« 日本の石油化学産業の構造改善-1 | トップページ | 日本の石油化学産業の構造改善-3 ポスト産構法時代前期 »

2006年3月 9日 (木)

日本の石油化学産業の構造改善-2 産構法時代

25years21 1979年1月に第2次石油危機が発生し、3万円/kl程度であったナフサ価格は一気に6万円/klまで上昇、需要が激減し、不況が深刻化した。塩ビ業界の赤字は、80年 323億円、 81年470億円、82年 407億円と増大し、危機的な状況となった。他の石化製品も同様である。

(塩ビ業界)
塩ビ業界では1981年10月に産業構造審議会化学工業部会の塩化ビニル・ソーダ小委員会で共販会社案を打ち出し、公取委の承認を得て、第一塩ビ販売が82年4月に、日本塩ビ販売と中央塩ビ販売が同8月に、残る共同塩ビ販売が同9月に営業を開始した。(詳細
公取は当初、第一塩ビ販売は承認したが、4共販体制は認めず、通産省が交渉してやっと認められた経緯がある。

(産構法)
石油化学業界では1982/10、エチレンセンター13社の社長で編成された石油化学産業調査団が訪欧、石油化学事情を調査するとともに、不況の脱出策を協議した。
高杉良の「局長罷免 小説通産省」ではこれに触れている。
調査団の帰国後、各社の首脳間に相互信頼感が芽生え、過剰エチレン設備等の廃棄、ポリエチレン、ポリプロピレンなどポリオレフィンの共同販売会社の設立など抜本的な構造改善対策が次々に打ち出され、構造不況に陥っていた石油化学工業は急速に立ち直ってゆく。」

1983年5月「特定産業構造改善臨時措置法(産構法)」が、1988年6月30日を期限とする時限立法として施行された。(概要
これに基づき構造改善基本計画がつくられた。設備廃棄ではエチレン、ポリエチレン、塩ビ、及びEOとSM(両者は自主廃棄)が、共販は塩ビのほかにポリオレフィンが承認を受けた。

(ポリオレフィン共販会社)
1983/7/1にユニオンポリマー、ダイヤポリマー、エースポリマー 、三井日石ポリマーの4共販が同時に営業開始した。(詳細

最終的には別紙の通りの組み合わせとなったが、当初の業界案は次のようなものであった。
3グループ集約案:
①三菱化成・三菱油化・旭化成・昭和電工・東燃石化・出光石化・日本ユニカー
②三井石化・三井ポリケミカル・三井東圧・日本石油化学・宇部興産
③住友化学・東洋曹達・新大協和石化・日産丸善ポリエチレン・チッソ・徳山曹達


①は、三菱系2社は同一資本系列。昭和電工は三菱油化と製品融通関係にあり、東燃石化に対して中低圧ポリエチレン工場を売却したいきさつがある。日本ユニカーはその子会社。旭化成は昭電、出光とトップ同士が親密な関係にある。さらに旭化成と三菱化成は岡山県水島地区にエチレンの共同生産会社をもっているというもの。

しかし公取はシェアが大きいことを理由にこれを認めず、通産省のバックアップもなく、最終的に三菱とその他に2分割した。
宇部興産は大阪での三井との関係と、千葉での丸善との関係を比較し、ユニオンポリマーに参加した。

塩ビ、ポリオレフィンとも、共販会社の性格については前回述べた通り、真の販売会社ではなく、メンバー各社が自社製品をその出向社員が自社需要家に販売し損益は全て自社に帰属するというものであり、事務所を共有するだけの「形を変えた価格カルテル体制」であった。

(設備処理)
1)エチレン  詳細
 廃棄 804.7千トン
 休止 955   
 部分休止 491
 新設  △220 (出光石化) 
  差し引き 2,030.7千トン

2)ポリオレフィン 詳細
・高圧法ポリエチレン(LDPE)は年産能力の37%に当たる637,000tの設備処理
・中低圧法ポリエチレン(HDPE)は同25%に当たる265,000tの設備処理
・ポリプロピレンは設備の過剰度がそれほど大きくなかったので、設備処理の対象とはならなかった。
・設備の新設、増設および改造は、目標期日までの間は行わないとした。

3)PVC 詳細
基本計画では49万トンの設備処理だが、通産省によるPVCの生産能力の管理はトン数ではなく、重合槽の容量で行われている。実際には重合槽1m当たりの生産能力は大きく異なる(場合により2倍以上)が、プロセス改良による能力アップはメリットとして認められていた。

設備の新設、増設および改造は、目標期日までの間は行わないとした。

設備処理に当たり、塩ビのみ、経済的負担の公正を期するため調整金を設けて各社別の処理量を決めた。
調整金は廃棄mに対し2,000千円(基準を超えて廃棄する分は4,000千円)を支給することとし、合計4,360百万円を支給、残存m数比で各社負担した。

なお、信越化学・鹿島の処理127のみ休止設備で、カルテル終了後の品不足時に再稼動した。

以上、この危機に際して業界がとったのは抜本的構造改革ではなく、共販体制という「形を変えた価格カルテル体制」と、休止のところが多い「設備廃棄」であり、一部新増設さえある。
唯一、日産化学がこの時期に石油化学から脱却した。

ナフサ価格は1986の1Qの31,300円から2Qの16,900円と急落し、25years1 それにつれて需要も急増して採算が向上、塩ビ業界全体でも1986年に黒字に転換した。1988年に時限立法の産構法は終了した。

|

« 日本の石油化学産業の構造改善-1 | トップページ | 日本の石油化学産業の構造改善-3 ポスト産構法時代前期 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 日本の石油化学産業の構造改善-1 | トップページ | 日本の石油化学産業の構造改善-3 ポスト産構法時代前期 »