した。第一次大戦で接収されるのを避けてHaasが本社と縁を切って米国企業のRohm & Haasとした。(Haasは戦後 Rohmにその持分の対価を払っている)

ドイツ本社はRohmと改称、1989年にHulsに買収された。Hulsは1899年にDegussaと合併してDegussa-Hulsとなり、2001年にSKW Trostbergと合併して現在はDegussaとなっている。

バイエルは第一次世界大戦時に所有財産及び所有権利をすべて押収され、競売にかけられ、スターリング プロダクツが買収した。1986年にバイエルは買い戻したが、それまでは米国では「バイエル アスピリン」はスターリングが販売していた。米国でアスピリンを買って、ラベルをみて驚いた経験がある。

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2006年3月22日 (水)

事業統合に関する公取委の判断の変遷-2 

ポリプロピレンの事業統合(日本ポリケム/チッソ、三井化学/住友化学):

2000年11月、三井化学と住友化学は全面統合に先立ちポリオレフィン事業を2001年10月に統合することを発表、また、2001年6月、三菱化学はPE事業での日本ポリケムと日本ポリオレフィンの、PP事業での日本ポリケムとチッソの、事業統合計画を発表が発表し、公取委に事前相談した。

これに対して公取委は次の理由でPP統合に問題ありとした。
・日本ポリケム及びチッソは統合後の合算販売数量シェアは、約35%(第1位)、また三井化学及び住友化学は合算販売数量シェアは、約30%(第2位)となり、上位3社の累積集中度が約85%となる。
輸入圧力の限定性
・汎用性に乏しいグレード数の多さとそれに起因する取引関係の固定性
PP分野におけるメーカーの協調的行動

公取委は2000年5月に「ポリプロピレン値上げについて談合の疑いがある」としてメーカー7社に立ち入り調査を行い、全社に排除勧告を行った。これに対してグランドポリマー、日本ポリケム、チッソの3社は応諾したが、住友化学、出光石油化学、サンアロマー、トクヤマの4社は勧告理由を不服として拒否し、後になって、応諾した3社のうち、日本ポリケムとチッソは課徴金納付命令について審判手続の開始を請求した。これらの審判は今なお、継続している。

公取委の指摘を受け、各社は
・少量販売グレードの統廃合等により、PPのグレード数を削減する
業界団体の会合等への出席の禁止や事前届出など、独占禁止法遵守体制を更に徹底する
と約束し、
ようやく承認を得た。(三井/住友のPE統合は当初から問題なし)

なお、これを機に、2001年12月に石油化学工業協会は、PE委員会、PP委員会など協会内の各種委員会を廃止することを決めた。

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三井化学/住友化学合併:

公取委は重点的に9品目を検討した。その結果、
・3品目は問題がないと判断
  ペンタエリスリトール、EPDM
変性PPE 樹脂
・3品目は競争への影響をみるべき企業結合関係がないと判断
  TDI、MDI、PPG
 *住化40%/バイエル60%JVのSBUについて、住化の議決権保有比率を10%に変更することで。
・3品目は問題点を指摘
 (
有効な牽制力を有する競争事業者が存在せず,輸入圧力が十分に働いているとはいえない状況)
  アニリン、レゾルシン、メタパラクレゾール

これに対して両社は以下の対応をとることを約束し、公取委の承認を得た。
・一定数量のコストベースでの引取権の設定
・アニリンについて輸入販売を容易にするため貯蔵タンクの提供
・実施状況の報告

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日本ポリエチレン設立(日本ポリケム/日本ポリオレフィンのPE事業統合):

本件は難航した。日本ポリケムは三菱化学と東燃化学のポリオレフィン事業統合会社だが、東燃化学は別途、日本ユニカーの親会社でもある。(グラフをクリックしてください)

Jpejppsikumi 公取委は、統合会社のLDPEの合算販売シェアは約30%で第1位、上位3社累積シェアは約70%だが、東燃化学を通じて日本ユニカーとの結び付きがあり、これを前提にすればグループの合算販売数量シェア・順位は約45%・第1位、上位3社累積シェアは約80%になるとして問題視した。また、今後、輸入圧力が高まる可能性は認められるものの、現状において品質等に対する要求の高さから,輸入圧力が十分に働く蓋然性が高いとは認められないとした。

このため三菱化学と東燃化学が交渉の結果、2003年1月に三菱化学が東燃化学所有の日本ポリケム株式を買取り、日本ポリケムを三菱の100%子会社とすることで合意、これを受けて公取委は日本ポリエチレンの設立を承認した。

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プライムポリマーの設立(三井化学と出光興産のポリオレフィン事業統合): 

公取委は以下の通り、LLとHDPEは問題なし、PPは問題ありとの判断を行った。

L-LDPE:有力な競争業者が複数存在することや一定の輸入圧力が認められる。
 (LDPEは出光が製造販売していない)
HDPE:有力な競争業者の存在,競争業者の代替能力,製品輸入の拡大等
PP:
 ・合計市場シェアが約40%・第1位、上位2社が著しく高いシェアを有することとなる。
 ・国内事業者に十分な供給余力がない
 ・輸入圧力が十分に働いていない(アジアでの需給の逼迫、輸入品の価格メリットが減少)

これに対して両社から以下の申し入れがあり、公取委はこれを受けて統合を承認した。
・第三者へのコストベースでの長期的引取権の付与(PP 3万トン/年)
・国内外メーカーへの技術ライセンス供与
・グレードの削減
・コンプライアンスの徹底
・公正取引委員会への報告

なおコンプライアンスについては以下の約束をしている。
・就業規則に、法令に違反するなど会社の名誉又は信用を傷つける重大な行為があったときは懲戒解雇に処する旨(情状により減給,出勤停止等)規定するとともに、全営業担当者等から、独占禁止法を遵守し、違反があった場合は就業規則に則り厳正な処分を受けても異存はない旨の誓約書をとること。
・同業者と打合せが必要な業務については、原則営業部門以外の部門の業務区分とすること。
・営業担当者等が同業者と面談することが必要な場合には、担当取締役から事前の承認を得るととともに同取締役に対し事後報告を行うこととすること。

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今後、日本の石油化学が生き残るためには各品目ごとに2-3社のメーカーに統合することが必要であろう。その場合、現在の基準(統合会社の市場シェア及び上位2社のシェア)では必ず問題とされる。また一時的なアジア需給バランスで輸入圧力がないとされれば、PSのPSジャパンと大日本インキ化学の事業統合のように、統合が認められないこととなる。

しかし、長期的にみれば輸入圧力が出てくることは明白である。その時点で日本のメーカーが破綻してしまえば、影響は公取委が守ろうとする日本の需要家に及ぶ。

公取委の判断基準の見直しが必要である。

 

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2006年3月21日 (火)

事業統合に関する公取委の判断の変遷

これまで日本の石化の変遷をみてきたが、多くの事業統合が行われた。これらに対する公取委の対応も変わってきた。

当初は「販売シェア25%又は15%以上でかつ業界1位」が「規制基準」であった。実際には25%を超えると認められないというのではないが、一般にはそのように認識されていた。

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塩ビ共販:

1981/12月、日本ゼオン、呉羽化学、住友化学、サン・アロー化学(徳山曹達系)の4社は塩ビ共同販売会社の骨格を最終的に決定、直ちに公取委との協議に入った。
これに対して公取委は、このグループの共販計画については「販売シェアが24%と規制基準(25%)を下回っているし、競争制限につながることはない」とし承認した。
しかし4グループ化による共販については
①販売市場を4分割するので価格競争がほとんど行なわれなくなる可能性が強い
②グループによっては販売シェアが市場支配力の目安である25%を超えるところもある
③共販により構造改善効果が不明確ーー
などをあげ、「4グループ化がほぼ同時期に共販体制をスタートさせることは独禁政策上問題点が多い」とし、
「先頭グループの共販活動の様子を見守ったうえで判断したい」とした。
1982/6
月に通産省と公取委はようやく、塩化ビニル共販会社設立で合意、4-5ヶ月遅れて残り3社がスタートした。

ポリオレフィン共販:

日本の石油化学産業の構造改善-2 産構法時代記載の通り、当初は業界は3グループに集約することで合意し、第1グループ(三菱化成・三菱油化・旭化成・昭和電工・東燃石化・出光石化・日本ユニカー)が公取委に申請したが、公取委は「7社の共販会社案はシェアが大きすぎる」として拒否し、通産省もバックアップしなかった。
結局共販4グループ案で申請したが、公取委は、ユニオンポリマーのシェアは3品目合計で約33%で、「品目によってはシェアが高過ぎるものもあるはず」とし、また、シェアの高い上位3グループの合計シェアが約80%になるとして難色を示した。
これに対して業界では特殊品を共販の対象製品から除外することとした。これによって最大シェアのユニオンは27%台まで低下、上位3グループの合計シェアも67%に落ち着き、承認を得た。

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1994年8月、公取委は「合併ガイドライン」を発表した。「市場シェアが25%を超えると合併は認められない」といった誤解を解き、企業の合併が独禁法違反となるかどうかの審査基準を示した。
ガイドライン改正のポイントは以下の通り。
・合併後のシェアが25%を超えても、ただちに独禁法違反とならないと明記
・選別基準の明確化。
・「シェアの較差が大きい場合」を「シェアの差が1位の会社のシェアが4分の1以上」に替える。
・合併審査の場合の考慮事項に注釈をつけ内容を説明。
・将来の輸入増加や合併による効率性の向上は、合併審査の際に競争促進要因として考慮すると明記。

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以下の説明の公取委判断の詳細は公取委ホームページの「主要な結合事例」 http://www.jftc.go.jp/ma/jirei.htm をご覧ください。

三菱油化と三菱化成の合併:

公取委は審査の結果、以下の理由でこれを承認した。
・合併新会社はエチレンの生産能力シェアは22.3%で第1位だが、国内に10%台のシェアを有する有力な競争者が複数存在する。
・また、アジア諸国や欧米からの輸入圧力がある。
・個々の製品についても、いずれも有力な競合者がいる。

三井石油化学と三井東圧の合併:

公取委は以下の点から、取引分野における競争を実質的に制限することとなるとはいえないと判断した。( )は合計販売シェア
・輸入品の存在
フェノール(57.3%)、アセトン(27.6%)、アニリン(52.0%)、ビスフェノールA(48.0%)
・競争業者の存在:PP(26.2%)、フェノール、アセトン、アニリン、ビスフェノールA、TBA(49.3%)
・代替品の存在: AMS(80.8%、=PMIに置き換わり)
・ユーザー意見(海外価格見ながら交渉):フェノール、アセトン、アニリン、ビスフェノールA 
・自己消費:アニリン、TBA

*三井合併で販売シェアの高いものが認められ、業界で話題になった。これに対して公取委経済取引局の鵜瀞・企業結合課長は次の通り述べている。
「化学業界でもこれまで合併や統合で25%を超えたことは何回もある。三菱化学ができた時も25%ないし、15%以上かつ業界1位という取引分野は、確か10品目以上あったと思う。超えていても問題ないとして通してきたことは珍しくない。
25%というのば違法性判断基準ではなく、選別基準でしかない。生産能力または販売シェアが合併統合によって25%を超える場合、あるいは15%以上でかつ業界1位となれば、重点審査しますよ、と言っている。そのための選別基準とちゃんと書いてあるのに、それを超えたら違反とか何とか思っている人がおられる。・・・独禁法があるからできない、やりたいこともやれないといったストーリーを自分たちでつくろうとしているのではないかとさえ思いたくなる。」

新第一塩ビの設立:

塩ビ全体では出荷数量シェアは16.1%だが、そのうちペーストはシェアが40%を超える。これに対して公取委は
・ペーストは塩ビの1種で、塩ビ全体では問題なし。
・念のためペーストだけ見ると、他の1社シェアが30
%で他2社も10%と有力な競争者があり、また輸入圧力もあり、一部の汎用品も代替品として機能する
として承認した。大洋塩ビ、ヴイテックは問題なし。

日本ポリオレフィンの設立:

公取委はHDPEについては新会社のシェアが24.3
%かつ第1位となるが、競争業者の存在と輸入圧力から問題なしとした。
しかし、PPについては日本石油化学の三井石油化学、三井東圧両社との事業提携を考慮すると問題であるとした。Jpoftc
これに対して日本石油化学から浮島PPと泉北ポリマーの交換で三井東圧との関係を遮断し、承認された。なお、共販はそれぞれ解散した。

グランドポリマー:

PP販売シェアは17.2%かつ第2位となるが、10%を超えるシェアを有する有力な競争業者が複数存在するとして承認。

日本エボリューの設立(三井化学/住友化学製造JV):

公取委は以下の理由でこれを承認している。
・両社のL-LDPE生産能力を合算すると28.3
%、第1位となるが、本件は新工場建設で提携するもので、競争単位の数は減少しない。
・生産されるL-LDPEはそれぞれ独自で行い、既存LDPEの販売を含めて両社の販売面での協調関係が醸成されるおそれは小さい。
・生産能力シェア20%を超える競争事業者が存在する。

テクノポリマー設立(JSR/三菱化学 ABS事業統合):

公取委は有力な競争業者が存在するため、統合そのものは問題ないとしたが、
三菱化学が世界第1位で100万トンの能力を持つ奇美実業(台湾)に10
%の資本参加をし、奇美製品の日本での販売(2万トン程度)を扱っているのを問題視し、日本における競争を実質的に制限することとなるおそれがあると指摘した。Technoftc

このため、三菱化学は奇美との提携の解消を含めて措置をとると返事し、公取委はこれを前提に承認した。


A&Mスチレン→PSジャパン:

1998年の旭化成/三菱化学によるA&Mスチレン設立については販売・生産シェアが35%前後かつ第1位となるが、以下の理由で承認された。
・本件共同出資会社のほかに,有力な競争業者が複数存在する。
・ポリスチレン樹脂は,いわゆるユーザーの使い慣れの問題も少ないことから,ユーザーは比較的容易にポリスチレン樹脂の購入先を変更できる。
・アジア各国のメーカーは生産コストが国内メーカーに比べて低いために,潜在的な輸入圧力が働いている。

その後、出光石化のPS事業を含めるPSジャパンの設立についても輸入圧力の存在を理由に認められたが、2年後の大日本インキ化学のPS事業統合については輸入圧力がないとして認められなかった。

なお、公取委は2005年1月に東海カーボンと三菱化学のカーボンブラック事業の統合について、
・競争業者に供給余力が存在しない
・輸入品は,国内需給ひっ迫に対応して数量は増加しているものの,アジア地域においても需給がひっ迫していることによりCBの輸出国に供給余力がない状況が続く
として統合が競争を実質的に制限するおそれがあると指摘、両社は統合を取り止めた。

*競争政策研究会はこれらについて、
・企業結合審査において循環的な需給要因を考慮すべきかどうか
・需給要因の継続性についてどのように考慮すべきか(今後の需給状況をどう評価するか)
・輸入品の価格競争力をどう評価すべきか
を問題点として挙げている。

(2006/02/20 「競争政策研究会の「企業結合審査における改革の進展状況と今後の課題」参照)

(続く)

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2006年3月20日 (月)

石油化学の復権に向けて

これまで日本の石油化学の構造改善の変遷をみてきた。

日本の石油化学産業の構造改善-1 の最初に、武田薬品工業欧米の医薬品会社及びICIが明確な方向付けを行い、大胆な合従連衡や思い切った「選択と集中」を行っているのに対して、日本の石油化学は、1980年から2000年頃までの歴史をみると、各社ともはっきりした目標をもって構造改革をやってきたとは思えない、と述べた。

そろそろ本気の構造改革が必要ではないだろうか。

忘れられた「2004年問題」 でニッセイ基礎研究所の百嶋徹氏の論文を引用したが、同研究所のリポートに同氏の別の論文(2003年)をみつけた。タイトルは「日本の製造業復権に向けた論点整理」。
http://www.nli-research.co.jp/doc/syo0304c2.pdf

その中の「石油化学の事例分析」で同氏は次のように述べている。
① 過剰設備につながる横並びの投資行動
・・・ 石化業界では、過剰設備を削減すべきとの総論では一致しているにもかかわらず、98 年以降も競争力強化や不足ポジションの解消を理由に、エチレンやPP の増設が横並びで行われてきた。これにより、過剰設備が拡大しており、石化業界は「合成の誤謬」に陥っていると言わざるをえない。このような長期ビジョンを欠く投資行動から脱却しない限り、業界の過剰設備体質は変わらないと思われる。

② 合理的な価格体系構築を阻む競争戦略の非対称性
・・・ 好況期には過当競争により、適正利潤を得られない一方、不況期には協調的な企業行動に転じる傾向があるようにもみえ、このような「好不況期における競争戦略の非対称性」が素材系製造業の低収益性の背景にあると思われる。

(knak コメント:独禁法改正等もあり今後は不況期にも過当競争による値下げ競争が起こる。過当競争が低収益性の原因)

論文の結論部分を以下に引用する。

 ・・・ このように考えると、製造業復権に向けて解決すべき問題点の本質は、不明確な経営思想・戦略ビジョンに収斂してくる。例示するならば、「○○相談役が手掛けた事業だから撤退する訳にはいかない」、「大幅赤字の主力工場でも私の社長時代には止めたくない」、「ライバルの△△社が撤退しないから我が社も撤退しない」、「足下の収益は厳しいが、過去の経験則ではもう暫くすると回復してくるはずだ」、「このやり方で過去に大きな成功を収めたので、今後も通用するはずだ」といった考え方である。
 経営トップが説得力のある経営思想をトップダウンで覚悟をもって実行していくことが必要であり、これによって従業員や株主などステークホルダーからの共感も得られ、全社一丸の体制が構築できると考えられる。経営トップおよび従業員、株主などのステークホルダーが各々責任をもって自立しながらも、明確な経営思想を共有する下で一致団結する経営形態が求められるのではないだろうか。

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2006年3月19日 (日)

日本の石化の将来予想

これまで日本のエチレン及びポリオレフィン、塩ビ等の事業の変遷を追った。

今後、中国バブルが弾けた場合、輸出はなくなり、韓国・台湾等中国向けに輸出していた国々、中東、更には中国自体からの輸入圧力にさらされることとなる。

果たして日本の石化事業は生き残れるであろうか。

要は国際競争力があるかどうかである。国際競争力がなければ生き残れない。

「電気の缶詰」と言われるアルミニウム精錬の場合、1978年に6社で「164万体制」であったのが、電力料の高騰で競争力を失い、1979年には「110万体制」、1982年に「70万体制」、1986年には「35万体制」となり、1988年には日本軽金属・蒲原の3.5万トンのみとなり、現在は同工場の1万トンが動いているだけである。(各社はブラジル、ベネズエラ、カナダ、インドネシア、豪州、ニュージーランド等、海外での開発に参加し、製品を引き取っている) http://kaznak.web.infoseek.co.jp/25/aluminium.htm

メタノールの場合、1970年代には東西の共同生産会社(東日本メタノール、西日本メタノール)、三菱ガス化学、三井東圧化学、協和ガス化学の5社体制であったが、安値海外品流入で相次ぎ操業停止、1995/7に最後の国産メーカー・三菱ガス化学が新潟 264千トンを操業停止し、設備は中国内蒙古の伊克昭盟化工集団総公司に売却した。 
現在、三菱ガス化学がサウディアラビア、ベネズエラで合弁生産しており、更に中国及びブルネイに進出を決定しているほか、三井物産を中心にサウディアラビアで
生産を行っている。

合成樹脂の場合も汎用品の場合には価格競争力がない。PEの場合、2005年にLDPEで205千トンの輸入があり、HDPEを中心としたPE袋(多くは日本の需要家が海外で生産)で443千トンの輸入がある。これら輸入は毎年増加しており、今後も増加すると思われる。
(シンガポールの場合は「自由貿易協定」でPE,PP関税は順次下がり、2010/1にはゼロとなる)Ldpeimport

Peimport2

 

しかしながら、日本の合成樹脂は、もちろん汎用品もあるが、ほとんどは需要家のニーズにあわせた特殊品であり、しかも汎用品との間に余り価格差がない。

日本では需要家の様々な要求に応じて新グレードをつくっており、多くのグレードを切り替え、切り替え、生産している。
最近では、更に進んで、需要家のニーズに適したグレードを自ら試作して提案するという「提案型」マーケティングをおこなっている。例えば自動車のバンパーをつくり、衝突設備で実験した上で、最適のグレードを提案し、供給している。

*住友化学は樹脂開発センターの設立発表において、「樹脂・ゴム事業を、単に『素材を販売する事業』という発想にとどまらず、素材・加工法・製品設計までも包含した総含的な技術を開発することによって、ユーザーの視点に立脚した『ユーザーが必要とする機能を充足する事業』と位置付ける」としている。
*三菱化学は「従来の単独で新技術・新製品の研究を行うスタイルにとどまらず、お客様サイドに立ってニーズの充足、課題の解決を行っていくことが求められており、三菱化学グループでは、こうした現況を踏まえ、お客様に斬新なソリューションを今後積極的に提案できる体制の整備が必要であると判断」、四日市事業所に『お客様への提案型研究開発施設』を新設した。

*三井化学では「機能性ポリオレフィン分野では、世界的に定評のある当社の最新触媒技術や材料設計技術を駆使して、お客様のニーズに応える環境に優しい高品質ポリオレフィンを提供するとともに、成形加工技術のご提案などにも取り組み、お客様の新製品開発、コスト低減に貢献」としている。

輸入品では品質上、及び品質の安定性から、これらのニーズに対応できないし、当然技術サービスも不可能である。加えて、日本では「カンバン方式」にみられるように、きみ細かいサービスを行っている。

これに対して、海外の場合はほとんどが大量生産の全くの汎用品であり、グレード数も非常に少ない。それを必要とする需要家に販売するだけである。
米国の場合、大量生産する汎用品の価格は安いが、特殊品の場合はそれをつくるための増分コストを価格に上乗せしている。
通常は前月に注文を受けて大量生産し、80トンのタンク貨車で輸送する。(1社当たり数千両を所有又はリースしている。紙袋などの荷造設備は持たず、小口輸送はコンパウンダーが小分け包装をして自社ブランドで販売する)
支払いも月末締切り30日後キャッシュ払いである。

これらを勘案すると、日本のこれら製品の価格は非常に割安といえる。
これらの製品は輸入品に代替されることはない。
また、日本の合成樹脂は日本の自動車や家電などの需要業界との協同体制で成長してきており、日本を離れてしまっては今後の開発は難しい。

このため、日本の合成樹脂事業がなくなることはなく、原料のエチレンもなくならない。

問題は過当競争である。現在でも特殊グレード製造の追加コストや技術サービス、カンバン納入による輸送費高等を転嫁できないのは過当競争のせいである。
日本のレジン輸出がなくなると供給過剰となり、価格競争が再開すると思われる。安い輸入品の増大は、(実際に輸入品を使用できなくても)需要家にとっては値下げ要求の理由となり、メーカー間の価格競争を更に激しくする。塩ビや(かなり以前になくなった)ポリエチレンの価格後決め方式も復活する可能性がある。

*価格後決め方式:
  期中は仮価格で取引しておき、期末に、下がった市況をもとに期間の価格を決め、遡及適用するもの。
  次期の購入を材料に数社を競り合わせるため、価格はズルズルと下がることとなる。
(価格上昇期間ではあり得ないことで、現在存在しないのは当然のことである)

各社が早期に対応を取らなければ、石化事業の赤字が増大し、最終的には競争力のない合成樹脂企業が破綻し、それを抱えるエチレンセンターも破綻すると思われる。

(3/16, 17の記事にお二人の方からコメントがあり、意見交換が続いています。このコラムをもとに、いろいろな意見交換が行われることを期待しています。)

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2006年3月18日 (土)

総集編 PVC、PS、ABS業界の変遷

PVC (画像をクリックしてください)


Pvc2

現在のメーカー (  )は共販時代
・新第一塩ビ (サンアロー、住友化学、日本ゼオン)
  *サンアローはトクヤマが吸収合併
  *住友化学、日本ゼオンは実質撤退
・信越化学(信越化学)
・ヴイテック(三菱化学、東亞合成)
  *東亞合成は実質撤退
・大洋塩ビ(東ソー、三井東圧、電気化学)
  *三井化学、電気化学は実質撤退
  *東ソーのペースト塩ビは移管せず、東ソーが運営
・カネカ(鐘淵化学)
・徳山積水(徳山積水)
  *徳山積水は需要家の積水化学子会社(東ソーが出資)

撤退
・クレハ
・旭硝子(VCMは京葉モノマー継続。インドネシア、パキスタンで塩ビ事業)
・チッソ
・セントラル化学
・千葉ポリマー(日産化学/東ソーJV)

統合会社の現状
・第一塩ビ製造:呉羽化学離脱後、新第一塩ビが吸収合併

PS
Ps2

現在のメーカー (  )は当初

・東洋スチレン(新日鐵化学、電気化学、ダイセル)
・日本ポリスチレン(住友化学、三井東圧)
・PSジャパン (旭化成、三菱化成、出光石油化学)
  *大日本インキ化学との統合を公取委が認めず、白紙に。
・大日本インキ化学(大日本インキ化学)

撤退
・昭和電工

統合会社の現状
・日本ポリスチレン工業:
  旧設備(JV)のほかに川崎、千葉に昭電、住化が自己責任で新工場を建設。
  旧設備停止後、昭電が旭化成に営業譲渡し、設備廃棄
  住友化学離脱後、永く休眠会社。その後、昭電が吸収合併

 

ABSAbs2

現在のメーカー (  )は当初

・日本エーアンドエル(三井東圧、住友ノーガタック)
・テクノポリマー(JSR、三菱化成)
・UMG ABS(宇部サイコン、三菱レイヨン)
・旭化成(旭化成)
・東レ(東レ)
・電気化学(電気化学)

撤退
・カネカ

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2006年3月17日 (金)

総集編 ポリオレフィン業界の変遷

この25年の変遷です。(グラフをクリックしてください)

LDPE

Ldpe2

現在のメーカー (  )は共販時代
・東ソー (東ソー)
・宇部丸善ポリエチレン(宇部興産)
・住友化学(住友化学)
・プライムポリマー(三井石油化学、出光石油化学)
・日本ポリエチレン(日本石油化学、昭和電工、東燃化学、三菱油化、三菱化成)
  *東燃化学は撤退
・旭化成(旭化成)
・日本ユニカー(日本ユニカー)

HDPE

Hdpe2 現在のメーカー (  )は共販時代

・丸善石油化学(丸善ポリマー)
・チッソ(チッソ)
  *両社は販売会社・京葉ポリエチレンを設立
・東ソー (東ソー)
・プライムポリマー(三井石油化学、出光石油化学)
・日本ポリエチレン(日本石油化学、昭和電工、東燃化学、三菱油化、三菱化成)
  *東燃化学は撤退
・旭化成(旭化成)
・日本ユニカー(日本ユニカー)

PP

現在のメーカー (  )は共販時代
Ppsaihen_1

・日本ポリプロ(チッソ、東燃化学、三菱油化、三菱化成)
  *東燃化学は撤退
・住友化学(住友化学)
・プライムポリマー(三井石油化学、三井東圧、出光石油化学)
・サンアロマー(日本石油化学、昭和電工、〈モンテル〉)

撤退:
・東ソー:チッソに譲渡
・トクヤマ:出光石油化学に譲渡(出光とのJVで生産受託)
・宇部興産:三井化学に譲渡
・旭化成:昭和電工に譲渡
・東燃化学:日本ポリケムに譲渡

統合会社の現状

・千葉ポリエチレン(住友化学/東ソー):住友化学100%
・泉北ポリマー(三井東圧/日石化学
/旭化成):三井化学→プライムポリマー
・千葉ポリプロ(住化/宇部/トクヤマ):住友化学
・宇部ポリプロ(宇部/住化/トクヤマ):三井化学→プライムポリマー
・四日市ポリプロ(東ソー/チッソ):チッソ→日本ポリプロ
・浮島ポリプロ(日石化学/三井東圧/三井石化):日石化学→サンアロマー
・ディー・ピー・ピー(三菱油化/三菱化成):日本ポリプロ
・旭化成(のち昭電とのJV・日本ポリプロ):昭和電工→停止

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2006年3月16日 (木)

日本の石油化学産業の構造改善ー7 中国バブル時代

25years25

2003年頃から「中国バブル」が始まった。

中国の需要増で中国向け輸出が急増し、折からのナフサ高で価格が上昇しても受け入れられた。
この結果、国内での需給が逼迫し、ナフサ高によるコストアップの転嫁も可能となった。
塩ビ業界の昔からの課題であった「価格後決め方式」も初めて解消した。
PSジャパンの大日本インキ化学のPS事業統合が、中国バブルによる需給逼迫で輸入圧力がないとして公取委から承認を得られず、白紙に戻された。(2/20記事 参照)

同時に各社が注力したハイテク材料関連も利益に貢献し始めた。(3/4記事 参照)

各社の業績は急速に改善した。塩ビの統合会社も黒字に転換した。

2000年頃の危機感は消えてしまった。「2004年問題」は忘れられた。(2/22記事 参照)
2002年の新中期経営計画で石油化学を「再構築事業」とした昭和電工も、05/11
新中期経営計画では「基盤事業(キャッシュカウ)」としている。

エチレンセンターは三菱・四日市を除き、全て残っており、ポリオレフィン工場もS&Bなどで大規模化、高機能化されてはいるが殆ど残っている。(PEでは汎用グレードの輸入は増えており、PE袋等の輸入も増えている)Peimport
PVCもプラント数は減ったが、過剰能力である。

そして構造改善の必要性も忘れられたようだ。グローバル企業を目指した大統合も実現を見ずに終わった。

(三井化学と住友化学の全面的統合の破談)
三井化学と住友化学は03年10月に持株会社「三井住友化学」を設立し、04年3月末に持株会社が三井化学、住友化学および三井住友ポリオレフィンを吸収合併し単一会社とする予定で、02年12月に公取委の事前承認を得た。

しかし、間際になっても統合比率について合意が得られず、03年3月31日、両社は統合を白紙に戻すことを発表した。結局のところ、当初三井のトップ(前経営者と言われている)の目指したグローバル企業の創立の意図も企業エゴには勝てなかった。

記者会見の席上、「単独での生き残りは難しいのでは」との質問に対し、「(経営統合は)コスト競争力などを高めるのが目的で、規模の拡大は最初から問題ではなかった」(米倉・住友化学社長)、「5-10年は単独でもやっていける」(中西・三井化学社長)と反論している。

三井住友ポリオレフィンについては同年10月1日に事業を解消した。

その後、三井化学は04年2月に同じ千葉にコンビナートを持つ出光興産と包括提携で基本合意した。原料・留分から石化製品、また、工場基盤・業務を含めた幅広い領域にわたり、石油精製と石油化学という業種や企業の枠を超えた業務提携の検討を進め、千葉地区コンビナートの国際競争力の強化を目指していくというものである。
その一環として両社のポリオレフィン事業を統合することなり、05年4月からプライムポリマーとして営業開始した。PP能力136万トンで国内シェア44.8%(国内1位)、PE能力71.4万トンでシェア19.4%(国内2位)となる。

住友化学はサウジのラービグ計画を発表した。もし三井との大統合が実現していたら、イラン石油化学の失敗の経験を持つ三井側の反対でラービグ計画は考えられなかった可能性もある。 

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これまでエチレンとポリオレフィン、塩ビを中心に、この25年の変遷を述べてきた。他の分野では大きな構造改革もあるし、海外進出でも目覚しい動きもある。別途、機会をみて述べたい。

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2006年3月15日 (水)

日本の石油化学産業の構造改善ー6 選択と集中時代 続き

25years24_1 (前回の続き)

3)三井化学および住友化学の全面的統合発表

2000年11月、三井化学と住友化学は「21世紀の化学産業におけるグローバルリーダー」をめざすべく、03年10月に両社の事業を全面統合すること、ポリオレフィン事業については01年10月に先行的に統合することを発表した。両社はともに千葉にエチレンセンターを持ち、両社が出資する京葉エチレンとともに互いにパイプラインで結びつき、コンビネーテッド・コンビナートを形成しているほか、三井は大阪に、住化はシンガポールにもエチレンセンターを持つ。住化の医薬・農薬事業は収益に貢献しているし、両社の新規事業も順調である。統合により、世界トップクラスの化学会社と技術力や収益力において互角に競争できる、アジアで最大、世界第5位の化学会社が誕生することになる。

本件は三井側からの提案で、企業エゴを捨て、真のグローバル企業を創ろうというものであったと言われている。これ以前に両社のメインバンクである住友銀行とさくら銀行(三井主導)が合併し三井住友銀行が発足している。

全面統合については両社が共同株式移転により持株会社を設立して上場する方式で出発するとしたが、統合比率は、統合の際の株価およびその他の考慮すべき要素を勘案して決定するとした。統合までに時間があり過ぎるのではないかということと、統合比率を後で決めるというのが問題とされた。

これに対して三井グループの繊維・化学会社で「大三井化学」のメンバーになると想定されていた東レが、「三井-住友の場合、統合してもエチレン能力は180万トン弱で、これで強いといえるかどうかだ」と反対した。

両社は事業統合検討委員会を設置して検討を始めるとともに、ポリオレフィンの統合の準備を始めた。

4)ポリオレフィン業界の再編
①三井住友ポリオレフィン
三井化学と住友化学は全面統合に先行して01年10月に両社のポリオレフィン事業を統合することとした。しかし、公取委は
PP分野におけるメーカーの価格改定行動について協調的な行動がみられるとの問題を指摘した。両社は統合新会社においては業界団体への営業部門者の出席を一律禁止するなど独占禁止法遵守体制を更に徹底すると誓約し、01年12月にようやく公取委の事前承認を得た。

02年4月、半年遅れで三井住友ポリオレフィンがスタートした。03年10月の全面統合を控え、二重の手間を省くため、工場については統合せず、親会社への製造委託の形をとった。

三井は宇部とのPP事業統合会社のグランドポリマーを02年4月に吸収合併し、宇部ポリプロの宇部持分、トクヤマ持分も取得した。住友化学も千葉ポリプロのトクヤマ持分を01年6月に取得している。

②宇部興産のPP事業撤退
三井と住友のポリオレフィン事業統合を機に宇部興産はPP事業から撤退した。当初はグランドポリマーを生産会社とし、営業権を三井住友ポリオレフィンに譲渡する案が検討されたが、最終的には01年10月に宇部がグランドポリマーの持分を三井化学に譲渡し、宇部・堺工場内のグランドポリマーのプラントの操業は宇部興産が受託することとした。02年4月、三井化学はグランドポリマーを吸収合併した。

③トクヤマの撤退と出光石化の提携
01年1月、徳山でプラントが隣接するトクヤマと出光石化はPP事業における提携を発表した。両社でPPの製造JV・徳山ポリプロを設立してトクヤマの工場内に20万トンの設備を新設
03年5月に営業生産を開始)し、トクヤマの既存設備は廃棄01年7月にトクヤマがPPの営業権を出光石化に譲渡した。

④日本ポリケム・日本ポリオレフィン・チッソの再編
01年6月、PE事業での日本ポリケムと日本ポリオレフィンの、PP事業での日本ポリケムとチッソの、事業統合計画が発表された。統合すれば、PEの生産能力は133万トン、PPは109万トンとなる。

日本ポリケムと日本ポリオレフィンのPE事業統合は難航した。日本ポリケムは三菱化学と東燃化学のポリオレフィン事業統合会社だが、東燃化学はダウ(UCCを買収)との合弁会社でPEのメーカーの日本ユニカーの株主でもある。
公取委は日本ポリケムと日本ポリオレフィンが、東燃化学を通じて日本ユニカーとも企業結合関係が出来ると考え、その場合の販売シェアが約45%で第1位に、また、上位3社の累積シェアが約80%となるとして、これを問題視した。

この問題の解決のため03年6月、三菱化学が日本ポリケムの東燃持分を買取り、三菱の100%子会社とし、公取の了承を得た。

この結果、PEについて、03年9月に、日本ポリケム、日本ポリオレフィンに三菱商事プラスチックを加えて3社の合弁会社・日本ポリエチレンを、PPについては同10月に、日本ポリケムとチッソの合弁会社・日本ポリプロを発足させた。

なお、日本ポリエチレンは04年9月で四日市工場内の75千トンの老朽化した小型LDPEプラントの操業を停止した。同工場のエチレンは既に01年1月に、また37千トンのPPプラントも02年末で生産を停止している。

この計画は実質的には昭和電工、新日本石油化学、東燃化学がPE事業を、チッソがPP事業を三菱化学に委ねることを意味する。但し、これら各社が白紙委任をしたとは考えられず、特に前3社についてはエチレンの操業にからむため、ある程度の操業度の維持の約束があると思われる。逆にいえば、三菱化学はこれらエチレンセンターを抱え込んでしまったともいえる。

⑤宇部興産PE事業再編 
宇部興産は01年10月に宇部がグランドポリマーの持分を三井化学に譲渡し
PP事業から撤退したが、新聞報道では丸善石化コンビナートに197千トンの能力を持つPE事業についても03年までに撤退する方針を決め、事業売却の検討に入ったと伝えられた。

しかしながら、京葉モノマーのVCMと同様、宇部のPEプラントが停止するとエチレンの操業に支障を生じる丸善石化の提案により、丸善石化のエチレンとの一体運営を行うこととし、宇部はPE事業を分離して宇部丸善ポリエチレンを設立し、その50%を丸善石化に譲渡し、JVとした。04年10月に営業開始した。

5)PS,ABS事業の再編

①PSジャパン
旭化成と三菱化学は統合会社A&MスチレンでPS事業を行っているが、03年4月に出光石油化学のPS事業と統合、新会社PSジャパンをスタートさせた。
出光は130千トンの能力の過半の85千トンを停止し、45千トンのみを残した。 

PSジャパンでは更に、04年6月、ただ一社単独でPS事業を行う大日本インキ化学(DIC)との統合を発表したが、公取委の承認を得られず、統合計画は白紙に戻された。(2/20記事参照)

②鐘化のABS事業撤退
鐘化は1966年以来超耐熱・耐熱ABSを製造販売してきたが、経営資源を他部門に集中することを決め、02年10月、
テクノポリマー(JSR、三菱化学の事業統合会社)に営業権を譲渡した。高砂のプラントは他の製品に転用した。

③日立化成のAAS樹脂事業のUMG ABSへの営業譲渡 
日立化成は、1970年より熱可塑成形材料であるAAS(アクリロニトリル・アクリルゴム・スチレン共重合体)樹脂を販売してきたが、AAS樹脂の販売価格の下落、原料SMやアクリロニトリルなどの原料価格の高止まりから、収益の低迷を余儀なくされていた。日立化成では厳しい事業環境下では収益の改善は困難であるとの判断、
UMG ABSに営業譲渡することとした。

以上を通じて日本の石化事業もかなり整理されてきたが、まだ不十分との見方が大勢であった。
塩ビでは更なる再編が噂された。
特に住友化学と三井化学の統合は業界にショックを与えた。旭化成と三菱化学の「水島コンビナート一体運営」構想など、更なる大統合が噂された。

 

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2006年3月14日 (火)

日本の石油化学産業の構造改善ー6 選択と集中時代

25years24 損益状態の悪化に加え、サウジアラビア、台湾、シンガポール等における大型エチレンプラントの新増設によりオレフィン及び誘導品の輸出を行うことが厳しくなること、主要石化製品における大幅な関税の引き下げの2004年問題内需の伸びが今後も期待できないことから、各社とも「選択と集中」を合言葉に対応策をとり始めた。

1)エチレンセンターの整理
①三菱化学 四日市エチレン等の停止 
1994年の統合以降も鹿島、四日市、水島の3エチレンセンターをそのまま維持してきたが、
ようやくエチレン生産体制の見直しを行うこととし、01年1月に、四日市事業所のエチレンプラント及びEG、EO設備を停止した。
また、人にも手をつけ、00年3月期で早期退職一時金費用を計上している。

②エチレンセンターの一体化による機動的運営
・三井化学、大阪石油化学を完全子会社化

浮島石油化学の解散(川崎は日石化学、千葉は三井化学が引取り)
・旭化成、山陽石油化学を100%子会社化

③昭和電工の石化事業方針転換
00年にエチレン2系列 785千トンから、1系列 635千トン(いずれも定修なし)体制に変更
石油化学は、「再構築事業」とし、提携・売却も視野に入れるとした。

④東ソーのビニルチェーン構想 Vinylchain

東ソーはエチレンを塩ビ用を中心とするという特異な戦略をとった。強力なインフラ基盤を背景に、電解、VCM、PVC、塩ビ加工へとつながるビニル・チェーンを国内を含めたアジア市場に主眼を置いて展開することを決めた。

更にその後、塩素の有効利用が期待されるイソシアネート(ウレタン原料)事業関連会社の日本ポリウレタン工業(東ソー35%/保土谷化学工業65%出資)との連携を強化し、ビニル・イソシアネート・チェーンとしての展開を加速する戦略を推進している。

2)塩ビ業界の再編

需要の減退が著しく、過剰設備を抱えた中での価格競争で損益状況が悪化した塩ビ業界で大きな再編が行われた。

①VCMの停止
旭硝子はPPGインダストリーズとのJVの旭ペンの5万トン設備を停止
・三井化学は東ソーの増設を機に、大阪工場の電解・VCMプラントを休止
・住友化学は電気化学、トクヤマとの合弁の千葉電解、電気化学との合弁の千葉EDC、電気化学、旭硝子との合弁の千葉塩ビモノマーを停止
・下記の新第一塩ビ改組に伴い、日本ゼオンが山陽モノマーを停止
セントラル化学がVCMを停止、PVCからも撤退した(下記)
(旭硝子はその後、PVCから撤退。三井、電化は大洋塩ビメンバーで東ソーがVCMを供給。住化、ゼオンは新第一塩ビメンバーでトクヤマが96/12にS&Bにより30万トンの新鋭設備をスタートさせている。)

エチレンメーカーにとってVCMの停止は痛手だが、三井の場合はエチレンを東ソーに供給すること、住友化学はエチレン不足の状況であったため、実行できた。

・旭硝子と三菱化学は鹿島の鹿島塩ビモノマーの引取権を信越化学と鐘淵化学に譲渡

②新第一塩ビの改組
95年の設立以来4年間で資本金70億円をすべて食いつぶし、再構築策を発表
・日本ゼオンと住友化学がそれぞれ14.5%に出資比率を落とし、実質撤退、トクヤマ
主導に。
ゼオンの水島工場(汎用品)停止、山陽モノマー停止
・VCMはトクヤマが供給
・(その後)ゼオン高岡工場も08/3停止予定

③チッソの塩ビ事業撤退
99年6月、水俣病に関する関係閣僚会議申合せでチッソに対する支援策が提示されたのを受け、チッソは00年1月再生計画を発表した。不採算の塩ビ事業を鐘淵化学に営業譲渡すること、可塑剤については三菱瓦斯化学とのJVとすること等が含まれている。

これに基づき00年4月に鐘化に塩ビ事業の営業譲渡が行われ、5月に千葉、7月に水俣工場を停止、残る水島工場も03年3月に鐘化からの製造受託契約期限切れで停止し、1941年からの同社の塩ビ事業の歴史を閉じた。

④大洋塩ビの改組  
00年
3月末で資本金100億円に対して累積損失が160億円を超えるといわれているが、3月末で一旦同社を解散し、改めて同一社名で新会社を設立した。
新会社は東ソーが68%で運営責任を担い、三井、電化はそれぞれ16%となった。三井、電化ともVCMからも既に撤退しており、塩ビ事業から実質的に撤退した。

⑤呉羽化学の塩ビ事業撤退
02年11月、呉羽は事業再構築計画を発表した。
全世界のMBS事業をローム・アンド・ハースに営業譲渡するともに、塩ビ事業についても大洋塩ビに営業譲渡し、今後は高付加価値事業を推進するというものである。
塩ビ事業の営業譲渡は03年1月に行われ、錦工場のプラントは04年3月までは大洋塩ビのために受託生産を行い、その後停止した。

⑥旭硝子の塩ビ事業撤退
旭硝子は自社PVCプラントを所有せず、チッソ千葉工場に1万トンの自社枠を所有し製造委託しているほかは、鹿島塩ビモノマーの引取枠分を信越に製造委託するとともに、呉羽化学に製造委託していた。
鹿島塩ビの引取枠放棄、及びチッソ千葉工場の停止後は販売量全量を呉羽に製造委託していたが、呉羽の塩ビ事業撤退を受け、02年12月末で塩ビ事業から撤退した。

同社では化学品の構造改革の一環として千葉地区の電解や京葉モノマーの停止を検討したが、特にVCMの停止でエチレン消費が激減し致命的な影響を受ける丸善石油化学の反対が強かった模様で、「検討課題」としつつ、輸出が好調なため、輸出基地として存続させている。

⑦セントラル化学の塩ビ事業撤退
セントラル化学は1963年、セントラル硝子と東亜燃料のJVとして設立され、電解、VCMその他の事業を行っていたが、その後東亞合成が参加、同一メンバーによるPVCのJV・川崎有機にVCMを供給するとともに、自社分のPVCの製造委託を行っていた。東亜合成と三菱化学がヴイテックを設立した後、川崎有機は東亜合成に吸収され、セントラル化学はセントラル硝子100%となっていた。

同社のVCMは132千トンと規模も小さく、塩ビ事業の不採算の中、03年3月でVCMプラントを停止し、PVCの販売も止め、塩ビ事業から撤退した。

⑧ヴイテックの再編
同社は00/4に設立したが、03/12で資本金60億円に対して累損が162億円に達していた。
05年3月、ヴイテックは再編を行い、三菱
化学が85.1%出資となり、東亜合成は実質撤退した。

上記の結果、塩ビ業界においてはメーカー数だけでなく、VCM、PVCともにプラント数も著しく減少することとなる。

・現在のメーカーは信越化学、カネカと、新第一塩ビ(実質・トクヤマ)、大洋塩ビ(実質・東ソー)、ヴイテック(実質・三菱化学)の5社と需要家の積水化学の徳山積水だけとなった。

・休止したPVCプラントは(予定も含めると)、新第一塩ビのゼオン・水島、同・高岡、呉羽化学・錦、チッソ・千葉、同・水俣、同・水島の6プラント。

・VCMについても旭ペン、千葉塩ビモノマー、セントラル化学、三井化学・大阪、山陽モノマーの5プラントが停止した。
残るVCMプラントは輸出専用の京葉モノマーを除くと、信越化学(及びカネカ)向けの鹿島塩ビモノマーと三菱化学、カネカ、東ソー(四日市及び徳山)、トクヤマと、PVCとの一貫体制となっている。

・但し、PVC能力は2004年末で234万トンと、内需の150万トン弱を大きく上回っている。  
このため、更なる再編が必要とされた。

なお、単独組の信越化学、カネカは国内外で健闘しており、特に信越化学は米国及び欧州での事業を拡大し、世界一の塩ビメーカーとなった。Sinetu_1

以下 続く

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2006年3月13日 (月)

日本の石油化学産業の構造改善ー5 事業統合時代

25years23 損益状況がますます悪化し、各社は単独での生き残りは難しくなった。三菱と三井はそれぞれ2つの石化事業企業が並存していたが、いずれも一方が他方を救済する形で統合が行われた。

さらに94年8月、第一塩ビ販売グループの塩ビ事業統合計画が明らかになった。当時は共同生産はあり得ても、自社の販売権を拠出しての統合会社設立という考えは業界にはなかったが、これを機に他の分野も含め、相次いで事業統合が行われることとなる。

1) 三菱油化と三菱化成の統合
1993年12月、三菱化成と三菱油化は翌94年10月に両社を対等の立場で合併し、三菱化学とする旨、発表した。両社は否定したが、三菱油化の救済であるという見方が多かった。
当初は「赤字幅が著しいポリオレフィン事業の統合を模索した」がそれだけでは不十分となり、大統合に踏み切った。それまで「永遠の話題」として統合に反対していた三菱油化の吉田正樹・前社長が93年初めに亡くなったのも、統合に踏み切る要素と言われた。
しかしながら統合に際して「化成の医薬部門などは人員を吸収する余地がある。新規採用人数の削減は必要かもしれない。鹿島、四日市、水島の3地域に拠点があることは大きな強みで、いずれも残す」と答えて人員、設備の削減を否定した。赤字の塩ビ事業も水島のエチレンの操業面から事業を継続している。

2)三井石油化学と三井東圧化学の統合
1992年4月に三井石油化学と三井東圧の統合交渉のことが新聞に報じられた際は両社の社内の反対が強く、「当分の間は交渉を凍結する」とされたが、その後も特に三井東圧の業績が回復せず、結局、1997年10月、三井化学が誕生することとなる。三井東圧が三井石化の収益力や財務体質を評価して、存続会社を三井石化に譲る姿勢をみせたことが交渉がまとまる要因になったと言われている。

その後、三井化学は旧三井石化が主導する形で経営が行われた。19984月、三井化学は合併後初めての中期経営計画を発表した。一部の樹脂を除いて重復する事業がほとんどなかったため、戦略事業の選択と投資先の集中が、合併後の最重要課題になっていたが、合併で広がった総花的な事業構成を見直し、中核事業を半導体関連の機能性材料など成長性の高い分野に絞り込む一方、不採算事業から撤退、工場の統廃合を進めるのが計画の骨子。石油化学製品の高付加価値化で「世界で存在感のある企業を目指す」とした。 

3)事業統合
新第一塩ビに続いて各業界で次々と事業統合が行われた。今回は共同生産ではなく事業統合のため、共販グループに関係なく相手先を選んだため、順次共販会社を解散し、96年7月に全てなくなった。

塩ビ:
・新第一塩ビ:(95/7) 日本ゼオン、住友化学、トクヤマ(430千トン)
 *呉羽化学は検討途中で離脱
・大洋塩ビ:(96/4) 東ソー、三井東圧、電気化学(580千トン)
・ヴイテック:(00/4) 三菱化学、東亞合成(390千トン)
 (96年提携)

ポリオレフィン:
・日本ポリオレフィン:(95/10) 昭和電工、日本石油化学(PE 656,PP 346千トン)
 *99/5 モンテルSDKサンライズ(のち、サンアロマーと改称)を設立し、PP事業を分離
・グランドポリマー(95/10:PPのみ) 三井石油化学、宇部興産
 *97/7 三井化学設立を前に三井東圧が参加(計 PP 701千トン)
・日本ポリケム(96/9) 三菱化学、東燃化学(PE 696千トン、PP 733千トン)
 *東燃化学の関係会社・日本ユニカーの参加努力を続けたが、成立せず。

ほかに
・京葉ポリエチレン(97/10) 丸善ポリマー、チッソ石油化学のHDPE販売会社
・日本エボリュー(96/11) 三井石油化学と住友化学のメタロセン触媒LLDPEの製造会社

PS
・日本ポリスチレン(97/10) 住友化学、三井東圧 (225千トン)
 *住友化学と昭和電工のPSのJVの日本ポリスチレン工業とは別。
 同社(1966/11設立)は1990頃に両社が個別に新工場を建設運営し、93年旧設備停止、94年昭電のPS事業撤退で休眠状態となっていた(01年昭電が吸収合併)。
・A&Mスチレン(98/10) 
旭化成、三菱化学(統合前559千トン、統合後400千トン)
・東洋スチレン(99/4) 電気化学、新日鉄化学、ダイセル(統合前476千トン、統合後376千トン)

ABS
・テクノポリマー(96/10) JSR、三菱化学 (ABS 290千トン、AS 40千トン)
・日本エイアンドエル (99/7) 住友化学、三井化学(ABS 100千トン、SBRラテックス85千トン)
・UMG ABS (02/4) 宇部興産、三菱レイヨン、GE (ABS 176千トン)

これらの事業統合は、それ以前には考えられなかった「大決断」であった。
この結果、誘導品のメーカー数は大幅に減少し、1社当たりの能力は増大し、一応世界水準に近づいた。

しかしながら、実態をみると、以前と余り変わりがない状態であった。

三菱と三井の統合は、元々一緒であるべき会社の統合である。三井の場合は旧三井石化主導で事業や人の整理が行われたが、三菱の場合は設備にも人にも手を付けていない。
事業統合については、PSだけは統合時に老朽設備を廃棄したが、全般的には出資会社のプラントはそのまま維持し、原料ソースもそのまま、経営陣も各社が出し合った。
PVCの場合は、単独経営の信越化学、鐘淵化学、三菱化学(当初は単独)が対抗意識から増設を行ったため、逆に全体能力が増大した。
営業や研究、管理の人員は確かに減っているが、これは親会社に残しただけである。若干の合理化はあるとしても、工場に手を付けない限り合理化に限界がある。
既に述べた通り、仮に人員を100人減らしても節約される費用は年間10億円にもならない。過剰能力の下で売価が10円/kg下がると、500千トンの能力なら値下がり損は年間50億円にも達する。

これが実際に起こった事態であり、塩ビの統合会社は3社とも数年で巨額の累積赤字を出しており、日本ポリオレフィンも同様である。
事業統合によりメーカー数が大幅に減ったように見えるが、工場と原料供給体制をみると、それ以前とほとんど変わらず、小規模多数工場をもとにした過剰能力体制が継続していた。

危機に際して抜本的な対応をとらなかったツケが出たといえる。結局、1980年代、90年代の20年間は石化業界にとっては「失われた20年」であった。

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2006年3月12日 (日)

日本の石油化学産業の構造改善-4 ポスト産構法時代後期

25years22_1 新増設が完成する前に日本のバブル経済が弾け、需要が減退し、需給ギャップがひろまった。能力の急増に対し、アジアの需要は増えつつあったが、欧米が不況になると各社一斉にアジア向けに輸出を行うため、アジア市況も急落した。 (三菱油化は1980年代後半にスチレンモノマーの輸出で膨大な利益を上げたが、その後の値下がりで輸出利益はなくなった)

この結果、各社の業績は非常に悪化した。塩ビ業界の損益も1992年から再び赤字に転じた。

25years3

しかし、再びカルテルで逃げる道は既に封鎖されており、各社とも生き残りの策の検討を開始した。

事業撤退:
・ポリプロに新しく進出した東ソーは95年11月に営業権をチッソに譲渡(2002年にチッソが四日市ポリプロを吸収合併)
・旭化成も94年10月、水島品の営業権を昭和電工に譲渡 (運営のため日本ポリプロを設立するが1999年3月停止)、泉北ポリマー全株を95年3月、三井東圧に譲渡して撤退した。
・日本鉱業も新規参入を狙い、輸入販売を始めたが94年3月に撤退した。
・宇部興産は新設した千葉の気相法LLDPEプラントを休止した。
 (1994年11月に三井石油化学のメタロセン触媒技術による気相法LLDPEの商業規模での試験生産で合意)
・昭和電工は94年5月、PS事業から撤退し、旭化成に営業権を譲渡することを発表した。(上記の旭化成PP事業と交換)
 昭和電工は1966年から住友化学とのJVの日本ポリスチレン(川崎に工場)でPS事業を行っていたが、1988年に千葉と川崎にそれぞれの責任で新工場を建設し、93年の旧設備停止後は実質的には個別に事業を行っていたが、川崎の新設備も停止し事業から撤退した。

三井・三菱グループの事業統合検討:
1992年4月、新聞に三井東圧と三井石化が合併を目指し両社社長が詰めの協議に入っていると報じた。両社長がのトップ会談を行い、新会社の社名(「三井化学」)や合併比率などは合意しているとされた。しかし両社の社内の反対が強く、「当分の間は交渉を凍結する」と発表された。

・この時、
吉田正樹・三菱油化前社長は三菱グループの統合については 「永遠の話題」であるとして否定した。
しかし実際には、スチレンモノマーの輸出利益をもとに株式時価発行によりエチレンを増設し拡大路線をとった三菱油化はその後の輸出価格の下落、国内需要の減少で損益は悪化し、対応に苦慮していた。

事業統合の検討:
・第一塩ビ販売のメンバーの日本ゼオン、住友化学、呉羽化学、サンアロー化学(徳山曹達子会社)は、共同研究、共同生産を行うなど信頼ベースが出来上がっており、塩ビ事業の損益悪化から、早くも1992年頃から生き残りのための事業統合の検討を始めていた。

 


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2006年3月11日 (土)

途中ですが  3月決算予想

「日本の石油化学産業の構造改善」の途中ですが、9日の日本経済新聞に3月決算予想が出た。化学については「石化事業不振」として以下の通りまとめられている。

「総合化学大手5社は住友化学を除く4社が経常減益となりそうだ。原料のナフサ価格は上昇するが、アジア市況下落の影響で販売価格への転嫁が十分に進まず、 石油化学事業の利益が減少することが響く。三井化学の経常利益は700億円と12%減る見通し。主力の合成繊維原料の市況悪化が利益を圧迫する。東ソーも塩化ビニール市況の下落が痛手となる。(以下略)」

非常に好調だった昨年比で減益というだけで、各社ともまだまだ高利益を上げている。しかし、中国の大増設の影響は今後出てくる。 

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2006年3月10日 (金)

日本の石油化学産業の構造改善-3 ポスト産構法時代前期

25years22

産構法が終了した際に、業界(と通産省)は産構法の精神の維持のために2つの対応をとった。

①「デクレア方式」(事前報告制度):
産構法終了により今後は設備カルテルは認められなくなったが、新増設の乱立をおさえるため、休止設備再稼動、新増設、改造に当たっては事前に通産省に報告し公表する制度がつくられた。
②共販制度の維持:
公取委は産構法の終了をもって共販会社も解散すべきだと強く主張した。米国の市場開放要請の中に共販制度も参入障害とする指摘があったことも、これを後押しした。
しかし業界では価格競争を防ぐ重要な手段として継続を主張、生産・流通・販売の合理化のためにも必要とした。

最終的に公取委は、他の共販メンバーとの提携をしないこと、生産・流通・販売の合理化の進展状況を毎年報告することを求めた。

設備の増強に当たっては単独では大規模設備の増設は難しいことから共同生産方式が取られたが、上記の制約により、共販メンバー同士の合弁による共同生産が行われた。

需要が回復すると業界はたちまち、増設に乗り出した。
まず、産構法で休止したエチレンや誘導品設備を再稼動した。

続いて新増設計画が相次いだ。
エチレン:

・三菱油化・鹿島2期(326千トン)
・京葉エチレン(600千トン):住友化学と三井石油化学に15万トンずつ供給(共販解散後に出資)
・宇部エチレン(500千トン):宇部興産(50%)、三井東圧(25%)、日本石油化学(25%)
 *PP、SMは先行して完成したが、エチレンは実現せず。
LLDPE:
・千葉ポリエチレン 80千トン(住友化学/東ソー)
・宇部興産 50千トン(単独)
PP:
・千葉ポリプロ 60千トン(住友化学/宇部興産/トクヤマ/共販会社)
・宇部ポリプロ 80千トン(宇部立地。宇部興産/住友化学/トクヤマ/共販会社)
・四日市ポリプロ 65千トン(東ソー/チッソ/共販会社)
・浮島ポリプロ 80千トン(日石化学/三井東圧/三井石化/共販会社)
・ディー・ピー・ピー 80+50千トン(三菱油化/三菱化成)
・旭化成 64千トン(単独)
PVC:
・第一塩ビ製造 80千トン(住友化学/日本ゼオン/呉羽化学/サンアロー/共販会社)
PS:
・日本ポリスチレン増設 30+70千トン(昭和電工/住友化学)
SM:
・三井東圧 240千トン(宇部立地。宇部興産/鐘化が引取り枠)

*共販会社での増設を強調するため共販会社が出資した。
*PPでは新規進出が相次いだ。
東ソーは完全新規、日石化学と旭化成は
泉北ポリマーに参加していたが自社工場内に新設。日本鉱業も新規参入を狙い、輸入販売を始めた。
*共販会社は全般的に「形を変えた価格カルテル体制」に止まっていたが、その中で第一塩ビ販売だけは共同研究を行い、新製造方法を開発し、それをもとに共同生産を行った。
*日本ポリスチレンは増設を各社の責任で各社の工場内に立地。

これらの結果、エチレン及び誘導品の各社の能力は1993年8月時点で添付の通りとなり、産構法以前の能力をはるかに上回るものとなった。

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2006年3月 9日 (木)

日本の石油化学産業の構造改善-2 産構法時代

25years21 1979年1月に第2次石油危機が発生し、3万円/kl程度であったナフサ価格は一気に6万円/klまで上昇、需要が激減し、不況が深刻化した。塩ビ業界の赤字は、80年 323億円、 81年470億円、82年 407億円と増大し、危機的な状況となった。他の石化製品も同様である。

(塩ビ業界)
塩ビ業界では1981年10月に産業構造審議会化学工業部会の塩化ビニル・ソーダ小委員会で共販会社案を打ち出し、公取委の承認を得て、第一塩ビ販売が82年4月に、日本塩ビ販売と中央塩ビ販売が同8月に、残る共同塩ビ販売が同9月に営業を開始した。(詳細
公取は当初、第一塩ビ販売は承認したが、4共販体制は認めず、通産省が交渉してやっと認められた経緯がある。

(産構法)
石油化学業界では1982/10、エチレンセンター13社の社長で編成された石油化学産業調査団が訪欧、石油化学事情を調査するとともに、不況の脱出策を協議した。
高杉良の「局長罷免 小説通産省」ではこれに触れている。
調査団の帰国後、各社の首脳間に相互信頼感が芽生え、過剰エチレン設備等の廃棄、ポリエチレン、ポリプロピレンなどポリオレフィンの共同販売会社の設立など抜本的な構造改善対策が次々に打ち出され、構造不況に陥っていた石油化学工業は急速に立ち直ってゆく。」

1983年5月「特定産業構造改善臨時措置法(産構法)」が、1988年6月30日を期限とする時限立法として施行された。(概要
これに基づき構造改善基本計画がつくられた。設備廃棄ではエチレン、ポリエチレン、塩ビ、及びEOとSM(両者は自主廃棄)が、共販は塩ビのほかにポリオレフィンが承認を受けた。

(ポリオレフィン共販会社)
1983/7/1にユニオンポリマー、ダイヤポリマー、エースポリマー 、三井日石ポリマーの4共販が同時に営業開始した。(詳細

最終的には別紙の通りの組み合わせとなったが、当初の業界案は次のようなものであった。
3グループ集約案:
①三菱化成・三菱油化・旭化成・昭和電工・東燃石化・出光石化・日本ユニカー
②三井石化・三井ポリケミカル・三井東圧・日本石油化学・宇部興産
③住友化学・東洋曹達・新大協和石化・日産丸善ポリエチレン・チッソ・徳山曹達


①は、三菱系2社は同一資本系列。昭和電工は三菱油化と製品融通関係にあり、東燃石化に対して中低圧ポリエチレン工場を売却したいきさつがある。日本ユニカーはその子会社。旭化成は昭電、出光とトップ同士が親密な関係にある。さらに旭化成と三菱化成は岡山県水島地区にエチレンの共同生産会社をもっているというもの。

しかし公取はシェアが大きいことを理由にこれを認めず、通産省のバックアップもなく、最終的に三菱とその他に2分割した。
宇部興産は大阪での三井との関係と、千葉での丸善との関係を比較し、ユニオンポリマーに参加した。

塩ビ、ポリオレフィンとも、共販会社の性格については前回述べた通り、真の販売会社ではなく、メンバー各社が自社製品をその出向社員が自社需要家に販売し損益は全て自社に帰属するというものであり、事務所を共有するだけの「形を変えた価格カルテル体制」であった。

(設備処理)
1)エチレン  詳細
 廃棄 804.7千トン
 休止 955   
 部分休止 491
 新設  △220 (出光石化) 
  差し引き 2,030.7千トン

2)ポリオレフィン 詳細
・高圧法ポリエチレン(LDPE)は年産能力の37%に当たる637,000tの設備処理
・中低圧法ポリエチレン(HDPE)は同25%に当たる265,000tの設備処理
・ポリプロピレンは設備の過剰度がそれほど大きくなかったので、設備処理の対象とはならなかった。
・設備の新設、増設および改造は、目標期日までの間は行わないとした。

3)PVC 詳細
基本計画では49万トンの設備処理だが、通産省によるPVCの生産能力の管理はトン数ではなく、重合槽の容量で行われている。実際には重合槽1m当たりの生産能力は大きく異なる(場合により2倍以上)が、プロセス改良による能力アップはメリットとして認められていた。

設備の新設、増設および改造は、目標期日までの間は行わないとした。

設備処理に当たり、塩ビのみ、経済的負担の公正を期するため調整金を設けて各社別の処理量を決めた。
調整金は廃棄mに対し2,000千円(基準を超えて廃棄する分は4,000千円)を支給することとし、合計4,360百万円を支給、残存m数比で各社負担した。

なお、信越化学・鹿島の処理127のみ休止設備で、カルテル終了後の品不足時に再稼動した。

以上、この危機に際して業界がとったのは抜本的構造改革ではなく、共販体制という「形を変えた価格カルテル体制」と、休止のところが多い「設備廃棄」であり、一部新増設さえある。
唯一、日産化学がこの時期に石油化学から脱却した。

ナフサ価格は1986の1Qの31,300円から2Qの16,900円と急落し、25years1 それにつれて需要も急増して採算が向上、塩ビ業界全体でも1986年に黒字に転換した。1988年に時限立法の産構法は終了した。

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2006年3月 8日 (水)

日本の石油化学産業の構造改善-1

これまで、武田薬品工業欧米の医薬品会社及びICIの構造改善をみてきた。
各社とも明確な方向付けを行い、大胆な合従連衡や思い切った「選択と集中」を行っている。

それでは日本の石油化学産業はどうであろうか。

1980年から2000年頃までの歴史をみると、各社ともはっきりした目標をもって構造改革をやってきたとは思えない。

経済環境が非常に悪いときも抜本的な構造改革は行わず、なんとかその場を切り抜ける対策をとる。
経済環境が改善すれば、悪いときのことを忘れ、競争して増設に走る。
その繰り返しであった。

2000年頃になって、損益悪化が続いてどうしようもなくなり、2004年問題もあって、ようやく「選択と集中」政策をとり始めた。
何十年も続いた事業をやめる企業も出てきた。
住友化学と三井化学の合併のように、世界を目指すという明確な方向付けでの対策も出てきた。

しかし、中国バブルとナフサ高、ハイテク材料の3つの要因がうまく重なり、損益の改善が進むと、これも速度が弱まった。

これまでも環境がよくなれば、これが続くと思い、悪いときのことを忘れる傾向があった。今では、「2004年問題」も忘れられ、「選択と集中」政策を採り始めたときの切実感はない。いつまでも現在の好況が続くと思っているのではないか。

この25年の推移をみてみよう。添付グラフは(クリックしてください)PVCの能力&需要推移だが、これが日本の石化の動きをよく表している。

25years2 グラフの表示のように、この25年は1988年までの「産構法時代」、95年頃までの「ポスト産構法時代」、2000年頃までの「事業統合時代」、2000年以降の「選択と集中時代」に分けられる。「ポスト産構法時代」は前期の好況期とバブル経済破裂後の不況期に分かれる。「選択と集中時代」はすぐに中国バブルで動きが弱まった。

各時代の詳細は次回以降、順次述べたい。ここでは簡単に特徴を述べる。

(産構法時代)
1979年1月に第2次石油危機が発生し、3万円/kl程度であったナフサ価格は一気に6万円/klまで上昇、需要が激減し、不況が深刻化した。塩ビ業界の赤字は、80年 323億円、 81年470億円、82年 407億円と増大し、危機的な状況となった。他の石化製品も同様である。

この危機に際して業界がとったのは抜本的構造改革ではなく、産構法による共販体制と設備カルテルである(塩ビの共販は産構法前)。
共販制度は塩ビ、ポリオレフィンでそれぞれ4社できたが、真の販売会社ではなく、メンバー各社が自社製品をその出向社員が自社需要家に販売し損益は全て自社に帰属するというものであり、事務所を共有するだけの「形を変えた価格カルテル体制」であった。
設備カルテルも設備廃棄が本来の主旨であったが、ほとんどが休止で済ませた。エチレンセンターでエチレンを永久停止したのは住友化学の愛媛と三井石化の岩国だけであり、出光石化は産構法中に千葉エチレンを新たに稼動させた。

なお、日産化学だけがこの時期に石油化学から撤退したのが注目される。塩ビ事業を東洋曹達に、HDPEを丸善石化に譲渡して撤退した。

この間、ナフサ価格は1986の1Qの31,300円から2Qの16,900円と急落し、それにつれて需要も急増して採算が向上、塩ビ業界全体でも1986年に黒字に転換した。1988年に時限立法の産構法は終了した。

(ポスト産構法時代)
需要が回復すると業界はたちまち、増設に乗り出した。
まず、産構法で休止したエチレンや誘導品設備を再稼動した。
続いて新増設計画が相次いだ。エチレンでは三菱油化・鹿島の増設、丸善石化が住友化学・三井石化の引取りを前提に京葉エチレンを新設し、実現はしなかったが宇部興産
三井東圧・日本石油化学の宇部エチレン構想もたてられた。
ポリオレフィンと塩ビでは共販体制を維持するため、共販単位で共同生産が行われた。
・PP:千葉ポリプロ、宇部ポリプロ、四日市ポリプロ(東ソー)、浮島ポリプロ、DPP、旭化成(単独)
・PE:千葉ポリエチレン、宇部興産(単独)
・PVC:第一塩ビ製造
・PS:日本ポリスチレン(住友化学、昭和電工)
これらが完成した1993年頃にはエチレンと誘導品の能力は産構法前のそれをはるかに上回るものとなった。

新増設が完成する前にバブル経済が弾け、需要が減退し、需給ギャップがひろまった。各社の損益は急速に悪化した。
東ソー、旭化成のPP撤退、宇部興産の新PEプラント停止、昭和電工のPS撤退などがあり、各社とも対応の検討を始めた。

(事業統合時代)
1994年に三菱化成と三菱油化が統合して三菱化学となり、97年に三井石油化学と三井東圧が統合して三井化学となった。これは本来一つであるべき会社が統合しただけであるが、これとは別に多くの事業統合会社が生まれた。特定の事業を数社が統合して製造販売を行うものである。
・塩ビ:新第一塩ビ、大洋塩ビ、(のちに)ヴイテック
・ポリオレフィン:日本ポリオレフィン、グランドポリマー、日本ポリケム
・PS:日本ポリスチレン(住友化学/三井化学)、A&Mスチレン、東洋スチレン
・ABS:テクノポリマー、日本A&L、UMG ABS

これにより各誘導品ともに表面上はメーカー数は減少した。他の共販グループメンバーとの事業統合の結果、共販会社も消滅した。
しかし、三菱化学の場合、統合に際して人員の削減は行わず、鹿島、四日市、水島の3エチレンセンターも3地域に拠点があることは大きな強みであるとしていずれも残した。三井も人員は減らしたが設備は変わっていない。

事業統合会社も大部分はメンバー各社が経営陣を出し、工場はそのまま、原料供給体制もあまり変わらないという持ち寄り体制であった。塩ビの場合は事業統合しない企業が対抗心から増設に走り、全体能力は増加している。

原料を各社が持ち込むなら原料面でのメリットは生じない。
仮に事業統合で人員が100人減ったとしても(実際には親会社に戻るだけだが)、節約される人件費等は年間10億円に満たない。
しかし、実際に起こったように過剰能力による値下げ競争で売価が10円/kg 下がると、50万トンの統合会社なら年間の値下がり損は50億円にもなる。

表面上はメーカー数が減り、1社当たり能力が増えて国際水準に近づいたように見えたが、実態は従来のままであり、事業統合の効果はなかったといえる。事業統合会社の損益は悪化し、破綻直前まできた。親会社やその他の企業も損益は悪化している。
危機に際して抜本的な対応をとらなかったツケが出たといえる。結局、1980年代、90年代の20年間は石化業界にとっては「失われた20年」であった。

(選択と集中時代)
21世紀に入り、事態の深刻さと
2004年問題やアジア・中東での大規模新設の影響などによる危機意識から、各社とも「選択と集中」戦略をとり出した。

三菱化学は2001年1月に四日市のエチレンを停止、人にも手をつけた。昭和電工はエチレンを1系列減らし、中期計画で石油化学を「再構築事業」とし、提携・売却も視野に入れるとした。

塩ビ業界では撤退が相次いだ。新第一塩ビで住友化学、日本ゼオンが、大洋塩ビで三井化学、電気化学が、ヴイテックで東亞合成が、それぞれ実質的に撤退した。また、チッソ、呉羽化学、旭硝子、セントラル化学が撤退した。PVCと原料VCMの多くの工場が停止した。
(逆に信越化学の欧州での塩ビ会社買収、米国子会社の新立地での増設などがある)

2000年11月に三井化学と住友化学の統合計画が発表され業界に衝撃を与えた。全統合に先立って三井住友ポリオレフィンがスタートした。
宇部興産とトクヤマがPPから撤退した。
日本ポリケムと日本ポリオレフィンのPE事業を統合して日本ポリエチレンが、日本ポリケムとチッソのPP事業を統合して日本ポリプロが誕生した。(実質的に三菱化学が昭電、新日本石化、東燃化学のPE、チッソのPPの運営を引き受けた形)
PSではA&Mスチレンと出光石化のPS事業を統合し、PSジャパンとした。(更に大日本インキ化学のPS事業との統合を図ったが、
公取委の反対で取り止めた。)
ABSでは鐘淵化学が撤退した。

これらの処理の結果でも、まだ(PSを除き)国内需要と能力の間に大きなギャップがある。加えてPEの場合は今でもレジンやPE袋の形での輸入が増加している。

しかしながら中国バブルが始まると危機意識は急速になくなった。
住友化学と三井化学の統合は「21世紀の化学産業におけるグローバルリーダー」をめざすとされたが、両社の主導権争いもあったが、「単独でも生き残れる」という考えが出て解消され、ポリオレフィン会社も解散した。
昭和電工は2005/11の新中期経営計画では「再構築事業」であった石油化学を「基盤事業(キャッシュカウ)」としている。
更なる再編が噂された塩ビ業界でも全く話が進んでいない。

部分的には構造改革は行われており、戦略のもとに海外進出をしている企業も多いが、エチレンとエチレン関連誘導品に関しては、エチレンセンターに手を付けられないことから、(メーカー数は減ったが)世界水準からみて非常に小規模で、かつ多数プラントでの過剰能力体制のままである。

日本の合成樹脂は単なるコモディティの販売ではなく、「提案型」マーケティングで需要家の高度のニーズに応えており、今後もなくならないし、高度のニーズのある日本でないと開発はできない。

しかし、中国バブルが弾けて、中国の多くのエチレン計画が中止となると、ナフサ価格も急落する。輸出がなくなるだけでなく、韓国、台湾、更には最新の大規模設備ができた中国からも輸入圧力が出てきて、国内価格が急落する。
場合によってはハイテク材料の方も悪くなる可能性もある。

こういう可能性を考えて、再度、「選択と集中」政策を進めるべきではないだろうか。

(次回から各時代について述べる)

 

 

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2006年3月 7日 (火)

ICIの抜本的構造改革

前回、欧米の医薬品会社の構造改革について書いたが、ICIの構造改革はもっと凄い。主要事業の石油化学や無機化学事業をほとんど全て売却し、ユニリーバ社から買収した特殊化学品を中心とした会社に変えてしまったのだ。

ICIは1926年に Brunner Mond (アルカリ製品)、British Dyestuffs(染料・顔料など)、Nobel Industries(火薬類)、United Alkali(アルカリ製品)の4社が企業合同してできた会社で1930年代にMMAやポリエチレンを世界で初めて販売した。

日本の石油化学の初期にはほとんどのコンビナートでポリエチレンが中心となっており、「ICIのポリエチレン」が技術導入の目標であった。
(ICIから直接導入したのは住友化学だけだが、三菱油化のBASFはICI特許ベース、日東ユニカーのUCC、三井石化のデュポンは第二次大戦中に技術を守るための戦時特例法に基づき、ICIが技術供与したもの。他社は未完成の技術や中低圧法を導入したが、なかには「ICI品のようなフィルムができない」としてライセンサーにクレームをつけた会社もあるという)

ICIは1982年にそのLDPE工場をBPに売却、1986年にPVC事業をEnichemのPVC事業と統合してEVCとした(EVCはその後 Ineosが買収)。
1993年には医薬・農薬事業を分離独立させ、Zenecaとした。(1999年、スエーデンのAstraと合併してAstraZenecaとなる)
また、同年、DuPontとの事業交換で、ナイロン事業をDuPontに渡し、DuPontのMMA(両社のJVを含む)を取得している。

ここまでの動きは他社と余り変わりはない。

1997年に同社は事業を、化学品のなかでも付加価値が高く、投下資本が少なく、景気変動の影響が少なく、研究開発により重点を置いた事業に急速に転換することを決めた。

1997年7月、ICIは英蘭系Unileverの特殊化学品4社を買収した。
National Starch社(工業用接着剤、レジン、産業用でんぷん)
・Quest社(香料、乳化剤、芳香剤)
・Uniqema社(脂肪酸、グリセリン)
・Crosfield社(シリ
カ、ケイ酸塩、ゼオライト) (のちに売却)

同時に同社は既存事業を順次分離・売却していった。主なものは以下の通り。
ICIオーストラリア社を分離して上場、Oricaと改称
・ポリエステル事業をDuPontに売却
・酸化チタン、ポリウレタン、芳香族、オレフィン事業をHuntsmanに売却
・欧米の火薬事業をOricaに売却
・肥料事業をTerraに売却
・メチルアミン事業をAir Productsに売却
・フッ素事業を旭硝子に売却
・アクリル事業をLuciteとIneosに売却
・塩素化学品事業とCrossfield(Unileverから購入)をIneosに売却
・触媒事業をJohnson Mattheyに売却

ICIはスペシャリティ化学品を中心とした「新生ICI」に生まれ変わった。
現在、同社は次の4事業部門から成っている。そのうち3つは1997年にUnileverから購入した事業が中心となっている。

National Starch、
・Quest、
・機能性化学品(Uniqema)
・塗料

ICIの変遷 添付Hensen6_5

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2006年3月 6日 (月)

世界の医薬会社の構造改革

2/19の日本経済新聞に「世界医薬大手の売上高ランキング」が載っている。
武田薬品は日本では売上高トップだが、世界全体では14位に過ぎない。

世界医薬大手の売上高ランキング(億ドル)

会社名(国名) 売上高

1

ファイザー(米)

442.8

2

グラクソスミスクライン(英)

339.6

3

サノフィ.アベンティス(仏)

338.6

4

ノバルディス(スイス)

249.6

5

アストラゼネカ(英)

239.5

6

ジョンソン・エンド・ジョンソン(米)

223.2

7

メルク(米)

220.1

8

ロシュ(スイス)

215.7

9

ワイス(米)

153.2

10

ブリストル・マイヤーズスクイブ(米)

152.5

11

イーライリリー(米)

146.5

12

アボツト・ラボラトリーズ(米)

133.0

13

アムジェン(米)

120.2

14

武田薬品工業(日)

108.6

武田の抜本的改革は素晴らしいが、海外各社はそれよりはるかに凄い。
合従連衡を繰り返しながら、医薬以外の部門を切り離し、医薬事業に全経営資源を投入して生き残り競争をしている。

各社の変遷は以下の通り。(図をクリックしてください)

1.ファイザーHensen2  
・PfizerはWarner-Lambertを吸収

・MonsantoはG.D.Searleを吸収、
化学品部門をSolutiaとして分離
・PharmaciaとUpjohnが合併してPharmacia & Upjohnとなる。
・MonsantoとPharmacia & Upjohnが合併してPharmaciaとなり、
農薬部門を分離(再びMonsanto)

・PhfizerがPharmaciaを吸収合併

2.グラクソスミスクライン Glaxogif

・SmithKline BeckmanとBeechamが合併して SmithKline Beecham
・Glaxo とWellcomeが合併して Glaxo Wellcome
・SmithKline BeechamとGlaxo Wellcomeが合併してGlaxo SmithKline

3.サノフィ.アベンティス Hensen3  

                
・HoechstがCelaneseを吸収
特殊品をClariantに譲渡、化学品をCelaneseとして分離

・Rohne Poulentが
化学品、繊維・ポリマーを分離(Rhodia)

・HoechstとRohne Poulentが合併し、Aventisとなる。
農薬部門をBayerに譲渡
Sanofi

・Sanofi Synthelaboがフランス政府の支援を受け、Aventisを吸収、Sanofi Aventisとなる。

4.ノバルディス Hensen1

・Sandozが化学品を分離(Clariant)

・SandozとCiba Geigyが合併し、Novartisとなる。
特殊品を分離(Ciba Specialty)
種子事業を分離、AstraZenecaの農薬部門と統合してSyngentaに。

5.アストラゼネカ Hensen1_1

・AstraとZenecaが合併しAstraZenecaとなる。
・農薬部門を分離(Syngenta)

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2006年3月 5日 (日)

武田薬品工業の抜本的改革

三井化学はこのたび、4月1日に三井武田ケミカルの武田薬品の持分全株式(49%)を取得して100%子会社とし、「三井化学ポリウレタン㈱」に社名変更すると発表した。

三井武田ケミカルは2001年4月に武田のウレタン事業の譲渡を受けて三井化学と武田薬品が設立したJVで、当初から5年後に三井化学に譲渡することが決まっていた。

これは武田國男現会長が、医療用医薬品に経営資源を集中して、医薬主体の『研究開発型国際企業』として世界競争を勝ち抜こうとして行った抜本的改革の一環である。

同社ではこれ以外に以下のように全ての多角化事業を切り離した。

動物用医薬品事業
2000/3 シェリング・プラウとのJVを設立し譲渡(武田シェリング・プラウアニマルヘルス武田40%
2005/6 シェリング・プラウに譲渡

ビタミンバルク事業
・2001/1 BASFとのJVを設立し譲渡(BASF武田ビタミン:武田34%) 
・2006/1 BASFに譲渡

調味料事業を中心とした食品事業
・2002/4  キリンビールとのJVを設立し譲渡(
武田キリン食品:武田49%
将来的には、キリン社が新会社の全株式を取得

ラテックス事業
2002/10 日本エイアンドエル(住友化学/三井化学JV)に営業譲渡

農薬事業
・2002/11 住友化学とのJVを設立し譲渡
住化武田農薬:武田40%)
・2007/11に住友化学に譲渡の予定

活性炭、木材保存剤、工業用保存剤、環境汚染診断薬等の生活環境事業
・2003/4 分社化(日本エンバイロケミカルズ)
・2005/3 同社を含む生活環境事業を行う子会社・関連会社5社の株式を大阪ガスケミカルに譲渡することで合意

飲料・食品事業
・2006/4 ハウス食品とのJVを設立し譲渡
・2007/10 ハウス食品に譲渡予定

ーーーーーーー

これらの事業は武田の古くからの事業であり、必ずしも赤字事業ではない。武田全体としてはグラフ(クリックしてください)のように多額の利益を上げており、他の医薬品会社と比べて圧倒的な強さを示している。
それでもなお、このような抜本策を取るのは「マルチナショナルな巨大製薬会社がひしめくグローバル競争の土俵」で勝ち抜くためには必要だからである。

Takedapl Taihi2004iyakutoki

 

武田会長は日本経済新聞の「私の履歴書」に以下のように書いている。

「社長就任と同時にゴマスリはいらん、無駄な人員を減らせ、儲からん工場を閉めろ、医薬のかせぎに寄りかかっている多角化を見直せ、ひたすら吠えまくった。社内からは『独裁者』といわれ、雑誌には『バカ殿ご乱心』と書かれた。」

「我が社は本業の医薬以外に食品、化学、農薬などの多角化を進めていた。その結果、医薬専業の同業他社に比べて従業員が過大で、しかも生産性が非常に低かった。それなのに、だらだらと採用を続けている。」

「『人々の健康とすこやかな生活に貢献する』という理念を再認識してもらうことから始めた。その上で、東洋の一小島のローカル企業にとどまることなく、
医薬主体の『研究開発型国際企業』として世界競争を勝ち抜こうと呼びかけた。これしか生き残る道はないという決意表明でもある。

「眠れる武田薬品を戦闘集団に変える構造改革に着手した。その集大成が95ー00中期計画。・・・1万1千人いる社員を7500人に削減する。早期退職優遇制度も導入し、不要な研究所や不採算の内外の工場を閉鎖する。医薬品の海外売上高比率を50%にする。食品や化学品などの多角化部門の自立を社内カンパニー制によって促す。そして年功より成果に基づく人事報酬制度など。どれも大ナタを振るうような厳しい内容であった。」

国内市場中心の多角化から研究開発型の国際的な製薬会社に脱皮し、マルチナショナルな巨大製薬会社がひしめくグローバル競争の土俵に上がろうかというところまでこぎ着けた。」

「社長になって10年たった。この間、非効率、非合理だった仕組みを一つずつ改革し、会社の体質を変えていった。組織や人を変え、医薬外の事業を自立させていった。こういう基本的な問題に手をつけ、反発と摩擦を凌ぎながらトップダウンで推し進めるには、武田という名前とエリート社員にはない型破りの発想が役に立った。」

 

石油化学にはまだ、グローバルな競争に勝ち抜くためのこのような抜本的改革は見られない。

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中国のPVCの状況 補正

中国から2005年の統計を入手したので
3/2の記事「中国のPVCの状況」を補正しました。
主旨は変わっていません。
(記事で赤字部分が補正した部分です)

内容は以下の通り。 

2005年末能力 933万トン 
 うち カーバイド法 70%
2005年生産 649万トン(操業度70%)
レジン輸入 130万トン(変わらず)
コンパウンド名目を含めた輸入は155万トン
輸出は12万トン

差し引き需要 792万トン

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2006年3月 4日 (土)

ハイテク材料バブル説

2006年2月21日の記事で「中国バブル説」を書いた。

最近の日本の化学企業の好況を支えるのは、中国需要ナフサ高と、デジタル家電素材を中心としたハイテク材料需要である。
(ナフサ高はコストアップにはなるが、中国の需要の増大で輸出が増えたのに加え、輸出価格が上昇した結果、国内の需給逼迫と相まって、国内での値上げが可能となり、採算向上に役立っている。)

日本の化学各社は1990年代後半の損益悪化の結果、2000年頃から「選択と集中」政策をとり、ハイテク材料への投資を拡大した。
デジタル家電等が好調なため、この方針は好結果を生んだ。

添付資料は各社のセグメント別連結営業損益の推移である。石化製品とともに、エレクトロニクス、機能材料、多角化事業、電子・情報、電子材料、情報電子化学、機能商品、情報通信機器というようなセグメントの営業損益が増えている。
JSRなどは図のように合成ゴムの損益はほんの一部となっている。(クリックしてください)Jsr
JSRの多角化事業:
半導体製造用材料、フラットパネルディスプレイ用材料、光ファイバー用コーティング材料、耐熱透明樹脂及び加工品、建築外壁材料、化成品及び化学品類、回路検査治具等機器、包装資材、ポリマー等製造技術、健康食品等食品類、医薬品、その他)


しかしながら、ハイテク材料は以下の問題を内包している。

・化学以外の他の業界からも殺到するため、過当競争となる。

 (1980年代後半に光ディスク等の記録メディアに各社が殺到した。)

・需要分野の進展が急で、新製品・新製法の開発により折角投資した材料の需要が急になくなる可能性がある。

 (薄型テレビでは液晶プラズマが争っているが、キャノン/東芝がSED方式を準備している。画質はブラウン管並みに明るく、高コントラストで、原理上は液晶、プラズマより低消費電力とされる。)

 (記憶は定かでないが、3Mはこれを避けるため、需要家に研究者を派遣し、常に最終製品の動きをみているとのこと。)

・供給先が競争に敗れ撤退する可能性(他社に供給できればよいが・・・)

・新製法等での競合材料の出現

・需要家自体が材料分野に進出する可能性

・需要自体がバブルである可能性
  (光ファイバーの例)

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2/24の日本経済新聞に企業研究で古河電工が取り上げられている。タイトルは 「さらば『光の巨人』」。

1999年にカナダの光受動部品子会社が米国の光発光部品製造販売会社「ユニフェイズ社」と合併して光通信システムのトップメーカー「JDS ユニフェイズ」となり、古河電工は筆頭株主となった。その後の光ファイバーブームで株価は上昇、一部株式を買収したが、株の含み益は1兆5千億円になった。
古河電工はWDMシステム(光多重伝送システム)のトップメーカーを目指し、「WDMに経営資源のほとんどを集中」した。また2001年には
米国ルーセント・テクノロジーの光ファイバ・ケーブル部門を23億ドル(当初27.5億ドル)で買収し、光ケーブルを OFS BrightWave、光ファイバーをOFS Fitel とした。

しかし直後に北米の通信不況の直撃で事態は一変、JDS ユニフェイズの含み益はゼロとなり、OFS社は、買収後2005年12月期まで4期連続で営業赤字を計上し、債務超過が続く。古河電工の連結当期損益は次のようになっている。

 2001/3 +1,674億円
 2002/3  -  34
 2003/3 -1,140
 2004/3 -1,401
 2005/3 + 158

2005/3は固定資産・棚卸資産処分損、退職金等で特別損失 377億円、投資有価証券および不動産の売却等により特別利益 546億円)

現在、同社は「浮沈の激しいIT(情報技術)分野で一発長打を狙うのではなく、軽金属など素材関連を軸に主力5部門で着実に利益を稼ぐ企業へ変貌しつつある。」

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デジタル家電もバブルでなければよいが。

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2006年3月 3日 (金)

日本の塩ビ事業

前回、中国の塩ビ事業の状況説明の中で、中国が塩ビの輸出国になるとし、日本の塩ビ事業への影響の懸念を記した。

実際には塩ビは日本の石油化学のなかで、最も潜在需要の大きい製品である。

信越化学の米国の子会社信越化学、シンテック社の2005/6月中間期決算は、経常利益が前年比23%増の160百万ドル、中間期純利益は同23%増の106百万ドルと大幅増加した。これは住宅需要が好調なためである。

塩ビの用途には下水道や上水道のパイプ、電線被覆、床材、ドア材、窓枠、雨樋、壁紙、サイディング材、電線埋設菅など住宅関連需要が多く、PVC需要は住宅着工件数に比例して動く。
(サイディング材は住宅の外壁に張る板状の外装材。昔は木材の板を打ちつけ、ペンキを毎年塗り替えていたが、米国では塩ビ製に置き換わっており、年間需要が100万トン以上ある。日本の塩ビの国内総需要の2/3相当。日本では消防法の一部改正などで最近やっと普及が進み始めた段階)

米国では住宅着工件数は2001年以降、毎年増加しており、これが塩ビ事業の好調を支えている。(グラフ参照 クリックしてください)

Ushousingstart

これに対して、日本の住宅着工件数は、バブル後半には160万戸以上あったのが、1998年以降は120万戸前後で推移している。


下のグラフは住宅着工件数とPVC国内出荷数量のグラフだが、1980年以前は塩ビの住宅用使用が少なかったため相関性はないが、1980年以降はほぼ同じ推移を示しており、1996-7年に200万トンを超えた需要はこの数年、150万トンを割っている。(グラフ参照 クリックしてください)

Jpnhousingstato

日本の塩ビは日本の住宅投資が今後どうなるかにかかっている。

人口減少の中で、期待できるのは住宅の質である。
日本の都市部の住宅状況は「遠く、狭く、高い」という点で、欧米は勿論、韓国などよりもはるかに劣っている。貿易摩擦問題の際に、日本はこれ以上は買うものはないとしたが、衣食住のなかで、住だけは満足水準にない。

筆者は昔、住宅を「近く、広く、安く」するのは簡単であり、これをやれば内需は大拡大し、貿易摩擦は一挙に解決するという論文を書いた。 http://kaznak.web.infoseek.co.jp/ronbun/top.htm

実はヒューザーの広告をみて、同じ考えの人がいると感激したものだ。(マンションは買っていない)
ーーーーー
同社のホームページ(現在は内容が変更され、この記載はない)

現実が理想を超える空間をめざして 
       代表取締役 小嶋 進

 世界中で「本当のゆたかさ」への模索が始まっています。
欧米はもとよりアジア諸国でも、150m2クラスのマンションが続々と作られている中、なぜ、日本だけが未だに60m2~80m2の住空間に甘んじなければならないのでしょうか。
 「地価が高いから仕方がない」と言われますが、はたしてそれだけでしょうか。私は長年この業界にあって、つくり手の都合、すなわち利潤追求を最優先する業界体質をつぶさに見てまいりました。
 私たちはそうした発想から脱却し、「広さを起点にすべてを発想する」という独自の開発手法で、マンションづくりに取り組んでおります。
 「100m2超マンションを、経済的にも無理のない価格で提供する」という明確な指針とそれを具現化したマンションは、多くのお客さまから驚きと共感を持って迎えられ、ヒューザーは100m2超マンションのリーディングカンパニーとなることができました。
 私たちにとって100m2はもはや目標ではなく、起点です。住む方が本当のゆたかさと癒しを感じられるような、家族が世代を超えて喜びを分かちあえるような「本物の家」づくりはここからがスタートです。
 お客さまの驚く顔と心からの笑顔を見るために、そして、地価の高い日本でも、世界レベルの広さと品質を備えた住空間が手の届く価格で実現できることを実証するために、私たちはこれからもイノベーションを続けてまいります。
 そして、できうるならば、ここから日本の住宅観や住宅政策に一石を投じ、喜びをもって次世代に受け継がれるような社会資産を築くいしずえとなりたい。……これが私の夢であり、「人間主義・理想追求型事業=ヒューマン+ユーザーカンパニー=ヒューザー」を社名に冠した私たちの企業理念です。

ーーーーー

問題はやり方である。いろいろな規制を外せば、土地や建設費は下がるが、土地代が下がると困る企業(銀行など)や個人も多く、規制緩和には各省庁が反対する。都市優遇として地方選出の議員の反対もあろう。

小泉首相の郵政民営化のようなやり方しかないが、実は、1999年1月に当時の小渕内閣が「生活空間倍増戦略プラン」を閣議決定している。

一人当たり床面積を5年間でヨーロッパ並みの水準(一人当たり40㎡弱)に引上げるほか、道路や、公園、その他あらゆる生活空間を倍増しようというものである。
http://kaznak.web.infoseek.co.jp/ronbun/10-2strategy.htm

グレゴリ-・クラ-ク氏は『異説・日本経済 通説の誤謬を撃つ』のなかで、「東京の問題は過密ではなく過疎」であり、「土地の利用の仕方が悪い」と述べている。いろんな規制を廃止すれば生活空間倍増は可能である。

これが実現すると、住宅を建て替えによる住宅関連資材の需要、電線地価埋設やサイディング材の住宅密集地での使用承認その他による新規需要などで、塩ビの需要は増大すると期待した。

しかしながら、小渕首相が亡くなると、この閣議決定までしたこの計画は雲散霧消し、忘れられた。

日本の需要喚起には住宅関係しかなく、今後、この「生活空間倍増戦略プラン」が再び取り上げられることを期待している。
そうなれば日本の塩ビの需要の
倍増も期待できる。

しかし、今の政治の状態から、これが期待できないとすると、PVC、VCMの設備処理を考える必要がある。

参考 日本の塩ビの需要推移

Pvc1

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2006年3月 2日 (木)

中国のPVCの状況

2/27の日本経済新聞に信越化学の金川社長のインタビューが載っている。
その中で同氏は
「中国の設備過剰が悩ましい。塩ビ樹脂を例にとると、中国の年産能力は900万トンともいわれ、需要を上回って設備稼働率は6割程度にとどまっている。鉄鋼などもそうだが、余剰生産分を輸出に振り向ける一方で、国外で石油をはじめとした基礎資源の買収に動いている」
と懸念されている。

(以下、赤字は3/5に新情報で修正)

中国の塩ビ生産能力は2005年末で933万トン(←推計900万トン強)と1年で200万トン増えた。今年はさらに最大で300万トン拡大すると言われている。
若干古いが2004/2時点で建設中から構想段階まで、
合計21657万トンの計画が明らかになっていた。

この1年でも次のような大型計画が出ている。
・内蒙古の臨海化工が香港中策グループと共同で50万トン計画
・新疆ウイグル自治区でXinjiang Production and Construction Corps が120万トン計画
・シノペックが南京で30万トン計画
・福建省の福建東南電化が45万トンPVC計画で政府承認取得
・新疆ウイグル自治区でChemChinaがPVC 60万トン計画 
・新疆ウイグル自治区の新疆中泰化工が4月に60万トン設備建設着工

なお、東ソーが広州で当初計画の2倍の年産22万トンプラントを建設中。

最近の能力増の多くはカーバイド法である。(図参照 クリックしてください) 能力933万トンのうち、7割がカーバイド法である。
Vcm
石灰石を原料にするもので、日本でも最初は全てカーバイド法であったが、電力料のアップでカーバイド法のコストダウンが難しくなり、1961年の通産省の「アンモニア法か性ソーダの電解法への転換方針」 に基づき、1964年頃からオキシ法への転換が始まり、数年で全て切り替わっている。(同時にア法ソーダの電解法への転換が始まった)

ーーー
参考 1961/11 通産省 「アンモニア法か性ソーダの電解法への転換方針」 
① カーバイドのコスト引き下げは困難であるので,増設に当たっては炭化水素源をEDCなどコストの安いものに移行させる
② EDC法の採用に当たっては極力従来法のスクラッブ・アンド・ビルドを進める
③ 塩素源については苛性ソーダとのバランスを取るためア法ソーダの電解法への転換を進める
ーーー

中国では政策的に電力料が押さえられており(昨年から石炭価格リンクとし、コスト変動分の7割を電気料金に反映させるようになったが)、エチレン価格アップの結果、カーバイド法の方がコストが安い状態である。(カーバイド法の塩ビの損益分岐点は1トン700ドル程度、エチレン法は同900ドル程度といわれている) 
また内陸部ではエチレン法VCMの入手が難しいこともある。
従来のカーバイド法設備は小規模で老朽化し、公害の原因となっていたため政府は禁止の意向を示していたが、最近は大型設備の新設をドンドン承認している。
地方政府は雇用拡大のために増設を促しているといわれている。

(NDRCの2004年4月通牒でエチレン法PVC は20万トン以上、2005/12の産業構造調整指導リストでカーバイド法は12万トン以上が認可の条件:「中国のエチレン生産」参照)

 

この能力増に対して、需要は最近では下水管や窓枠・ドア材などの伸びが大きいが、それでも直近の需要は792万トン(←720万トン)と推定され、輸入もなお130万トンあり、稼働率は低い。

2005年生産は649万トン(操業度70%)
コンパウンド名目を含めた輸入は155万トン
輸出は12万トン
差し引き需要 792万トン

レジンの輸入は2001年の1,916千トンから毎年減少し、2005年には1,307千トンとなった。今のところ全体の減少に対して日本からの輸入は余り変わっていないが、2003年9月にペースト塩ビを除いてダンピングの認定をされ、ほとんどが保税輸入である。
(グラフ参照 クリックしてください)
Chinapvc

これに対し、昨年末から輸出が増加している。2005/1-9月に4千トン/月であったのが10月から急増し、4ヶ月平均で26千トン/月となった。

供給過剰の上、需要の伸びよりも能力増の方がはるかに多いため、早晩、中国が塩ビの輸入国から輸出国に変わると思われる。
また、PVC増設分の大半がカーバイド法なら、VCMの現地生産増に伴いVCMの輸入も減る可能性がある。VCMにとってはPVC輸出減とVCM輸出源のダブルパンチとなる。
* 中国のVCM輸入は2005年で90万トン、うち日本からが57万トン(日本の全輸出は65万トン)
  日本のVCM総出荷量284万トンのうち、(PVC+VCM)輸出量は137万トン

日本の塩ビ業界はPVC、VCMともに輸出に依存している部分が多く、今後が懸念される。

参考 日本のPVCとVCMの需

Pvcshukka Vcm1

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