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2006年3月28日 (火)

イラン・ジャパン石油化学(IJPC)の歴史-2

イラン革命で中断していたIJPCの工事再開が軌道に乗り始めた80年9月、イラン・イラク戦争が始まった。9月24日には遂にイラク機がサイトを爆撃し、この後もサイトはしばしば被爆した。駐イラン大使と石油相の会談でテヘランへの避難が合意されたが、第5次被爆を受け、IJPCはコントラクターに日本への帰国を承認、11月に全員帰国が完了した。
19814月に輸銀が金利棚上げ要請を拒否、ICDC取締役会は送金中止を決定した。この時点の総支出額は5,989億円となっていた。(その後の金利負担は大きい)

1981年7月に日本側は代表団を送り、「戦争で前提が崩壊した。契約を再検討すべきであり、今後の資金はNPC負担で」、と申し入れた。
しかし、イラン側は契約は有効とし、工事継続を強く要望した。

その後、何度も交渉が行われ、イラン側は建設再開を、日本側はその非現実性を繰り返し主張した。

1983年7月にイラン側が今後はNPCのみが増資しマジョリティ株主となるとの補完協定にサインしたため、また、両国が国連事務総長の都市攻撃中止勧告を受諾したため、日本側は工事再開に同意し、再開の予備調査を始めた。しかし、イラクによるサイト攻撃が再開され、「工事を行えば攻撃する」との警告が出され、84年9月に被爆したため、全員が退避した。

加えて、85年4月にイラン国会が83年7月に調印した補完協定を否決した。

イラン・イラク戦争が長期化する中、「日本側は基本協定に従って工事を完成させるべき」と主張するイラン側と、「革命、戦争による長期にわたる工事中断で、最早事業の採算性は失われた」とする日本側との間で、長期にわたる交渉が始まった。
日本側は送金を停止し、対抗してイラン側は借入金の元利送金をストップした。

888月に8年続いたイラン・イラク戦争の休戦協定が成立した。

89年3月になって両国が精算を前提に交渉を開始することに合意、10月に最終合意を得た。
日本側が出資金722億円とICDCのローン1,250億円を放棄するほか、精算金として1,300億円を支払うという条件である。ほかに多額の金利負担がある。
日本の金融機関からの借入金、第三者への債務、三井物産の延払債務、イラニアンローンはNPCが負担した。
(事業を止めるのではなく、下記のとおりNPCは単独で事業を継続するため、当然のこと)

1990年2月、IJPCの清算が完了、日本側損失に対して海外投資保険から(付保額1,662億円、請求930億円に対して) 777億円の支払いが行われた。

日本側投資会社のICDCは91年9月に臨時総会で解散決議を行った。親会社5社は出資金とICDCへの貸付金放棄、他の出資会社は出資金放棄を行い、解散した。

最初の要請があってから23年、投資会社ICDC設立から20年が経っていた。

以上、参考資料 
「IJPCプロジェクト史 -日本・イラン石油化学合弁事業の記録ー」

高杉良「勇者たちの撤退―バンダルの塔」
各社の社史ほか

上記の処理についてはこの時点では止むを得ないものであったと思われる。更に資金をつぎ込んで事業を継続しても採算は取れず赤字が膨らんだであろうし、米国が国交断絶している国での協力は他の事業にも影響を与えたかも分からない。

他のプロジェクトとの違いは当初の時点でナショナルプロジェクトにせずに5社だけでやったことである。
三菱のサウジの場合、商事・油化・化成の3社の投資会社への出資は合計14.5%だけで、海外経済協力基金が45%を出資し、ほかに石化会社や銀行その他多数の企業が出資している。
シンガポールの場合もエチレン会社の投資会社には住友化学の出資は当初13%(その後46.2%)で、海外経済協力基金が30%(その後20%)、ほかに各社が出資している。
ラービグ計画は住友化学単独出資だが、
国際協力銀行が25億ドルの融資を行うこととなっている。

本プロジェクトは革命が起こってからナショナルプロジェクトにし国や他企業から(ほんの少額の)出資を得たが、石油の権利がからんだ産油国での大事業を(途中では東洋曹達から強い要請があったのに)ナショナルプロジェクトとしなかった思惑は何であったのか、よく分からない。

また、建設費が当初の5倍になり、かつ原料価格が決まらない時点で、採算が不明ということで着工しないという手もあったのではないかと思われる。

建設に従事した人々の唯一の慰めは、苦労して建設したプラントが再建され、今も動いていること、それを核にしてイランの現在の石油化学が出来ているということであろう。

ーーーーー

1990年に入り、NPC は社名を IJPCからBandar Imam Petrochemical Company に変更、韓国企業を使って設備の再建に着手した。国の威信をかけ、石油化学振興のため採算に関係なく実施したと思われる。JVではないため随伴ガスはゼロ評価で出来るという点もある。
各プラントは94年頃から順次スタート、
既存プラントに加え、95年にはPVC(HULS技術)、2000年にはPX (IFP技術)、2004年にはMTBEが、それぞれ新しく スタートした。

現在の同社の能力は以下の通り。(千トン)

エチレン

 411

HDPE

150

LDPE

100

PP

40

ベンゼン

230

P-キシレン

180

SBR

40

VCM

180

PVC

175

MTBE

500

苛性ソーダ

250

 


イランの石油化学の現状

現在のイランはBandar Imam地区のBandar Imam Petrochemicalに隣接してPetrochemical Economic Zone をつくり、順次プラントを建設しているほか、Pars地区でもPars Economic Zoneをつくっている。

現在のバンダルイマムホメイニ地区(NIPC Homepageから)
http://kaznak.web.infoseek.co.jp/others/iran-bandarimam.htm

最近は西部国境沿いにエチレンパイプラインを敷設し、両Economic Zoneから各地にエチレンを送り、誘導品プラントを建設している。Iranmap

2005年6月、伊藤忠はPars Economic ZoneでNPC、タイNPC、サイアムセメントとのHDPE製造販売の合弁会社Mehr Petrochemical を設立すると発表した。能力は30万トンで2008年スタートの予定。

(イランの石化の詳細は http://kaznak.web.infoseek.co.jp/ichiran/iran/index.html 参照)

バンダル・イマム・ホメイニ地区の現在の衛星写真がグーグルで見られます。
・グーグル・マップ(
http://maps.google.co.jp/を開き、地図の上部の矢印操作でイランのペルシャ湾最奥部付近を中心にする。
・「マップ」を「サテライト」に切り替え、順次拡大していく。

 

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